散歩瞑想記 & ツレの物語

歩きながら自然とエネルギーを循環させる、散歩瞑想をしています
そして、ツレ、物語る

十一月二十七日 オニ

2014年11月27日 12時50分40秒 | 物語「オニ」
ひさしぶりのツレの物語。
未掲載原稿を見つけたので2回に分けて載せてみる。




「もうやめたい…これは永遠に続く罰ゲームだ。
だが、自ら足を踏み入れた以上、己れの力で抜け出さない限り、この地獄の様な状態は変わらない。
何とかしなくては… 時間ばかりが過ぎていく… アァ、ダレカタスケテ…」


その日、俺は二日ぶりに学校にきた。
風邪をひいて休んでいたのだ。
大切な一人息子だ。
大事をとって二日間休まされたのだ。
バアチャンと一緒に観てた昼メロの続きが気にはなったが、勉強のことが気掛かりで弱った体にムチ打ち登校してきたのだ。
俺は頭と顔は良いが体が弱い。
だからこそ、人々の悲しみを理解し陰日向にいろいろと気遣ってきた。
…御仏の分身と自負してきたのだ。

だが、そんな慈愛溢れる心の俺に、
「やっと出てきたか。今日からお前がオニな♪」
容赦ない言葉が待っていた。
…ハァ?って何でェ?

…思い出した。
俺が学校を休む前のオニはSだった。
元々、気持ちの弱いSは、かれこれ二週間ほどオニをやり続けて神経衰弱気味だった。
実際に泣きながら十数えるSは、憐れとしか思えなかった。
そこで救いの手を差し出すべく、俺はわざと最初に見つかってやった。
その上、現状からの脱出の知恵を授けてやったのだ。

という訳で、俺がオニだということになっていた。
だが、何かおかしい…
禍々しいニオイが…
…今さら、どうこう言っても始まらない。
挑戦は断固受けて立たねばなるまい!



小学生でも高学年ともなれば、鬼ごっこも危険な遊びに進化する。
基本的なルール意外はかなり先鋭化されるため、恣意的な解釈が入り込む余地が多い。
問題点の判断を自分に有利にする場合は、過半数の参加者の同意を得なければならない。
数は力である。

ルールは簡単だ。
先生が退出した瞬間にオニが十まで数え始めスタート。
その間に隠れ、次の授業開始の鐘の音でタイムアップ。
その繰り返しだ。
「まぁだだよ」は不可。
一見、オニ有利だが、そうでもない。
追い詰めてもチャイムが鳴ったらその場は終わりで、また最初からスタートしなくってはならない。
「○○見っけ!」と言ったところで、オニごときのいい分を信じる者などいない。
証人となる有力者の証言が必要となるのだ。
政治力なくして楽しくは遊べない。

一番最初に見つかった者には議決権は無い。
「アイトン!」という、オニがタッチされゲームがリセットされるのを祈るしかない。
その望が叶わなかったら、次のオニとして頑張るしかないのだ。

自らがオニとなった場合、そのあまりの苛酷さに誰しも尻込みした。  つづく





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3 コメント

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補足 (ツレ)
2014-11-27 19:06:52
「鬼ごっこ」ではあるが缶けりに近い。見つけても名前を呼ぶ前に「アイトン」と言われてタッチされたら振り出しに戻る。いっせいに大人数で向かってこられたら逃げなが名前を正確に言わなければならない。
さらに補足 (ツレ)
2014-11-27 19:25:21
タッチが微妙とか名前を呼ぶ時にかんだ りして「物言い」がつく場合もある。が、圧倒的にオニには不利なので賢い奴は後の交渉材料として貸しにする。政治力が大事。
久しぶりに読んだら (ここ住)
2014-11-28 10:43:42
実におもしろかったよ。
書いたのは去年の秋だった。
メール13回分の原稿。
よく書いたよね。

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