時代は、過ぎて2021になった。
令和3年。
いろんなことが変わった。
なんと、最初に書いたブログは、今から16年も前のものだった
長男が8歳の頃という計算になる。
そんな、子供も、僕に自分の名刺を渡す歳になった。
僕の親父は、その間に老人ホーム入った。
時代が「通り過ぎる」という感覚になれているはずだったが、「ふと、立ち止まる」には、どうやら、慣れていなかったみたいだ。
「一日を積み重ねる」という、ゆるぎない言葉の厳しさとやさしさを感ずる。
「考える」には、いつも、きっかけがある。
それは、突然に来る
今、「ふと、立ち止まる」と「考える」が、同じタイミングで来ているみたいだ。
「そうだったはず」が、「そうではなかった」という事かもしれない。
だから、不安になり、悩む。
しかしながら、不安も悩みもない人生がたのしいだろうか・・・・
「答えはない」というフレーズを耳にするが、「答えはある」と思う。
「ない」が「ある」が答えかもしれない。
そう考えると、すでに答えはでてることになる。
「行動を起こしたがいい」というフレーズも耳にする。
それは、「ない」が「ある」という点を通り過ぎたときに多分、体が動いている。
「ない」が「ない」ままで、行動を起こすと、また、変な迷いがちらほら見え隠れする。
「ない」という「ある」があれば、きっと、人は、いろんなことに向き合えて、自分を再構築できると思います。
令和3年。
いろんなことが変わった。
なんと、最初に書いたブログは、今から16年も前のものだった
長男が8歳の頃という計算になる。
そんな、子供も、僕に自分の名刺を渡す歳になった。
僕の親父は、その間に老人ホーム入った。
時代が「通り過ぎる」という感覚になれているはずだったが、「ふと、立ち止まる」には、どうやら、慣れていなかったみたいだ。
「一日を積み重ねる」という、ゆるぎない言葉の厳しさとやさしさを感ずる。
「考える」には、いつも、きっかけがある。
それは、突然に来る
今、「ふと、立ち止まる」と「考える」が、同じタイミングで来ているみたいだ。
「そうだったはず」が、「そうではなかった」という事かもしれない。
だから、不安になり、悩む。
しかしながら、不安も悩みもない人生がたのしいだろうか・・・・
「答えはない」というフレーズを耳にするが、「答えはある」と思う。
「ない」が「ある」が答えかもしれない。
そう考えると、すでに答えはでてることになる。
「行動を起こしたがいい」というフレーズも耳にする。
それは、「ない」が「ある」という点を通り過ぎたときに多分、体が動いている。
「ない」が「ない」ままで、行動を起こすと、また、変な迷いがちらほら見え隠れする。
「ない」という「ある」があれば、きっと、人は、いろんなことに向き合えて、自分を再構築できると思います。
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