散歩瞑想記 & ツレの物語

歩きながら自然とエネルギーを循環させる、散歩瞑想をしています
そして、ツレ、物語る

十二月三十日 年越しの夜空

2015年12月31日 00時57分19秒 | 日記

今日の午前中は久しぶりに日が照った。

三日三晩ふりつづいた雪は、あたりの山にさらさらとふり積もり、それが日に照らされて、とびだす絵本みたいになった。

なんてきれいなんだろう。

午後から雲が出たけど、夜半、隙間から月が出た。

二十日目くらいの月だ。

少し下に木星を伴っている。

大みそかの晩には、月と木星がもっと近づいて見える。

接近した月と木星を見ながら、年を越せたらすてきだな。

もし晴れ間があったら、夜空を見ながら散歩しよう。

月と木星は、東から23時くらいに昇ってくる。


十二月二十二日 刀の美術館

2015年12月30日 18時01分07秒 | 日記

岩出山の刀の美術館は中鉢美術館といった。

わたしは刀に興味を持ったことはなかったけど、実際に見てみるとそれはすごいものだった。

展示してあるもののレベルが高かったからだと思う。

刀はいろんな時代のものが展示してあって、時代によって刀身のそり具合などが違うのだった。

長く、そった刀は優美だった。

刀は腰に差すものだと思っていたら、古い時代のものは吊るようになっていた。知らなかったなあ。

鞘には漆が塗られていたり、金や銀が象嵌されていたり、それは手の込んだ美しい細工がほどこされていた。

使われている紐もとても美しかった。

北斗七星の星の並びが記されているものもあった。

受付の人がコーヒーをごちそうしてくれた。

入口に刀鍛冶を描いた昔の掛図の複製が飾ってあった。

そこで鉄を打っているのは鬼だった。

赤鬼青鬼。

以下はこの美術館の館長、中鉢氏の文章。

「私が心を動かされたのは『鍛冶神像掛図』との出会いからです。

鬼達が鍛冶の下働きをしている。

この鬼とは『俘囚(ふしゅう)』と蔑まれた故郷奥州の鍛冶であり、その先人への思いが私を奥州鍛冶の探求に駆り立てたのです。」

ものには歴史あり。

長ーく深ーい歴史の川が、今へと続いているのだなあ。

 

 


十二月二十九日 雪降り

2015年12月30日 00時48分01秒 | 日記

雪が三日三晩降り続いている。

それまでほとんど降ってなかったのに、あっという間に50センチぐらい積もった。

夜、ポストまで行ったついでにぐるっと散歩してきた。

後ろを振り返ると自分の足跡が見えた。

わたしのほかには猫の足跡だけ。

音は、小川の流れる音だけ。

それと自分の足音、雪踏む音。

こんな夜は車も通らない、みんなうちの中だ。

歩くと、特に夜歩くと、いろんなことを考える。

たいていいいことだ。

いいことっていうか、どんなことも風みたいに通り過ぎて、わるいことには思えない。

自分が動いているからかな、風になっているからかな。

今年もあと二日。

今年の経験にありがとう。

来年の試練に立ち向かえますように。

日々の小さな試練にも、それと気づいて、いつも光の方向を選べますように。

わたしの友、そして未来の友たちが、しあわせでありますようにと願います。


十二月二十二日 岩出山

2015年12月28日 00時37分24秒 | 日記

「昨日の晩テレビで、刀鍛冶を見た。

大崎市に刀の美術館があるらしい、行くか」

行く行く。

郵便を出したいと言ったら、鳴子温泉で郵便局を探してくれた。

鳴子は道が狭くて坂が多い、コンパクトでおもしろい町だ。

郵便局を見つけられず、温泉街を外れたところで「東鳴子簡易郵便局」を見つけ、重さを測ってもらった。

そのまま郵便物を置いて出ようとしたら、窓口の人が、ポストに投函した方が早いと言う。

「ここは簡易だから」。

ふ~ん、郵便屋さんはポストには寄るが局には寄らないということか。

 

大崎市の道の駅に寄った。

物が豊富ですごい人だった。

地場産品のマコロンとレンコンを買った。

レンコンは香りがよくてとてもおいしかった、また行ったら買おう。

岩出山の街中は静かで趣のある通りだった。

伊達政宗の岩出山城があったところだ。

屋敷の広い家が多い。

街並みを見ながらゆっくり走っていると、古い酒屋を見つけた。

「森泉」と看板がかかり、杉玉がつってある。

周囲には蔵などの古い建物が付随していて、昔は大きく商売していた様子が見て取れた。

これは寄ってみずばなるまい。

おお、かっこいい。

古い棚に森泉オンリー。

昔の木の冷蔵庫があって酒粕が冷やしてあった。

(電気冷蔵庫ではありません。)

ガラスは波打ち、硝子戸の奥に見える中庭にも古いものがたくさんあるようだった。

冬以外は敷地の建物を公開しているらしい、いつか来よう。

お酒を買いました。

ここで刀の美術館の場所を教えてもらった、すぐ近くだった。

道の広いところに車を置いて、蔵と水路に挟まれたすてきな小道を歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 


十二月二十日 ハタハタ釣り

2015年12月24日 17時14分13秒 | 魚、生きもの

「目いっぱい着ろ」

どんなかっこう?と聞くとツレはそう答えた。

岸壁で釣りをするのだ、釣り好きの同級生が教えてくれる。

防波堤の内側は波が静かだった。

りっぱな竿を借りて海中に入れた。

重りが海底に着いたら、クイッとひっかけるように引くのだそうだ。

竿を垂らしながら隣の釣り人を見て、やり方をまねした。

釣れなくてもおもしろいなあ。

見上げると海鳥が風に乗って飛びまわっている。

外海は荒れて、波が防波堤にぶつかってしぶきをあげている。

時々雨が降ってきたけど、遠くの空は青かった。

海に向き合うしあわせをかみしめていると、上げようとした竿がグッと重かった。

釣れた。

針に引っ掛かった魚がビトンビトンと跳ねた。

魚体をつかんで針を外した。

魚は手の中でしきりに身をよじって。大きなむなびれを広げた。

はじめて釣った魚は全身で「生きてる生きてる生きてる」と叫んでいた。

 

3人で25匹ぐらい釣り、釣ったのを全部わたしがいただいて帰った。

ツレが氷を入れてくれたので、家に帰ってもハタハタは生きてエラを動かしていた。

母と私は生きている魚をさばけなかった。

死んでいるのを探して塩降り焼きにして食べた。

次の日ツレにその話をしたら、

「昔は、食べることと殺すことが結びついていた。

殺すことは日常の隣にあった。

仏教の、殺生をしないという考え方が浸透し、殺すことは悪だという感覚がふつうになって、人を殺すことも悪になった。」

と言っていた。

生を強く実感すると(手の中で魚が動く)、死への抵抗が強くなった(殺せない)。

日々こういう経験を繰り返せば(釣ったものを殺して食べる)、殺すことへの抵抗は減っていくだろう。

死と生の間の垣根が低くなれば、人が生きて死ぬことも動物のそれに対する感覚に近づくかもしれない。

うまく言えないけど、死を重大にとらえると苦しみは増すから。

以下継続審議。

 


十二月十五日 大屋沼

2015年12月17日 13時08分19秒 | 魚、生きもの

横手の皮膚科に行った帰り、山の道の途中でため池に寄った。

とても広くて湖みたいなところだ。

去年も12月頃ここに来て、アカゲラを初めて見たんだった。

腹がシマシマで、枯れ木の幹をにじっていた。

今回ツレは一周する気だった。やったー

水面には白鷺一羽とカモがたくさんいた。オナガガモかな。

周りの丘にはリンゴ畑がつづいていた。

と突然道が消えた。

その辺のリンゴ畑はもう作るのをやめたみたいだったから、この道は農作業道だったのだろう。

ヤブをかき分け、元の道の跡をたどった。

草の実がいっぱいくっついた。

ヤブを抜けたら、今度は倒木がすごい。

皮膚科お出かけ用服だったから、木を踏み超えて進むのに難儀した。

木は雪で倒れるのだろうな。

すごい力だな。

やっと整備された小道にでた。

ここでエナガの群れ発見。

初めて見た、感動にうち震えた。

すごく小さくて毛がホアホアして、落ち着きなくよく動いた。

白鳥が真上を飛んでいった。

大きいなあ。

 

するんと回れるかと思ったら、けっこう歯ごたえのある沼一周だった。

これだからへめぐり旅はやめられない。

 
(帰ってから大屋沼を調べたら、ただの沼ではないことが分かった。
築かれたのは17世紀で、その際、古の道「東山道」が一部水没した。
年に一回沼干しをするそうで、その時には古道が姿を現すそうだ。
 
また沼のわきには「長谷の七色銀杏」という木があり、千年を超える大木だった。
その木の朽ち穴からほかの木が生えだし、銀杏の木に桜まで咲いたという。
その木も雷に打たれ、根元から若木が生えているが、昔の面影はないそうだ。
そういえばきちんとした社があって、大きなケヤキと銀杏があるなと思って見たが、あれがその銀杏の木だったのかもしれない。)
 

十二月十二日 水汲みの旅

2015年12月15日 19時39分34秒 | 日記

「水汲みの旅にでるぞ」とツレが言った。

大急ぎでペットボトルやら何やらを用意した。

ただ水を汲むだけだ、でもまあ鞄くらいは持っていくか、なんて思っていた。

車に乗ると「俺は旅と言ったんだからな」とツレは言った。

というわけで、またまた突然旅が始まったのだった。

 

まずは秋の宮の目覚めの水。

役内川のすぐそばの、岩の崖みたいなところから湧き出ていた。

ほかの人もやってきた。

「通りかかった時にいつも汲むんですよ」

車のナンバーは東京のどっかだった。仕事で通るのかな。

次は切畑阿黒王名水

に行こうとしたんだけど、道を間違え結局行きつけなかった。ここは迷いやすい。

次は湯沢市民の森、しず岱の清水。

に行くかと思ったんだけど、すでに山道に雪が積もっていそうだったのでやめた。

やっぱり冬は水汲みもなかなか難しい。

最後は東成瀬の蛭川清水。

国道342沿いだ。

南から西から東まで、湧水めぐりの旅だった。

大事に管理するとちゃんと出続けるんだね。

ありがたい清い水の恵みであります。

 


十二月九日 八郎潟鳥見

2015年12月12日 13時04分42秒 | 魚、生きもの

いいお天気だ、十二月とは思えない。

車は、東から日を浴びた鳥海山を見ながら一路北へ。

きょうはどこまで行くんだろう、と思っていると電線に大きな鳥がとまっていた。

トンビかと思ったら違う、鷹だ、オオタカだ。

わーお。

八郎潟はかつて大きな大きな潟だったけど、埋め立てられて農地になった。

地図で見ると残っている水面は少しだけど、実際に行ってみると残っている水面はとんでもなく広い。

昔はどんなに広かったろうなあ。

場所を変えながら、カモ、オオバン、マガン、チュウヒなどを見た。

寒風山を背景に、マガンの群れがたくさんリボンになって飛びまわる。

羽ばたきの音がひゅんひゅん超音波みたいに聞こえた、すごいなあ。

午後の低いお日様が彩雲を作っている。ほら、あっちにもこっちにも。

飛行機雲も虹色になっている。

もうすぐ冬至だから、お日様は東から西へ低いところを移動した。

遠くの水面の鳥が、日を浴びてキラキラ光った。

あれは鳥のまわりの水が光るのか。

わたしもあそこにいたら、同じように光るかな。

チュウヒは湿原で低い木に止まって、獲物を探していた。

観察所の大きな双眼鏡が使えたらよかったけどね。(観察所の使用には予約がいるようだ)

昔ツレはここでウインドサーフィンをしたそうだ。

それもおもしろそうだな。

 

 


十二月九日 羽黒山2

2015年12月09日 23時11分18秒 | 山、探検

五重塔の先は石段になっていた。

ところどころ雪が積もってびちゃびちゃだ。

わたしたちはスニーカーだったけど迷わず進んだ。

(「道があると行ってしまう・・・」のちにツレがそう言った。全くだ、ここで引き返すなんて思いつきもしなかった)

苔がきれいだ

石段は延々続いた。

そりゃそうだ、四百何十メートルだかの山なんだから。

杉の大木の列もずっと続いた。

ほんとうに太くて立派な木ばかりだ。

どんなに大事にされてきたか、この石段をはるか昔から、たくさんの人が上り下りしたんだな。

そのうち木は杉からヒバへと変わった。

一の坂、二の坂、三の坂とつづき、ところどころにいろいろな社があった。

山全体が信仰の場だ。

こういうところでは鳥がよく鳴いている。

清浄な空気と小鳥。

上に登るにつれ、雪が多くなった。

足はもう濡れてしまった。

やっとのことで頂上の本殿着。

冬囲いされていた。

大きいなあ、茅葺屋根が立派だ。

お参りした。

上には(車で来たと思われる)お参りの人がたくさんいた。

土産物屋もあった。

車道から来たら、羽黒山に対する印象はまったく違ったものになっていただろう。

足は濡れたけど石段を自力を登って来てよかったと思った。

甘酒を飲んで、帰りのバス時間を見た。

一時間先までバスは無かった。

「一時間もあったら下に降りちゃうよ」(と思ったのは大きな間違いだった、ということが後でわかる)

石段とは別の旧参道を歩いて降りることにした。

旧参道には、石段よりも深い雪が一面に積もっていた。

足はびちょびちょに濡れた。

下りても下りても下界は遠かった。

石段はまっすぐ登っていたけど、こちらの道はゆるやかに蛇行している分、ずいぶん距離があるようだった。

泣きたくなってきた。

すべって転んだ。

そんな時にツレが、鳥が鳴いているだの、写真を撮ってやるだのと言った。

わたしは返事する元気もなかったけど、ツレは一人でしゃべっていた。

強い人だなと思った、こんな風にして子供を育ててきたんだな。

旧参道が終わり、車道を歩いているとバスが追い越して行った。

オイ、あれは一時間後のバスだろう。

結局その後もかなりの時間歩き続け、やっと車まで戻った。

さっそく濡れた靴とタイツを脱いで、暖房で足を乾かした。

暖かくなるとつらさは忘れて、自力で初冬の羽黒山を一周した達成感でしあわせな気分になった。

山伏じゃ。

帰り道、コンビニに寄ったツレがストッキングを買ってきてくれた。

生まれて初めて買ったそうだ。

 

 

 

 


十二月三日 羽黒山

2015年12月03日 19時08分10秒 | 山、探検

鶴岡めざしてゴー。

初雪はだいぶ溶けてるけどまだある。

遠くに高い山が見えてきた。

月山かなあ。

地図で見ると月山と湯殿山が隣り合っている。

出羽三山だ、修験道の山だ、ポオオー(法螺貝)

「じゃ羽黒山はどこらへん?」

ツレが聞く。

手前にある、低い、400m台。

「羽黒山に行くか」

ということで、突然羽黒山に行くことになった(笑、古箪笥はすでに忘れ去られた)

第一の鳥居かな、町の入り口にあった。

宿坊が並ぶ通りに入る、信仰厚い雰囲気が満々。

車を止めて案内図を見た。

神社が山の上にあるらしい。

その途中に国宝の五重塔がある。

これは見なければ。

頂上までの車道があるじゃないか。

でも五重塔は逆の方の、石段の参道にある。

歩くのは大好きだ。

雪の残る石段を進んだ。

とてもとても太いお年寄りの杉が参道の両側に延々続いていた。

厳粛な気持ちがつのった。

「爺杉」と名のある杉の大木の向こうに、五重塔が見えた。

人もいず、雪のある杉林の中、静かに塔が建っていた。

立派だなあ。

 

つづく

 


十一月三十日 古箪笥

2015年12月01日 21時54分05秒 | 日記

闘病中の同級生が、昔のラジカセ修理が趣味だと聞いて、うちの壊れたステレオを持って行った。

家に行くと、古箪笥が三竿あった。

鶴岡の骨董品屋やネットで買ったのだそうだ。

そんな趣味もあるのか、ラジカセ修理と共通項がなくもない。

米ぬかで磨いてきれいにしてある。

飾り金具が美しい。

引き出しの奥に、なにかの型紙にでもしたような新聞紙が入っていた。

開いてみるとなんと昭和五年の東京朝日新聞だった。

85年前の新聞。

ずーっとここに入ってたんだな。

 

 

次の日ツレから電話。

「鶴岡に行くぞ。」

わあ箪笥だ。

古新聞入りだ。

というわけで鶴岡まで出かけたのだった。 つづく

 

(俳優で、川をガサガサして探検する人がいる。その人がさっきテレビでガサガサしていた。

ツレは「俺はこんな風に生きたいんだ」と言った。

ツレよ、まさしくそんな風に生きてるじゃないか。)

 (ツレに俳優さんの名前を教わり調べてみると、この方はガサガサするだけじゃなく、多摩川の再生活動に取り組んだり、子供たちに多摩川に棲息する生物たちを観察させるなどの活動もしていると知った。

ツレはそういうことも含めて「こんな風に」と言ったんだな。)