快談爺流離日記

思いの儘に記す自然を好み手近の被写体を撮り歩く暇爺。

奈良の旅其のⅠ

2012年02月03日 14時48分46秒 | 旅・近隣の風景
2月1日に奈良の春日大社初詣と平城宮跡の見学を行なってきました、
本来なら2月2日を予定していましたが急遽変更して出かけてきました、
幸か不幸かは判りませんが、2日は全国的の寒波襲来でしたから幸でしょうね、

でも東名阪を走行中にも吹雪に見舞われ前方の視界が悪い時間が有りましたが、
天理に入った時には雪も止み曇り空の旅でしたが、底冷えと強風に悩まされながらの平城宮跡の見学でした、
此れも平城宮跡の面積の広さからくる吹きさらしの風の強さでしょうね、
平城宮跡の敷地は甲子園が30個入る広大な敷地を有しています、
『ユネスコ世界遺産に登録』されていて此処だけでしょうと(平城宮のガイド)さんの話では世界で此処だけでしょう鉄道路線が中央を東西に走っているのは、
(近鉄奈良鉄道、大和西大寺駅~新大宮駅)間に位置しています、平常なら中間に駅が出来ても良い距離だそうです。

1画は、吹雪の中を一路天理ICへ、

2画は、平城宮跡、「朱雀門」(復元)朱雀門右の門から彼方に見えるのが大極殿、
朱雀門から大極殿迄の距離800m有ります、
朱雀門では、外国の使節の送迎を行なったり、正月に天皇がこの門まで出向きお祝いをすることもありました、
朱雀門は5.5mの築地が巡り130haの広さの宮城を取り囲んで居ました、

3画は、「第一次大極殿」(復元)朱雀門から真北に800mと離れ正面四十四米、側面二十米、地面より高さ二十七米、
直径七十センチの朱塗りの柱四十四本、屋根瓦九万七千枚、
当時、天皇の即位式や外国使節との面会など、国のもっとも重要な儀式の為に使われて居ました、

4画は、遺唐使船(復元)留学生、留学僧、通訳、医師、技術者、学問を学ぶため渡り帰国した遣唐使は、その知識を政治文化に役立て平城京の国つくりに大きな影響を与えた、、
渡航回数20回企画されたが、しかし実際に唐に渡ったのは15回で天候不順で中止された、
動力は帆船(帆は竹を割いて編上げたも)と魯を使用していた、
遣唐使船の諸元
全長、30m、全幅、9.6m、排水量、300t、積載荷重、150t 

5画は、遣唐使船の船上、手前ひだりの四角い竹の笊の様なのが釣り下がっていますが帆船の帆です、

奈良の旅其のⅠの画像

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