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#691: 映画「セッション」

2015-05-19 | Weblog
まだご覧になっていない方もいるだろうから、ネタバレしない範囲で詳しく紹介したい。映画「セッション」(Whiplash/デミアン・チャゼル監督)である。
若く才能あふれるジャズ・ドラマーと名門音楽学校の鬼教師との壮絶な「格闘技」、いや「レッスン」を描いた作品で、鬼教師を演じたJ・K・シモンズの演技(アカデミー助演男優賞受賞)と撮影当時28歳だったというチャゼル監督の演出はスピード感があった。また主演したドラマー役のマイルズ・テラー(冒頭画像)は若き日のエルヴィス・プレスリーにちょっと似た風貌で、実際に手から血がにじむほどのドラミングを行ったという。劇中流す血は本人の血らしい(?)。

19歳のアンドリュー(M・テラー)は、バディ・リッチのような偉大なドラマーに憧れ、名門音楽学校へ進んだ。日々孤独に練習を打ち込みつつも、映画館で働く大学生のニコル(メリッサ・ブノワ)に恋心を抱いていた。
ある日、指導者として高名なフレッチャー教授(J・K・シモンズ)が現れ、アンドリューの卓越したプレイを聴いて、音楽学校の最高峰のビッグ・バンドに招く。ニコルとの交際も始まって有頂天になったアンドリューだが、練習初日、フレッチャーの登場とともに、異様な緊張感に包まれるメンバーに違和感を覚える。開始早々、罵声を浴びせられ、泣きながら退場させられるバンドメンバーを目にして度胆を抜かれる。
フレッチャーは徹底した完璧主義者であり、苛烈な指導を容赦なく行っていたのだ。



何といっても、このレッスン風景がすごい。音を外すとパイプ椅子が投げつけられたり、テンポがずれると平手打ちを見舞われ、罵声を浴びせられるのだ。

理不尽で暴力的なレッスンを見返そうと、激しい練習に没頭するアンドリューは、時間が無駄になるという理由でニコルとも別れ、特訓を繰り返すが、主ドラマーの楽譜めくりの役割しか与えられなかった。
ある日、大事なステージで主ドラマーの楽譜を無くしたアンドリューは、記憶を頼りに自分がドラムスを叩き、完璧な演奏を披露する。しかし、フレッチャーは明らかにアンドリューより技量が劣る別な学生に主ドラマーの地位を与え、アンドリューを補欠に降格させる。偉大なドラマーになることへの執着と猛特訓によって培われたアンドリューの自負心はフレッチャーの逆鱗を無視できるほどのものとなっていた。


「セッション」というタイトルは、ジャズを強調したものだが、あまりいい邦題ではないと思う。原題の「Whiplash」の方はむちを打つという意味で、時にドラマーが襲われるという「むち打ち症」を指す言葉だし、激しい指導を象徴する言葉でもある。加えてしなやかなドラマーのスティックさばきもイメージさせるなかなかうまいタイトルだ。
さらに劇中で使用される演奏曲のタイトルでもある。作曲者は泣く子もだまるハンク・レヴィで、有名なところでは、ドン・エリス率いるビッグ・バンドに向けた変拍子ジャズのスコアを提供している。ドン・エリスといえば、かの映画「フレンチ・コネクション」の音楽を担当したトランペット奏者だが、70年代にオーケストラで変拍子ジャズを演奏し名を馳せた素晴らしいバンド・リーダーだった。蚤助は70年に「フィルモア」でライブ録音されたレノン=マッカートニーの「ヘイ・ジュード」を聴いて完全にノックアウトされた覚えがある。そのドン・エリスが録音した「Whiplash」のオリジナルが73年録音の「Soaring」というアルバムに収録されたもの。インテリジェントで変幻自在のリズムが味わえる。


この映画、注目作とはいえ、マニアックなジャズ映画だと思ってそんなに混むことはないだろうと予想していたのだが、案に反して年齢層は高めながらもかなりの客が入っていた。狙った上映回を逃してしまったら、そんなセッション(殺生)なハナシはない(笑)。

あれやこれやの曲折を経て、アンドリューはフレッチャーについに殴りかかってしまい、音楽学校を退学させられる。ドラムスへの情熱が消えてしまったアンドリューは、父親(ポール・ライザ―)が接触した弁護士の勧めで、フレッチャーの厳しい体罰の犠牲になる生徒が二度と現れないように匿名を条件に、自分の受けた体罰について証言、フレッチャーは音楽学校から追放されることになる。

満たされぬ日々を送るアンドリューはある日、フレッチャーがジャズクラブでピアニストとして出演しているのを知りクラブを訪れる。フレッチャーは彼を引き留め酒を飲みながらかつての自分の振る舞いについて語り、来る音楽祭で指揮をとるバンドのドラマーの技量が十分ではないこと、レパートリーが音楽学校時代のものであることを告げ、アンドリューにドラマーの代役を依頼する。フレッチャーの率直な弁明に感銘を受けたアンドリューは、再びドラムスへの情熱が甦るのを感じ、これを受けることにする。そしてカーネギー・ホールで行われる音楽祭の当日がやって来る…。



(J・K・シモンズ)

クライマックスのおよそ10分間が実に素晴らしい。誇張でも何でもなく、圧巻で痛快だった。
ただ、突っ込みどころも結構あり、いまどきこんな音楽教育を施す学校などあり得ないし、実名で登場するジャズ・ミュージシャンのエピソードや位置づけが事実と異なるという指摘もある。また、難曲、ジャズ用語などが出てきて、普段ジャズと馴染みのない観客にとって興味が削がれるのではないかとの危惧もあった。だが、細かいキズは最後の10分間のカタルシスで雲散するはずだ。
エンターテインメントとして成功した作品だと思う。

それにしても、音楽祭の舞台に立つならばリハーサルくらいやるのが普通だろ!…とツッコミを入れておきたい。

特訓をやらせてみたい鬼コーチ  蚤助



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2 コメント

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驚きましたよ?! (marucox)
2015-05-20 09:01:00
今、伺ってビックリ!
私も昨日、この映画についての記事をアップしたばかり、観たのはひと月以上もまえなのに。俄かに心臓バクバクです。

音楽ファンならずとも引き込まれる内容だし、アカデミーその他受賞もしてるし、公開を待ちかねていた作品でした。
名古屋公開初日に行きましたが、凄い人でした、若い層も多かったですよ。
期待値が高すぎてがっくりということも少なくないのですが、充分楽しめ、演奏シーンも(特に最後)、超絶技巧というのでしょうか、素晴らしかった。うちのバンドのドラマーにも是非観ることを勧めたいと思いながら、日が経ってしまいましたが(汗)
やはり、ジャズにはお詳しい蚤助さんから見れば、突っ込みどころだらけでしたか?私も最後の演奏会シーンは、リハもなくいきなり行って本番かよ!と思いましたが(笑)
フレッチャーは、若い芽を摘むことにある種の快感を覚えるタイプの指導者で、そんな彼の過酷なレッスンにただ耐えるだけでは一流の演奏者になれるはずはない、ニーマンにはそれ以上の何かが備わっていた、もしくは過酷な状況の中で学び身につけていった、それはフレッチャーにはない若さの成せる奇跡だったのかもしれない。そしてあの神がかり的なプレイが生まれた、そんな感想を持ちました。
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こちらもビックリ! (蚤助)
2015-05-20 12:49:44
同じ日に同じ題材をブログにアップするとは…(笑)。
さいたまでは、他の都市にくらべ公開の時期が遅かったのですが、半月ほど前の公開初日の初回を観てしまいました。
「ドナ・リーを5小節」なんてセリフもありましたし、ジョー・ジョーンズ、チャーリー・パーカーやウィントン・マルサリスの名前が出てきたり、ジャズに詳しくない人はどう感じたか懸念されたのですが、杞憂だったようです。
見応えがありました。満足です。
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