戦後処理はこの先、何年も何十年も続くだろう。
毎朝、港へ向かう途中、大戦中の水上特攻艇
秘匿壕跡の横を通る。水上特攻艇秘匿壕は、
宮古島の海岸線にいくつもあり、いまだに
確認されていないのもあるそうだ。
水上特攻艇はベニヤ板で作られた6mほどの
モーターボートに250㌔爆弾を装着した一人乗りで
敵艦艇に体当たりする。「肉薄攻撃艇」秘匿名を
マハレ艇と言う。その特攻艇を隠していた
ところが秘匿壕と呼ばれている。
昭和19年8月20日、小豆島において、18歳前後の
特別幹部候補生で編成され、翌20年7月18日、最終
目的地を宮古島にむけて出発した。
途中、空襲や台風の影響で宮古島に到着したのは、
63名の隊員と47隻の船艇だけ。
極秘部隊であったので、戦後50年以上出発時の船舶数が
あきらかにされていなかったが近年になって、
船艇は3.000隻30個戦隊であったと戦史に記され
明らかになっている。
「自殺隊」「決死隊」と呼ばれたこの部隊は、たとえ
宮古島に到着しても死ぬ運命であったにしろ、
あまりにも大きな犠牲を出している。
毎朝、秘匿壕跡の横をたくさんのダイビング客や
観光客が通り過ぎていくが、今から60数年前、この
場所にくる為に命を落とした多くの青年がいた。
そしてこの洞窟の中で息をひそめて敵艦が来るのを
待ち伏せしていた青年達がいたことを知っている人は
少ないだろう。
教科書にはそんなことは書いてないからね。
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