心のままに

月命日、そして冬至

昨日は冬至、そして今年最後の月命日。

前日にYちゃんがお墓参りしてくれていたので、きれいなお花が供えられている。

久々、主人とふたりでゆっくりお墓参りだった。

 

しばらく、お墓について整理しなければいけなかった。

地域の墓地委員会が埋葬されている人の確認作業をしているため。(法律でも決まっているそうで)

一ヶ月ほど前に書類が届いていたが、過去帳を調べ、お仏壇のお位牌を調べ、提出書類の下書きをして、、、やりたくない作業なので、なかなか進まなかった。

昨日は主人と一緒に過去帳や家系図も調べて、やっと正式書類を作った。

 

なぜここに、みつほの名前が連なっているのか。。。。。そんな思いが浮かびながらの作業だった。

 

我が家には何人かの子どものお位牌がある。

85歳という長生きをした方、子ども3人、孫2人、そして妻を見送られている。

どんなにか、しんどい思いをされて生きられたのだろうと。。。

男性だから、人前で泣くこともはばかられ、苦しい思いをされたのではないだろうか。。。

 

昔は寿命も短く、子どもが亡くなることも多かった。 

今の時代に照らし合わせると「子どもを亡くす家系」などと、とんでもない見方になってしまうかも、、、それは違うだろう。

子どもが健やかに育つということも割合として少ないわけだから。

そして、子どもを亡くすという経験をする人も身近にいた時代だったのだろう。

お互いに言葉に出し合っていたかもしれない、出し合ってはいなかったかもしれない。

どちらにしろ、心の奥底の悲しみが深いところで通じあえる時代だったと思う。

 

看取りも自分の家で、が当然の時代、それを経験することで、その悲しみを昇華する機会をいただいてきたのだろう。

生と死は身近なことであった。

どちらも日常からかけ離れたところに存在はしていなかったと思う。

 

今は、死を遠ざけてしまって、生も遠ざけてしまっているのかもしれない・・・。

祖父が亡くなったのは中二の時、「最期の場に子どもはいてはいけない」と妹と二人別室で両親や叔父叔母の泣き声を聞いていた。

私たちは「おじいちゃん逝っちゃったね。。。」と。。。

それなりに心のどこかにおじいちゃんの居場所を作っていく作業をしていたんだと思う。 

みつほの時のことは、思い出すのが辛いのだろう、、、祖父のことがしきりに思い出された。

 

家系図を見ながら、私たちへ引き継がれたものを思う。

そして、何を引き継ぎ、何を引き継いでほしいと思うのだろう、と子どもたちへの思いを馳せる。

 

月命日であり冬至の日、受け継がれるいろいろに思いを馳せた一日であった。

たくさんの命のつながりの中で生かされているこの命、、、大切に生きたいと思うようになったことに感謝

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