散歩瞑想記 & ツレの物語

歩きながら自然とエネルギーを循環させる、散歩瞑想をしています
そして、ツレ、物語る

ラベンダーや汝を如何せん

2018年05月29日 22時52分09秒 | 日記

去年の秋の終わり、冬囲いをするときに、ラベンダーの木を引っこ抜いた。

ずっと花が咲かなかったからだ。

もう少し大きくなったら咲くのかな、来年は咲くのかな、と毎年思っていたけど、いつだか何輪か咲いたきりもうただの一つも咲かなかった。

抜いてみて気付いた、そのラベンダーはずいぶんお年寄りだった。

幹と枝が古木の雰囲気だった。

盆栽みたいに、うねって曲がって風雨に耐えましたって感じ。

数えてみたら植えてから25年ぐらい経っていた。

 

そんな木を抜いてしまって後悔した。

枝はリースにして、クリスマスに飾った。

コップにも差して部屋に置いたらラベンダーの香りがした。

コップのは冬の間中元気で、春になっても元気で、五月が終わろうとしている今、つぼみをつけた。

米粒みたいに小さいつぼみだけど。

突然抜かれてびっくりしたんだと思う、ラベンダーは。

それでコップの枝にあの木の精気がまだいるのかなあと思うのだ。

半年もコップで生きてつぼみ付けたんだからさ。

これから暑くなるから、もうコップでは無理だと思う。

どうしたものかなあ。

どうにもならないか。

 


水に映る光と

2018年05月20日 23時58分44秒 | 日記

「ほら」

ツレが言ってるのは光のことだ。

わたしたちは河岸段丘の高いところを歩いている。

段丘の上も下も、水の入った田んぼだ。

そこに西に傾いたお日様が映っている。

風が吹いているから、光は小さく散って踊る。

水に映る光の道はうねったり広がったりしたけど、基本、遠くが広く近くが狭い形をしていた。

この間書いたのとは反対だ。

今日のお日様は沈むまでまだ間があって、沈むきわのお日様とは高度が違う。

光源が高いところにあると、水に映った光は手前に来るほど狭くなり、

光源が低いところにあると、光は手前の方が広くなる。

のかなあ。

 

何日か降り続いた雨があがった。

世界は顔を洗ったみたいにきれいな色をしていた。

山の緑がくっきりと盛り上がり、空は透明な青だ。

田んぼの水を渡ってきた冷たい風が、わたしたちの体を吹き抜けていく。

ずっと歩いて行ったら、どこまでも、そのうちわたしは光と風に洗われて、葉脈だけの葉っぱになって、ほら、大事なところはこれだけだ、とわかるだろう。

そのうち千切れて光だか風だかになる。

時々そうなりたいと思う。

そのうちなるんだろう。

 


水に映る光は

2018年05月14日 22時54分04秒 | 日記

夕日が海に沈む絵を描いた。

海に映った光のキラキラは、水平線から岸に向かって広がってくるのか、それとも狭くなってくるのか。

両方描いてみたけど、?、どっちもありそうな気が。

海から遠くに住んでるので見慣れてなくてわからない。

ネットで写真を見てみたら、岸に近い方が少しだけ広がっていた。

月ならどうかな。

月光のキラキラはほとんどまっすぐだった。

なぜ違うのかふしぎだな、光の量の違いかな。

日が沈むまで海岸にいることは滅多にないけど、自分で見て確かめたいものです。

月光の場合は「月の道」と呼ぶんだって。かっこいいね。

 

何年も前の満月の晩。

ツレが月を見に連れて行ってくれたことを思い出した。

川面に映る月明かりを見に、いくつもの橋を渡ったっけ。

 

 


菱の実とカワセミ

2018年05月13日 23時08分54秒 | 日記

わたしが双眼鏡をのぞいている横で、「今、なんか青いのが飛んでったぞ」とツレが言った。

えー見たかった。

わたしは一生懸命きょろきょろ見ている割によく見逃すのだ。

ここはこの間遠出した、海の近くの公園の大きな池だ。

緑色の桜が咲いていた。

岸で菱の実(たぶん)を拾った。

悪の組織のマークみたいなおそろしい形をしている。

長いとげがカブトムシの脚みたいにイガイガしているので、セーターにくっ付けて組織の一員になってみた。

うちに帰ってもなかなか外れなかった。

飛んでいった青い鳥を探していたら、ずいぶん向こうで木の枝にとまっているのがいた。

飛んだ。

こっち来た!

ものすごい速さで一直線に向かってきて、わたしたちの横を通って行った。

カワセミだった。

すごかった。

 

 

 

 


アオダモの木

2018年05月12日 23時17分12秒 | 日記

アオダモの花が咲いた。

白い、泡みたいな、粉みたいな、幻みたいな花だ。

この木は父が生きてた頃、赤ちゃんだった木を山からもらってきたものだ。

父はすでに車いすだったけど、車いすでもどこへでも行けるんだぜー、を自分に証明してた頃だから父を連れて山にだって行ったんだ。

そこで苗をふたつもらって来て庭に植えた。

何の木か知らずに。

 

一つはブナだった。

あと一つは、図鑑を見てもネットで調べてもどうしてもわからなかった。

十年ほどして父が死んだ。

そのあと数年してブナが枯れた。

残った一つの木はゆっくり大きくなり、木らしくなった。

ある日花が咲き、やっとアオダモだとわかった。

 

今年もアオダモの花が咲いた。

この木の生まれた山を思い出した。

 

 

追記

枯れたと思ったブナが、葉っぱを出しているのを母が見つけた。

縁側に座っていて緑色を見つけたけど、母は庭まで出ていけないので私に確かめて来いと言う。

葉っぱだったよ。

生きててくれたんだね。


やっと榎の木

2018年05月10日 21時45分46秒 | 日記

オオムラサキの幼虫が住まう榎の木というものを、やっと見つけた。

うちの町や周りの山で、ずいぶん探したけど見つけられなかった。

それが昨日の遠出で似ている葉っぱを見つけ、持って帰って調べたら榎だった。

これかあ、やっと会えた。

どんな感じの木かわかったから、今度見つけたらじっくり幼虫を探してみよう。

そしてまだ一度も見たことのない(標本以外は)オオムラサキという蝶が飛ぶのを、いつか見たいなあ。

 

 


やっと休日

2018年05月09日 23時48分41秒 | 日記

やっとやっとツレの仕事が空き、一か月ぶりくらいに出かけた。

山々は、新芽の白緑と、針葉樹の深緑が層になって、不思議な模様になって見えた。

今日は曇天だったけど、山は飛び出す絵本みたいに盛り上がって見えた。

海沿いの方はもう田んぼに水が入って、大きい鳥も小さい鳥も生き物漁りに忙しい。

鳥海山は裾野しか見えなかったけど、すごく大きな山だってわかった。

大男は雲の中にいても、足だけでやっぱり大男だってわかるんだ。

菜の花畑の向こうにそびえていたよ。

高原から棚田と海を見下ろした。

飛島と男鹿半島が見えた。

初めてここに来た時のことを思い出した。

あれから二人でずっと旅して来たんだな。

 


セキレイくん

2018年05月09日 00時12分58秒 | 魚、生きもの

セキレイがうちの玄関をなわばりに決めたらしい。

朝、ガラス戸の取っ手にとまって、首をかしげて中をのぞいている。

セキレイは縄張り意識が強いそうで、車のミラーに映った自分を他の鳥だと思って文句を言ったりするらしい。

とすれば、ガラスに映った自分をライバルだと思っているのかもしれないが、そんな感じはしない。

小さいセキレイで、輪郭もなんだかふわっとしている。

さては一国一城の主になってはみたものの、まだ遊びたい盛りで、見るもの聞くものみんな興味津々の若造だな。

上に下げている看板にとまって、ブランコみたいに揺れたかと思うと、

今度はダムの底から拾ってきた木の化石にとまった。

 

後で見たら、ガラスに跡が付いていた。

きっとヤツのおでこかどっかが、ガラスにペタペタくっ付いたせいだ。

それから玄関の真ん前にオトシモノ。

化石にもオトシモノ。

母曰く、小鳥は腸が短いから食べたらすぐ出る。

ま、掃除するか。


三つ葉

2018年05月01日 20時58分48秒 | 日記

三つ葉がすきだ。風味が。

茎と葉を使った後、根っこを水につけてみた。

水耕栽培って書いてあったから。

そしたらまた葉っぱが伸びてきた。

背は小さいけど。

根三つ葉というのを他県に行った時買ったことがある。

ツレによれば土に植えたものだそうだ。

茎が太くて食べ応えがあった。

三つ葉ずきにはこたえられない。

うちの方では売ってない。残念。

ちょっと調べたら、三つ葉は日本原産で、山野にたくさん自生しているのだそうだ。

野生の三つ葉を見つけてみたいなあ。