エッセイブログ~すべらない話し~

 私のまわりでおこる様々な出来事。恋あり、笑あり、涙あり、人生ブログ。

五木寛之様。

2007年11月22日 | エッセイ (2007)
 先週の土曜日に佐賀に講演会で五木寛之さんが来ると言う事で早速チケットをとり姉と行って来た。
 大好きな小説家で、仏に近いといつも姉と語っていて、緊張したが一番前で見る事が出来て感無量であった。
 心の風景と題してあって、七百人くらいお客が来てた。お年寄りが沢山来ていた。話が面白くあっというまの二時間であった。
 現代では、心が病んでいる。安部前首相や相撲の朝青龍、ボクサーの亀井にしてもそう。
 国を支える人達がそんな感じで、私達が心が萎えるのは何故だろうと考えた時に、やはり毎日起こる辛いニュースではないか。妻が夫を斧で殺し、子供が父をバラバラにして殺す。そんなニュースを毎日のように見てたら、ひょっとしたら心優しい人なら病まないはずはない。
 かえってこんな時代に朝早く起きて、バリバリに一キロくらい走って仕事場に向かい、食欲旺盛でニコニコしてる人の方が病気ではないかと言って笑いを誘っていた。
 そんな風に現代では鬱の時代に入って来たのではないか。と言って黒板に「憂、愁」と書いて説明した。
 小説家だけあって字から物事をとらえようとする姿勢に感動した。

 後、北海道で五木さんが講演した時に最後におばぁさんがトボトボ歩いてきて、「ナンマンダブ。」と言って手を合わせて拝んだ話に笑った。
 そのおばぁさんの話で、孫が「死んでも大丈夫よ。おじいさんが天国で待っているから心配ないよ。」とおばぁさんを気を使って言ってたら、おばぁさんが「だから死ねない。」には大笑いした。
 あんなに難しい話をユーモラスに語り、惹き付ける五木さんをますます好きになった。
 魅力的という言葉は五木さんの為にあるんじゃないかとさえ思った。
 私も最後拝みたくなった。

 写真は、最後に花を受けとる五木寛之さんです。

フランクミューラー。

2007年11月05日 | エッセイ (2007)
 昨日は、200名限定のフランクミューラーのパーティーが当たったので、姉と福岡のグランドハイアットに行ってきた。
 まったく。姉と高級ホテルに行くのは二回目だ。
 一度目は、お~いお茶のパーティに出席し、東京の帝国ホテルで凄かったが、今回も凄かった。
 まるで時間の世界に迷い込んだ不思議の国のアリスみたいな感じで、ハイアットがかっこよく、ミューラー氏の話しが勉強になった。
 複雑な時計の仕組みから、人生では人がいかに時間と共に過ごして、それが楽しい時間だったり、嫌な時間だったりする。同じ時間なのに私は楽しさを伝えたいと言って、四百年狂わない時計や心拍数が計れる時計を作ったと言った。
 遊び心があり、楽しそうに語っている姿は少年のような瞳があった。
 私としては真ん中にあるルーレットで遊ぶ時計が欲しかったが、値段を見たら気絶しそうな感じでとても買えないが、諦めず十年後くらいには買いたいなと思った。
 本当素晴らしい時間で、一言一言胸に刺さった。
 ミューラー氏はそんな楽しい人生という時間をとても大切にしている人だなと実感した。

 そして、席を一緒にした38歳の男性と姉と話したが、お医者さんで腕にはため息が出るくらいミューラーの時計が光っていた。
 スーツもアルマーニみたいで言葉使いもパーフェクトで、私は何を話していいかわからず、アニメの話しをふってみたり、本や映画の話しをふったが、苦笑いをされたけど、ちゃんと答えてくれた。
 本当いい人そうで顔ににじみ出るものがある。
 世の中には、金持ちで頭がいい人もたくさんいるんだなと思った。
 
 だけど、ガラス越しに写っていた目の前のキャナルシティでイベントがあってて、大道芸人やおばさん達が楽しく踊っていてそれを見ている大勢のお客さんを見て、何故か哀しい気持ちになった。
 ガラス張りだけど、大きな壁みたいな隔たりみたいな空間がそこには確かにあった。
 こちら側は、スーツをバリッと着ている紳士達が酒を交えながら百万や五百万の時計の商談を成立させている。
 この隔たりみたいな空間は、どこから来るのだろうか。
 
 ミューラー氏がいうように時間は皆平等なのだろうか。
 
 それから私は、ただの高級な紅茶とお菓子をリクルートスーツでカッコつけて飲んだり食べたりしていた。

 写真は、フランクミューラー氏です。