加藤与五郎は博士は明治5年7月2日誕生、若くして母こうをチフスで亡くし、本人もチフスで大患、新しく母たかを迎え、小学校に通学を再開、野田村西屋敷で誕生、野田小学校入学(現在の双葉小学校)小学校卒業小学校授業生(教師)検定試験に合格し鶴ケ崎(現碧南市)小学校授業学心得となる、若くして研究心に長けていた。
加藤与五郎記念館のメーンホールに有った、教訓と肖像。
この度は、以下モノクロで撮って来ました。
加藤与五郎博士の、数々の功績を記している。
フェライト磁石、(酸化金属磁石)フェライト制コア(酸化金属磁石)アルミナ
(酸化アルミニュウム)と世界3大発明をしました。これらは、テレビ、ラジオ、
電話、磁気テープ、コンピューター、現在のエレクトロニクスに不可欠なものと成っています、加藤与五郎は「フェライトの父」と称賛され、多くの発明をした事
から『日本のエジソン』とも呼ばれ世界の工業会に大きな貢献をしました。
この様な教訓を、送って居ます。
記念館に展示して有った。
加藤与五郎、生誕の地、
生誕地まで行く細い路地、当時はリヤカーが通ればよかったのでは?。
刈谷市教育委員会の名盤、
加藤与五郎生誕地に石塔。「生誕地の清掃は双葉小学区の生徒が行って居る」
昌福寺に有った「加藤与五郎博士」生誕の地の案内板。これより180m車では行けない道幅が狭くて、カメラぶら下げ、杖を頼りに行ってきました。
昌福寺の観音像、加藤与五郎の葬儀が営まれたお寺。
昌福寺の山門、このお寺で、安らかに眠ってみえる。加藤与五郎博士は、明治42年
8月13日午後4時熱海の自宅にて永眠。(95才)
令和元年12月28日投稿。
競って、『創意工夫』に力を入れて居るみたいです、目的は「与五郎賞」を受ける、物作りの県としては、喜ばしい事ですね。
フェライトの発明で磁石が一段と強力になり電子機器は小型になりましたね。
すごく勉強になりました。
学校で創意工夫で、優秀な生徒は、
「与五郎賞」が頂けます、愛知は物作りの
県として発展して行く為には、不可欠な、
努力ですからね。
掛かりました、まず昌福寺を調べ生誕地跡
に行き、記念展示室を探し宛て、何方も
野田町に在りました、加藤与五郎展示室は
南部生涯学習センター「たんぽぽ」1階に
在りました、一人静かに観覧してきました。
記念館には行ったことがないです。
モノクロで撮ると、
加藤博士がご活躍だった頃の時代を感じさせて良いですね。