goo blog サービス終了のお知らせ 

真剣道外伝★無端晟輝の残日録

真剣道・基道館宗師範の残しておくべき余談集

剛 防 征 離

2019年06月23日 | 基道館活動記録

昨日の日根野イオンカルチャー 居合道 瑞月会で新入会員のH氏が質問した。

前後切り や 切先返しの 受け流しのタイミングはどんなときでしょう?

 

ええ質問ですナ、実に真剣に取り組まれて、いるのを感じました。

ここに、H氏の「問いが立った」瞬間だ

 

普通は言われたように形を整えて順番をなぞるのが初心者。

H氏は操作法=順番=結果と短絡しないで、その形の文脈に肉薄する態度だ。

しかし、実用となると(実用の意味はいろいろありますがこの場合は「間に合う」と言うほどの意味)多少の説明が必要だ

 

稽古を中断しホワイトボードに 刀の画を描いた

 

それに表題の 剛防征離の部分を当てはめてゆく 2.4尺で書いたからすべて八寸に別れた。

 

※ 受け流しに限らず、防の使い方はほとんど身体の転換を伴うのだが、まず重要なのは後の先を掛けるとき、相手をよく見ることです。

 私が柔らかい道具で打ち込みますから「ゆっくり」受け流してください、と実際に打ち込む。

受けるのは防ですから、折れない腕で「請け手」を作り、額の前に持ってくるだけ。

すべての打ち込みは防がれたのは言うまでもない。

 

私「相手に合わせるのではなく、自分に合わしてもらうのが業です、打ち込んできたらこっちのものでしょう」

そういう実験が終わり、受け流しのタイミングは自分が選ぶことができるという事を理解いただきました。

 

後の先の威力です。

  

 

 

 


循環無端 標榜一五周年 

2019年06月18日 | 基道館活動記録

循環無端の胸章はすぐる2665年 7月27日に出来上がった(今年は皇紀2679年)

 

デザインはマッチ-こと私の専属デザイナー 大原真知子さんである。

彼女は私のイメージを言葉で聞いて形にする天性のセンスを持っていた。

彼女が18歳の頃、アルバイトで私の経営するパン屋さんに就職した。

 

よく聞いてみると、彼女は私の次男の同級生の妹だった。

 

実に興味深い女性で、歩いて天王寺から自宅(約20KM)その間 フィルムカメラで猫写真を撮影

あるいは自宅から河内長野、これも20KM

 

 

聡明で細部に気が利いていた女の子だった

 

元気でいるかしら?マッチ-

 

この胸章をつけていると、点数が悪い(初抜き大会などで点数が悪い)という噂が基道館内で定着している(笑)

審査の先生方が「ふん基道館か」という見方をされるという大きな誤解だ。

 

私は循環無端を毛嫌いするセンセイなどいないと思っているから「それは杞憂です」と初心者に告げる。

 

城一水師範はそれを逆手にとり

「この胸章をつけて大会・審査会に出るのは一回だけです、後は紋付きになりますから、ここぞと基道館をアピールしてください」と大層強気だ。

 

来年は一五周年、 循環無端が我が基道館に根付いたか?日本の武道の核心に迫ったか?

 

やれやれ・・・・・・・・・

ぴしっと行きましょう!


大江先生の居合形と太刀打は違うという認識

2019年06月18日 | 基道館活動記録

先日瑞月会で新入会員のH氏と会話していたら

彼は私のユーチューブの動画で刀法の段取りを自習しているそうだ。

「刀法のセンセイの動画にNGがたくさん入っていました、あれは他連盟の方ですか?」

「いえ、刀法は我が連盟のやることで、他連盟のかたは埒外です」

我が連盟の踊り居合の方が私の刀法が気に入らないらしい(笑)

初心者にも習いやすいようにと制定されたもので、居合の幽玄な趣など目的とされていない。

そういう目的外のことをコメントされてくる方もいて「よくわかってないのだな~」という感想だ。

 

さて、日曜の虎乱洞では、城一水VS豊水という師弟での組み合わせで「居合形」の習得が進んだ。

 

打ちに立った無維庵師範の八相にたじたじとなっている豊水2段だが、入門当初と比べると見違えるような太刀筋を見せてくれる

組太刀という新しい課題も楽しんでくれているようだ

 

無端塾の稽古では私が直接居合形を指導することはまれだった。

もちろん人数が多いのが理由だったが、ここ天神山では少数精鋭で、直に私の太刀筋を体験できるメリットがある。

 

昔、少年部を指導していたときに工夫した紐状のもの(ここでは鞘付木刀のさげ緒)で斬り込んで見る

 

どんなコースが求められているのか?どれくらいのスピードと圧力なのか?

ひもだから当たってもいたくない、思い切ってゆける。

 

面白い、興味深い、やって楽しい稽古になった。

 

表題だが、居合形も刀法と同じく、習いやすいダイジェストだ、私はいろいろな工夫を加えて、目的とする「身体動作」

間合い、拍子、軸線の移動、打太刀の圧力を克服する仕太刀の工夫を習得してもらっている。

 

順番をうまくやっても中身がないのではあきません!

 

12年前の映像が出てきました。

覆い被さるような私の八相、相手はいまや浮雲曾の師範 有城齋

年月はいたずらには過ぎない、彼の努力は実っている


巨きな「悪意」

2019年06月14日 | 安全な食品

「テロリストのパラソル」は故 藤原伊織氏の傑作で、乱歩賞、直木賞を同時に受けたというまれに見るフィクションです。

氏はフィクションの主人公たちと同じ東大で、時代も同じあの騒乱の70年代全共闘世代です。

おそらく「黒ヘル」関係者だったのでしょう。

 

その中で「おおきな悪意が世界を動かしている」という桑野(登場人物)の台詞が鮮明でした。

私も全共闘世代で、世代で思想を語ることはしない側に位置していましたが、まったく同感です。

 

現代のイデオロギーは史上まれな巨大な宗教として世界中に蔓延しています。

資本主義=拝金主義=競争原理・・・・・・

 

世の中には、動物の死骸を食べるのがいやだという理由でビーガンとして生きている方もあり

食べ放題の焼き肉+冷えたビールが大好きな方も多数いるでしょう。

 

いつから、こうした傾きが発生したのか、またその潮流にのりどうして「生き物」あるいは日本人としてのアイデンティテーがあやふやになったのか、そんなお金にならない研究をする学者もすくないでしょう。またごくわずかの人がそれらの傾きについて、いや、こうだよと異論を挟んだとして、「ガンはすぐなおる」とたくさんの本を出して活躍した安保徹先生のように、「すみやかに死亡」されてしまいますから、割に合わないですよね。

これも国家予算の3分の1が医療費でその半数がガンである、という数字の大きさを見れば、あらゆる関係者の邪魔です。

 

コンビニには食べたらいけない食品がならび、ホームセンターには除草剤が山積み、我々はおしまいでしょうか?

 

その警鐘の意味で15年ほど記事を書いてきましたが、このところ、別の観点が生まれてきたのも事実です。

それは自然淘汰の法則が人為的に仕組まれているのではないか? まちがった傾きも計算されたモノではないか?

その中で、伝統という時空を縦に貫く真剣道の端にいて個々の出来事とは別にサムライという特殊な戦闘者が築きあげた文化で事象を見てみる作業は実に興味深いモノです。

 

昨日でしたか、他流の方のブログを拝見して「浮雲」「颪」の変化を垣間見ました。

もともとその流儀は土佐に1週間ほど滞在し、正統からは相手にされず傍系にちょこっと習って、帰郷してから「創作」した古流とは呼べない性格のモノで、浮雲の足の意味に気がつくまで相当な年月を要したと記録があります。

その間に枝分かれした中山先生が「棒振り弟子」と嘆いた系統の方ならそのあたりで無理もない。

これも大きな傾きのひとつかもしれません。

 

音を立てて日本文化が崩壊している。

 

小説「亡国のイージス」で「最後に残った恥というイデオロギーさえ捨ててしまった日本人」というくだりがありますが、嘆息すること幾たびでしょうか。

 

あじさいが咲いています。

窓外雨、紫陽花の一枝を切ってきましょう。

 

 

 自分の風流のため咲いているモノを切る、これがサピエンスの仕業です。

あなたもそうであるように、私もそれらにすべての物事に荷担し生きてきた責任を免れようとは思っていません!

 

 

 


未来に対する責任

2019年06月12日 | 書簡

前略、○○6段

ご質問に接し、貴殿の真摯な求道の熱意を感じ、うれしく、またありがたくお礼を申し上げます。

形而上の諸問題は、実に複雑で、立場により180°の転換をはらんでいますね。

A1

現在は資本主義が崩壊する前夜であることはもちろん疑念の余地はありません。

シナには13億人の人々がいて、さらに日本の人口に匹敵する1億人が戸籍を持たないまま生きています。

その首都ペキンでは公害のため50m先が見えないスモッグが発生し人々の健康を圧迫する事態となりました。

シナ人はもちろん他の諸国民と同じく「幸福」を追求する権利があり、そのために努力をしています。

しかしながら、14億の人々がよりよい暮らし、たとえば平均的日本人の生活をするとなると、世界の自然は崩壊し、海は今まで以上に汚染され、地球という環境自体が壊滅するというおそろしい予想:計算は、事実でしょう。

では、シナ人には道路で排泄をする生活を強いて、日本人はきれいなトイレで用を足す・・・のが正しいのでしょうか?

ここでは、シナという隣邦を例にとっていますが、サハラ以南の700万人は1日1ドルで飢えをしのいでいることを忘れてはいけません。

 

 

 

A2

業前に対する観点と包括的な視座とはかけ離れたモノであるという仮説

英信流が現代に浮上してはや70年が経過しようとしています。

なぜ、浮上したか?という視座からは次のような事柄を推論できるでしょう。

①GHQによる日本文化の圧殺から生き延びた最後のサムライたちが圧迫をバネに武士道精神を復興しようとした。

②荒廃した祖国再建のために「武道」が必要と思われる時代的要望があり、それに応えうる人材がいて、マッチした。

③強力な世界体系(アメリカ文化)ーパクスアメリカ-ナ思想はその時代を席巻していたけれど、それに対抗する気概が残っていた

 

A3

我々が知っておくべき事をカントは次のように説明していました。

何をなすべきか

何を知りうるか

何を望みうるか

 

私は足るを知る人でありたいと望みます。

たとえば、欲しい欲しい、惜しい惜しい という心根で武道に向かうとき

試合に勝ちたい、段が欲しい、負けたら口惜しい、そのために努力する=間違った文脈ではないでしょうか

 A1での伏線のように、幸福は誰しも求めていいのだが、他者の不幸と裏返しという面もあります

だからこそ、基道館では全員が「循環無端」の胸章を身につけ、キビシイ縦社会の中でも稽古が終われば円陣を組みお互いの稽古に尊敬の念を表するのを習いとしています。

あやふやな価値観が横行する時代ですが私のキーコンセプトは変わりません。

「自分に向かってやるのが居合で、人に見せるためではない! やがてその修業がいささかでも人様世間様の役に立つように心を向けなさい」

450年の居合の歴史に接し、資本主義の壊滅にシンクロする日本武道であってはならないという気持ちです。

その歴史の一コマとなり包括的な視座を提示するのは私たち基道館の責務であり、喜びではないでしょうか?

消費税が10%になるから、自分の年金がどう変わるかなどという些末な議論がわかりやすいのですが、100年先に日本人が絶滅する転換点に遭遇した居合者が身の回りでできうることをそれぞれのスタンスでやりきる事が重要です。

私は今まで知り得たことで十分です。まだ細かいことまでを知りたいでしょうか・・・・

深く耕せば味わいも変化するモノです。

そんな視座に在ることは多かれ少なかれそれぞれの社会観、その決定的な選択について自信を付与してくれました。

 

貴殿はこれからの「伸びしろ」がたくさんあります。

あれこれ目移りするでしょうね、それも仕方ないことですがこれだけは守ってください

 

「師伝を墨守する」それは遠い昔発信された信号があなたに届き、またその信号を未来に発信することと同じです。

 

推敲しないで乱文となりました。お詫びします。 匆匆

令和元年 6月12日    無端