けずろぐ Kezu-log

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ドキュメンタリー2作品シネマリーン上映 2/20(土)~

2010年02月12日 | 映画とか

今回の特集は「嗚呼 満蒙拓団」と「花の夢-ある中国残留婦人-」の2本がシネマリーンで上映されます。

日本政府の国策として「お国のため」と中国大陸へ入植させられた日本人移民の悲劇を追った2作品です。

上映日程:2/20(土)~2/26(金)
前売券:単作品券1,000円、2回券1,500円(お得!!)
当日券:一般1,200円、シニア1,000円、中高大生800円 ※小学生以下無料


【嗚呼 満蒙開拓団】
(120分) ①12:10~ ②18:35~


2008年キネマ旬報文化映画ベストテン第1位
2008年日本映画ペンクラブ文化映画ベスト1
2008年東京国際女性映画祭オープニング作品
2009年文化庁映画賞受賞

■作品紹介
1931年の満州事変以後、当時の日本政府の国策によって、数多くの日本人が中国大陸の旧満州(現・中国東北部)、内蒙古に入植させられた。満蒙開拓団と呼ばれたその日本移民たちは1945年の太平洋戦争敗戦まで送り込まれ、その人数は約27万人にまで及ぶと言われている。しかし、ソ連の満州進駐、そして日本の敗戦によって、そのうちの約8万数千人が帰国できずに亡くなっている。そんな中、ある残留婦人の言葉を機に、中国の周恩来総理の指示により、満州移民の遺骨を納めた「方正地区日本人公墓」が政府によって建設された。2002年に始まった中国の残留孤児の国家賠償請求訴訟を通じて、偶然この存在について知った羽田澄子監督。現地へのインタビューを基に、日中友好へと思いを馳せる

■満蒙開拓団のことの映画について…監督:羽田澄子
私は旧満州の一部と見られていた関東州の大連に生まれ、小学校も女学校も旅順。そして戦後引き揚げてきました。しかし、同じ満州でも最南端の都会に暮らしていた私は、戦後満州の奥地で起きていたことを知りませんでした。知ることになったのは1981年、「中国残留日本人孤児」の訪日調査がはじまり、さらに 2002年に中国「残留孤児」国家賠償請求訴訟が始まったことがきっかけでした。裁判がどうなるかと見守っている間に、中国東北地区の方正(ほうまさ)県にある「方正地区日本人公墓」のことを偶然知ることになりました。
方正地区には、ソ連の満州進駐、日本の敗戦によって、満州の奥地から多くの開拓民が避難してきて、ここで数千人もの人が亡くなっているのです。「この人たちの遺骨をお墓に」と願った、ある残留婦人の思いを受け止めたのは中国の周恩来総理でした。周恩来の指示によって、中国方正県政府が建設したのが「方正地区日本人公墓」なのです。「お国のため」と送り込まれた満州移民は敗戦によって、遺棄されたのも同然となりました。その体験者の多くはすでに亡くなっていますが、多くの方に取材し、日本の近現代史を振り返り、日中友好が大切であることを考えました。

制作・配給 自由工房
http://<wbr>www.jiy<wbr>u-kobo.<wbr>com/

映画瓦版「嗚呼 満蒙開拓団」
http://<wbr>www.eig<wbr>a-kawar<wbr>aban.co<wbr>m/09/09<wbr>042402.<wbr>html

羽田澄子監督はドキュメンタリー映画界では大巨匠です。
「終わりよければすべてよし」の上映会の時は遙々宮古まで来て下さいました。
早池峰神楽がユネスコ無形文化遺産になった事を記念して
上映した3時間を超える長編ドキュメンタリー「早池峰の賦」も羽田さんの作品でした。


 



【花の夢-ある中国残留婦人-】
(97分) ①10:20~ ②14:20~

■作品紹介
栗原貞子さん、81歳。東京・江東区の都営アパートで、老いた白い猫と共に静かな老後を送っている。1944年、栗原さんは18歳の時に中国・東北部、当時、満州と呼ばれた地へ渡った。「お国のために尽くしたい」希望に燃えての旅立ちだったが、その直後に日本は敗戦。混乱の中、帰国することができず、その後35年もの間“中国残留婦人”として生きることを余儀なくされた。小さな都営アパートの片隅で、誰にともなく語られる記憶。忘れ去られようとしている記憶、しかし、忘れてはならない記憶がそこにはある。
なぜ、これほど多くの女性たちが遠い異国の地で見棄てられなければならなかったのか。戦争によって人生を狂わされ、ようやく生き延びたものの、中国残留婦人となってからの栗原さんの人生もまた苦難の日々だった。それでも、人々と出会い、家族を持ち、中国の大地にしっかりと根を張って、栗原さんは新しい人生を切り拓いていく。「何があっても生き抜く」。あの時代を生きた女性たちの命への深い思いに、監督である東志津は心を強く揺さぶられたという。「あの野原にいっぱいに咲いた花。それを見るのが一番楽しかった。うん。きれいだったよ。それが思い出だな」栗原さんを励ましたのは、あの中国の大地一面に咲き誇る花だった。その美しい大地に散っていった若い命は、どんな明日を夢見ていたのか。「花の夢」に耳を澄ませ、今を確かめてほしい。(作品資料より)

■本当のことを知りたい・・・「花の夢」監督:東志津
 たった60年余り前、異国の地でこんなにも辛い体験をした日本の女性たちがいたことを、今、どれだけの人が知っているでしょうか。私自身、栗原さんに出逢うまでは何も知りませんでした。なぜ、これほど多くの女性たちが遠い異国の地で見棄てられなければならなかったのか・・・ふとしたきっかけで出逢った孫のような年頃の私に、栗原さんはあの戦争の記憶を静かに語ってくれました。「野や山に死んで棄てられた子供、助けられなかったあの悔しさ。戦争ってなんだろうか・・・今も思えば、腹の煮えくりかえる思いです。」
 戦争によって人生を狂わされ、ようやく生き延びたものの、中国残留婦人となってからの栗原さんの人生もまた苦難の日々でした。それでも、人々と出逢い、家族を持ち、中国の大地にしかっかりと根を張って、栗原さんは新しい人生を切り拓いていきます。「何があっても生き抜く」。あの時代を生きた女性たちの命への深い思いに、私の心は強く揺さぶられました。
「あの野原いっぱいに咲いた花。それを見るのが一番楽しかった。うん。きれいだったよ。それが思い出だな」
 栗原さんを励ましたのは、あの中国の大地一面に咲き誇る花でした。その美しい大地に散っていった若い命は、どんな明日を夢見ていたのでしょう。「花の夢」に耳を澄ませ、私たちの今を確かめたい。現代を生きる私たちの、遠い記憶への旅が始まります。花は散ってもまた種を落とし、命は続いていくように、栗原さんの記憶は映画となって私たちに引き継がれます。この作品は、それを受け継ぐ私の、そしてひとりひとりの物語でもあるのです。

いせフィルム
http://<wbr>www2.od<wbr>n.ne.jp<wbr>/ise-fi<wbr>lm/inde<wbr>x.html

こちらはいせフィルムでいつもお世話になってた東志津さんの作品です。
現在東さんは、文化庁の新進芸術家海外派遣制度で. フランスはパリへ行ってます。

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