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北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

「喪われた悲哀」と「愛されない能力」 その2

2015-09-03 10:32:30 | 日記
ミッチャーリヒ夫妻の「喪われた悲哀」には、「ファシズムの精神構造」という、ちょっと怖

いような副題がついています、、、。結果的にファシズムを許してしまったドイツ民族の

社会心理学的分析だと思うのですが、「喪われた悲哀」の「悲哀」は、身近な人を失ったとき

などの(「対象喪失」と言うようです、、)、「悲哀の仕事」の「悲哀」なのでしょうか、、、?

(「悲哀の仕事」などと難しく言わなくても「悲しむ事」でも良いような気もしますけど、、)

でも、悲しんだり、涙を流したり、喪に服したり、お墓を建ててお墓参りをしたりするの

は、どうも人間だけのようです、、、。(「泣いたりする」って、大事なことなんですね。)

わたしはドイツ人の人に身近に接したことはないのですが、ミッチャーリヒ夫妻はファシ

ズムの台頭を許してしまったり(許すどころか熱狂してしまったり、、、)、敗戦後の「そ

んなことはなかった」事にしてしまったり、「自分とは関係ない」事にしてしまったりした

背景に、(どこかの国に似ているんです、、、)ドイツ人の人の「悲哀が喪われてしまって

いた」事が関係すると分析しているようなのです、、、。(ドイツ人の人たちが本当に「悲

哀が喪われてしまっている」かどうかは僕にはわかりません、、、。)


「愛されない能力」は、渡辺一夫さんの言葉ではなく、第一次世界大戦後のプロシヤ歩兵聯

隊大尉マルシャル・フォン・ビーベルスタイン男爵の言葉として、渡辺一夫さんが紹介し

ている言葉なのです。渡辺一夫さんは、日本人の中にも、この「愛されない能力」があるこ

とを見ているのです。家族は、その子供に「自分なんて橋の下から拾われてきたかもしれ

ないんだ、自分なんていてもいなくても同じなんだ。」などと思わせてはいけないので

す。

「お前は橋の下から拾ってきたんだ。」などと、嘘でも、親は子供に言ってはいけません。

(僕は兄達から言われたような記憶があります、、、。兄達も言われたのかも知れませ

ん、、。人間って言われたりされたりした事を真似たりしますから、、。)でも、そんな

ふうに扱われたり、言われたり、育てられたりした子供は、「自分なんて必要ないんだ。

いなくてもいいんだ。」と、自分で自分を我慢してしまう子供になってしまうのかも知れ

ません、、、。


日本人は、昔、子供を産めないお嫁さんを一方的に離縁して実家に帰してしまったり、

赤ん坊を「間引いたり」していた民族のようなのです。(他所の国や民族のことは良くわか

りませんが、、)ついこの間の事なのです、、、。私の親族の敗戦前の法事などのときの

写真を見たりすると、敗戦後の同じ人とは思えないような、無表情な生気のない、他人事

のような表情をしている事が、子供の頃は不思議でなりませんでした、、、。(今の人と

同じような表情の人って、私の親族の写真にはいませんでしたが、明治・大正・昭和のは

じめの人の中に、ごく僅かですがいることはいるみたいですけど、、、。冒険家や探検家

の人とか、、、。)



笹森儀助さん



笹森儀助さんは青森県弘前市出身の、不思議な方。

青森市長までした人ですが、家族を省みず、奄美

沖縄探検などしていました。1893~4年(明治26~

7年)頃に写された写真でしょうか?




『ある種の「負のエネルギー」のようなものが、だんだんと「滓(おり)」のように溜まって

きて、溜まりに溜まって、ある限界点を超え』そうになった時に、「悲哀が喪われてしま

って」いたり、「愛されない能力」なんて変な能力が身についてしまっていたりすると、そ

の事に、ある国民全体とかある民族全体は、みんなで耐えたり何とかしたり、声をあげた

り出来なくなってしまっているどころか、逆に、誰かのせいにしてみたり、自分たちの外

に解決を求めたり、自分たちだけは悪くないみたいになってしまうのかも知れないので

す。



         
            「喪われた悲哀」と「愛されない能力」 その3 につづきます。




追記  ロラン・バルト「表徴の帝国」に、二度も出てくる

    舟木一夫さんの写真です。(敗戦前ではありません。)


    


    同じく、一度だけですが、乃木静子さんです。


    


    殉死直前に、この衣装で写真を撮っています、、、。

    「殉死」って、「悲哀の仕事」なんでしょうか、、、、?  



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「喪われた悲哀」と「愛されない能力」 その1

2015-09-01 11:23:27 | 日記
「喪われた悲哀」と「愛されない能力」、どちらも、あまり聞きなれない日本語です、、、。


どんな個人でも、たとえそれが国家であっても、出来るのならば破綻とか破滅とかの一種

カタストロフィーのような状況は回避したいのが人情か、、、。(わざわざそんなものを好

んだりする個人や国家ってあるのか知らん、、、?)


北海道で住宅などの設計をしていると、人間というのは贅沢なもので、暖房の場合の快適

な温度の幅、つまり「スウィート・スポット」は、案外と狭いことが判ってきます、、、。

およそ22~23℃くらいでしょうか、、、。それも直接22~23℃の空気が風として身体に直

接あたったりすると具合が悪い、「寒い」とクレームになってしまいます。できれば輻射熱

として22~23℃くらいに感じると具合が良いようです、、、。人間の身体というのは、空

気とか床材などに直接に触れて、自分の身体から、自分の熱が奪われると、不快に感じる

ように出来ているのでしょうか、、、? 何かに触れても熱を奪われさえしなければ、それ

だけでも暖かく感じてしまうから不思議です、、、。(それが「生きている」ってことなのか

も知れません、、、。)


総理大臣などの政治家とか、日銀総裁などの金融機関の人とか、旧大蔵省とか現財務省の

役人の人たちの大きな仕事の1つは、財政とかいろんな意味で、この国家の快適温度とで

も言うべき「スウィート・スポット」を大きくは「はずさない」ことかな? とも思うのですが

、残念ながらこれは普段から相当に意識して事に当たらないと、なかなか上手くはいか

ない事柄なのかも知れません、、、。どうしても世の中と言うのは、時間が経てば経つほ

ど、ある種の「負のエネルギー」のようなものが、だんだんと「滓(おり)」のように溜まって

きてしまうようで、これが溜まりに溜まってしまって、ある限界点を超えると、あとは一

方通行路、もう引き返すことは出来なくて、短時間のうちに破綻つまり「カタストロフィ

ー」に陥って、最後は破滅です、、、。


第二次世界大戦で戦勝国にならなかった側の国、つまり敗戦国になってしまった代表的な

国が二つあるのですが、(このブログの『最近』の記事の中で、『木村尚三郎さんと言う方

の「ゲルマン的十字路」と「ラテン的十字路」の違いについて触れた文章があって、「ゲ

ルマン的十字路」と言うのは、町はずれの、ここで別れたら一生会えないみたいな「悲し

い十字路」で(どうも日本は「別れの一本杉」じゃないけどこちららしい、、、)、一方

「ラテン的十字路」は、みんなが出会って楽しいなみたいな「広場みたいな十字路」だと

言うのです。これには参りました。』と書いた二つの国です、、、。) このどちらの国

の、その構成していた一人一人の国民?の心の問題として、「喪われた悲哀」と「愛されない

能力」があったのではないか? と言われています。



ミッチャーリヒ夫妻 「喪われた悲哀」





左が奥さんのマルガレーテ・ミッチャーリヒさん、

図面の筒のようなものを2本抱えている右の旦那

さんのアレクサンダー・ミッチャーリヒさんは、

残念ながら設計士さんではありません、、、。



渡辺一夫さん 「愛されない能力」





駒込のご自宅の書斎でしょうか?




            「喪われた悲哀」と「愛されない能力」 その2 につづきます。 
                
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