すすめられていたころ、各村むら(字)の道路巾は2間半に
拡張、改修、あるいは新設されたと伝えられている。
1696年大地震のあと土木工事の一環として、石畳道も
2間半に拡張され、治山事業の中で豊富に得られたであろう
石を切り敷きつめたものと推定される。
石畳道は旧藩時代の政庁である「蔵元」南側にそって、
漲水御嶽前から祥雲寺北東の辻まで続いていた。
廃藩置県後もほぼ完全に残っていたが、
平良港築港(大正10年)・宮古神社移転(昭和17年)に
ともなう工事並びに第二次大戦、ついで戦後の道路工事等で
損傷、現在およそ3分の1を残すのみとなっている。
県指定 史跡 漲水の石畳で検索すると、
このように出てくる。
ここで写真を撮っていたら、通りかかった観光客の人が
「何かあるんですか?」と聞いてきた。カメラの先が気に
なったのだろう。横に説明書きの看板が立っているのに・・
「県の史跡になっています。」と言ったら
「この先にあるのですか?」と聞かれたので
「あなたの足元です。」自分の足元を見て、飛びのいた!
「侵入禁止ではないので、歩いても大丈夫ですよ。」
琉球王朝時代にこの島の支配者や歴史に出てくる人達が
歩いた道。ついでに、すぐ横にある漲水御嶽や、その石垣も
紹介しておいた。
親切に説明文を書いた看板がたててあるのに、
気付かないものなんだなぁ~
最新の画像もっと見る
最近の「宮古島」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事