◆花王の配送車が女の子をひき殺してもTVニュースで社名が報じられないのは何故なんですか?とか、東国原知事が作業服で初登庁したのは一体誰の入れ知恵ですか?とか、アメリカザリガニの平井君があの江川有未さんと結婚しておめでとう!とか、プロ野球にはWBCがあるのだから最後のオリンピックぐらいアマチュアでチームを組んだらいいじゃん、とか、何故小林武史さんが一青窈さんに手を出してしまったのか松下由樹さんにぜひ感想をお訊きしたい、とか、そりゃぁもう、人間生きていればいろいろ疑問に思う事はある。
僕のような一般人ならそんな疑問を解消する術はないのだが、メディアの方々は違う。調べようと思えば調べる事が出来るし、直接本人に尋ねようとすれば名刺を振りかざせば一発で会う事が出来るだろう。そのための会社であり、マスコミのご威光という奴である。ダテに高給を貰っているのではない。そうした好奇心こそメディアの生命線であり飯の種だろう。別の言い方をすれば「ゲスの勘ぐり」こそメディアの真骨頂なのである。
◆時代の流れでいつの間にか勝手に社会的地位が上がったと勘違いしているテレビマンや、広告料金でかろうじて喰わせて貰っているくせに、勝手に「社会の木鐸」気取りで毒にも薬にもならない下手くそな文章を書き散らす大新聞者の編集記者諸君など、あんたたち自分たちが置かれた立場の厳しさをもう一度認識し直す必要があるのではないか、とお節介なおっさんは思うのである。
記者クラブの談合サークルに安住して、発表モノで紙面を埋めることが習い性となって、本来ジャーナリストが持っていなければならない「好奇心」や「探求心」などと言った基本的な資質をどこかに置き忘れたような紙面、番組作りで、本当に金が取れる代物だと考えているのだろうか。
◆インターネットの普及によって情報感度の違いが大きくなっている事が以前から指摘されているが、それは一般的に言われているような世代や年齢と言った属性で単純に括られるモノではない。パソコンや携帯電話を使いこなす事がイコール情報感度が高い事には繋がらないのである。
様々な情報が溢れるように流れている時代には、その中から一体どの情報をチョイスしその情報をどう自分で解釈するか、という事が大切になってくる。また流れている情報以外に、流れていない情報、隠されている情報、マスメディアが書かない流さない情報などを、どうすくい取って判断するかという事も大切な情報感度の問題である。
なぜこの記事がこの時期にこのメディアに掲載されるのか、なぜテレビニュースではこうしたバイアスをかけて視聴者を誘導するのか、その他メディアの思惑を想像してみるのも中々楽しい時間つぶしである。
◆そうした情報感度という面では意外にメディアの人間ほど鈍いのも、この国のジャーナリズムの衰弱の一因であろう。もしメディアの人間が情報感度が高ければ、自分たちが日々生産しているコンテンツのあまりにも情けなさに居たたまれないはずである。「実はあのニュースの裏側を知っているんだがウチではとても扱えない」などと訳知り顔で呑み屋でくだを巻く新聞社の人間は、結局どんな媒体で働こうともずっと自分を誤魔化しながら生きていくしかない可哀想な人間であろう。そんな奴らが一体「ジャーナリスト宣言」なんて、おいおい、いくら厚顔無恥なおっさんでも恥ずかしくて街を歩けやしねぇじゃん。おまけに今やっているTVCMと来た日にゃ、平和に暮らす日本人の生活映像に被せて戦争や飢餓の情景を被せ、「無関心が真実を見えなくする」とあげつらっている。エラそうに言える立場か朝日新聞。4分の3世紀ほど前、日本人を煽り戦争に追いやった朝日が言う真実など、今の日本人にとって一体どれほどの意味があるのか、あるいはまた日本人を酷い目に会わせようと画策しているのか。
◆ま、それはもういい。
いま僕たちが心しなければならないのは、こうした大手メディアの時代遅れの偉そうな態度ではない。問題はネット上に溢れる様々な情報の真偽、グレードである。もちろん情報は自分にとって面白ければそれで良い、役に立てばそれでよい、という考え方も出来る。本当かウソかはどうでも良い、というのもまた僕たちの暮らしの中では真実である。本当の事を知ったからと言って幸せになれるとも限らない。情報を数多く知っていることが人生の知恵に繋がるとは限らないのだ。ただ警戒すべきは、人は自分に都合の良い情報や心地よい情報にころっと騙される、と言う事である。
情報感度とは何でもかんでも「知る」事ではない。そういった世の中の様々な事象の中から生きる知恵や物事の理を自分なりにつかみ取る事であろう。なかなか難しい事である。
◆北朝鮮の金正日将軍及びその身辺に何やら緊急事態があったらしい、とか、円は大丈夫か、とか、いやいや心配なのは東南アジアや韓国だろう、とか、今年もまた巨人はダメだろう、とか、第41回スーパーボウルはどう考えても熊さん達が勝つだろう、とか、そりゃぁ今アングラで流れている噂の本当のところを知りたいというのは当たり前である。しかし本当に知りたい事はきっと他にあるのかも知れない。僕の人生はこれからもっと良くなるのですか、それとも、、、そりゃ細木のオバハンや豚が儲かる訳である。しかし他人に教えて貰わなければ分からないとは、何と人間とは不便な生き物だろう。
◆「知らぬが仏」と言うのもまた人生の真実なのだが、そうは言っても知りたいと思うのもまた、人間なのであろう。合掌。
僕のような一般人ならそんな疑問を解消する術はないのだが、メディアの方々は違う。調べようと思えば調べる事が出来るし、直接本人に尋ねようとすれば名刺を振りかざせば一発で会う事が出来るだろう。そのための会社であり、マスコミのご威光という奴である。ダテに高給を貰っているのではない。そうした好奇心こそメディアの生命線であり飯の種だろう。別の言い方をすれば「ゲスの勘ぐり」こそメディアの真骨頂なのである。
◆時代の流れでいつの間にか勝手に社会的地位が上がったと勘違いしているテレビマンや、広告料金でかろうじて喰わせて貰っているくせに、勝手に「社会の木鐸」気取りで毒にも薬にもならない下手くそな文章を書き散らす大新聞者の編集記者諸君など、あんたたち自分たちが置かれた立場の厳しさをもう一度認識し直す必要があるのではないか、とお節介なおっさんは思うのである。
記者クラブの談合サークルに安住して、発表モノで紙面を埋めることが習い性となって、本来ジャーナリストが持っていなければならない「好奇心」や「探求心」などと言った基本的な資質をどこかに置き忘れたような紙面、番組作りで、本当に金が取れる代物だと考えているのだろうか。
◆インターネットの普及によって情報感度の違いが大きくなっている事が以前から指摘されているが、それは一般的に言われているような世代や年齢と言った属性で単純に括られるモノではない。パソコンや携帯電話を使いこなす事がイコール情報感度が高い事には繋がらないのである。
様々な情報が溢れるように流れている時代には、その中から一体どの情報をチョイスしその情報をどう自分で解釈するか、という事が大切になってくる。また流れている情報以外に、流れていない情報、隠されている情報、マスメディアが書かない流さない情報などを、どうすくい取って判断するかという事も大切な情報感度の問題である。
なぜこの記事がこの時期にこのメディアに掲載されるのか、なぜテレビニュースではこうしたバイアスをかけて視聴者を誘導するのか、その他メディアの思惑を想像してみるのも中々楽しい時間つぶしである。
◆そうした情報感度という面では意外にメディアの人間ほど鈍いのも、この国のジャーナリズムの衰弱の一因であろう。もしメディアの人間が情報感度が高ければ、自分たちが日々生産しているコンテンツのあまりにも情けなさに居たたまれないはずである。「実はあのニュースの裏側を知っているんだがウチではとても扱えない」などと訳知り顔で呑み屋でくだを巻く新聞社の人間は、結局どんな媒体で働こうともずっと自分を誤魔化しながら生きていくしかない可哀想な人間であろう。そんな奴らが一体「ジャーナリスト宣言」なんて、おいおい、いくら厚顔無恥なおっさんでも恥ずかしくて街を歩けやしねぇじゃん。おまけに今やっているTVCMと来た日にゃ、平和に暮らす日本人の生活映像に被せて戦争や飢餓の情景を被せ、「無関心が真実を見えなくする」とあげつらっている。エラそうに言える立場か朝日新聞。4分の3世紀ほど前、日本人を煽り戦争に追いやった朝日が言う真実など、今の日本人にとって一体どれほどの意味があるのか、あるいはまた日本人を酷い目に会わせようと画策しているのか。
◆ま、それはもういい。
いま僕たちが心しなければならないのは、こうした大手メディアの時代遅れの偉そうな態度ではない。問題はネット上に溢れる様々な情報の真偽、グレードである。もちろん情報は自分にとって面白ければそれで良い、役に立てばそれでよい、という考え方も出来る。本当かウソかはどうでも良い、というのもまた僕たちの暮らしの中では真実である。本当の事を知ったからと言って幸せになれるとも限らない。情報を数多く知っていることが人生の知恵に繋がるとは限らないのだ。ただ警戒すべきは、人は自分に都合の良い情報や心地よい情報にころっと騙される、と言う事である。
情報感度とは何でもかんでも「知る」事ではない。そういった世の中の様々な事象の中から生きる知恵や物事の理を自分なりにつかみ取る事であろう。なかなか難しい事である。
◆北朝鮮の金正日将軍及びその身辺に何やら緊急事態があったらしい、とか、円は大丈夫か、とか、いやいや心配なのは東南アジアや韓国だろう、とか、今年もまた巨人はダメだろう、とか、第41回スーパーボウルはどう考えても熊さん達が勝つだろう、とか、そりゃぁ今アングラで流れている噂の本当のところを知りたいというのは当たり前である。しかし本当に知りたい事はきっと他にあるのかも知れない。僕の人生はこれからもっと良くなるのですか、それとも、、、そりゃ細木のオバハンや豚が儲かる訳である。しかし他人に教えて貰わなければ分からないとは、何と人間とは不便な生き物だろう。
◆「知らぬが仏」と言うのもまた人生の真実なのだが、そうは言っても知りたいと思うのもまた、人間なのであろう。合掌。