まっすぐな道でさみしい 山頭火
普段はTVなど見ない。
しかし、早坂さんの「花遍路」は特別で、その慈愛に満ちたストーリーは、松山人としてはすごく好きなお話です。
昨日のダーリンと息子たちの写真も、北条鹿島の水晶が浜手前で撮影しました。
桃井かおりさんが主役のころ、桃井フアンの私たち夫婦は必ず見ていたドラマでした。
早坂さんの「うつくしむ」という言葉も初めて聞きました。実にきれいな、そして深い言葉が日本語にはあるものですね。
話の中で、お大師様がなくなるとき、大勢のお弟子さんが一緒に逝きたいと訴えたところ、お大師様は「手を合わせ,南無大師遍照金剛と唱えよ、私はいつもあなた方と一緒だ」というお話に涙が流れました。
会いたい人がいる、その面影を胸に抱いて、お遍路になるとき、かならず会いに来てくれる。
じつにニンゲンの深さを知る言葉です。
だれしも、近欲に翻弄される、それも業でしょう。
私は10年先 100年先にまで枯れない「居合のはな」を植えたいと思っている。
自分にできることを自分に科している。
お遍路の笠に「同行二人」と書いてあるのは、お大師様と二人連れという意味です。
私もお大師様に助けてもらって居合遍路の道を歩きます。
私の場合は同行四人、お大師様、斎藤先生、村上先生が導いてくれるはずです・
おっと、ご先祖様もいてくれるでしょう。
自分を愛してくれた人の言葉は、60年たっても忘れていない。
小学校に上がる春、祖母に手を引かれお参りした石手寺、お大師様に手を合わせた。
私は祖母を見上げて尋ねた「ばあちゃん、何をお願いしたん?」
「あんたが勉強できるようにおねがいしたけん」
被差別民ながら高等小学校を出た祖母の優しい言葉だった。
私は、その経験から、差別する人は嫌いだ、人種であれ、身分であれ。
ニンゲンには尊厳がある。それをどんな人も見下すことはできない。
の宣言に「人の世に熱あれ」という力つよい言葉がある。
註 大正生まれの祖母は被差別に生まれた、当時は民は教育など望むべくもない。字が読めない人が大半だった。
勉強ができる(学校へ行くことが可能である)という意味は彼女にとりどれだけ大きな意味を持っていたのか後年になり理解できた。
ところが、忽那水軍の血脈をうけた祖母は相当に賢かったらしく、北条にあった村の親族一同は食べるものも倹約して彼女を支えたという。
そして、若くてきれいで賢い彼女は、松山一の植木職人と呼ばれた「植浜」と結婚、彼女の才覚で、御宝町にあった私の生家はみるみる頭角を現したそうだ。
裕福になった「植浜」に私の父は養子にもらわれた。つまり祖父母と血縁はないが、大好きなおばあちゃんだ。いまでも彼女を思い出すとありがたさに涙がこぼれる。
註2
尋常高等小学校(じんじょうこうとうしょうがっこう)とは、日本において国民学校令が施行される前の学校のうち、尋常小学校の教科と高等小学校の教科とを一校に併置した小学校のことである。国民学校令の施行とともに国民学校に改組された。
実質的には、尋常小学校と高等小学校が一校となっているものである。ただし、尋常小学校は義務教育の実施校であったが、高等小学校は義務教育の実施校でなかったので授業料を徴収していた。
父のことはまた書くこともあるでしょう。これにも忽那水軍のドラマがしこたまあります。
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