「ヨルタモリ」の李澤京平(すももざわきょうへい)教授なんですけど、、、

タモリさん、もしかして岡野弘彦さんのYoutubeを見ているのでしょうか?
(これは小倉百人一首ではなくて源氏物語)
でも、もしそうだとしたら、タモリさん、これはやめて下さい。
岡野弘彦さんって、凄く偉い先生なんです、、、。
僕が折口信夫さんの事を知ったのは、

本屋さんで偶然手にした、この本の中公文庫版。
岡野弘彦さんは、この本の著者ですし、最近ではずーっと、お正月の宮中歌会始の選者を
しておられる方なのです、、、。
この「折口信夫の晩年」っていうのは凄い本で、もちろん師弟関係とは何か?について考え
るのも良いんですけど、なんたって、男色(ホモ)でコカインを鼻から啜りながら学問して
いた学者さんが居たって言うんですから、ビックリしたの何のって、今だったら、チャゲ
&飛鳥の飛鳥さんじゃないけど、すぐにスキャンダルになって大変です。(国学院大学教
授にして慶應義塾大学教授だったんですから、、。)もちろん一生独身、結婚なんてする
訳がありません。(でも「養子」は貰いました、、、。それも、かなり成人の、、、。)まあ
戦前と戦後の一時期、その方面に関しては、かなりゆるーい国だったと言う事で、、、。
岡野弘彦さんは、大井出石(いづし)の折口信夫先生のお宅で、先生が亡くなる時まで、先
生の身の回りのお世話をした、先生の最後のお弟子さんだったのです、、、。
(「折口信夫の晩年」に、その時の事が書かれています。女の人を寄せ付けなかった先生の
亡骸に、たった一人の女性の弟子だった方がふれてしまうところが描かれています。)
あのアラン・チューリングさんも、そうだった訳で、、、

今じゃ、全世界の人が恩恵を受けて、僕も、こうしてパソコンに向かってブログが書けて
いるのです、、、。少なくとも、警察がどうのこうのではないと思いますけど、、、。
この日本という国に、折口信夫さんのような方は、二度と現れる事はないような気がしま
す、、、。(たぶん)
追記 こちらの「近藤さん」の方は、

どうぞご自由に、好きなだけやって下さい。
追記の追記 コメントで読者の方からご指摘いただきました通り、出石は「いづし」では
なく「いずるいし」でした。本文は訂正してません。
追記その3 岡野弘彦さん、文化勲章を受章されました。( 國學院大學 2021 11 03 )
政府は10月26日、今年度の文化勲章受章者9人を発表し、歌人の岡野弘彦
名誉教授(文化功労者、日本芸術院会員)が選ばれました。本学卒業生での
文化勲章受章は初めてとなります。
岡野名誉教授は、大正13年生まれ。本学在学中に折口信夫元教授が指導する
短歌結社に加わり創作を始め、昭和32年に本学文学部専任講師、36年助教授、
44年教授。学生部長、文学部長、折口博士記念古代研究所所長などを歴任し
ました。
本学教員として教壇に立つ傍ら、歌作に励み、昭和47年に歌集「滄浪歌」で
釈迢空賞。54年から宮中歌会始の選者となり、58年からは宮内庁御用掛(御
歌)として、昭和天皇をはじめ皇族方の和歌指導を四半世紀にわたり務めま
した。63年に紫綬褒章、平成10年に勲三等瑞宝章、25年に文化功労者。
授与式の後、宮内庁御用掛として皇族に和歌の指導をした岡野さんが代表で、
「謹んで御礼を申し上げます」とあいさつ。
九十(ここのそじ)七(なな)つの齢(よはひ)たまわりて
今日 寿(ことほぎ)の歌たてまつる
と、歌を詠んで喜びを表現した。( 毎日新聞 2021 11 03 )

タモリさん、もしかして岡野弘彦さんのYoutubeを見ているのでしょうか?
(これは小倉百人一首ではなくて源氏物語)
でも、もしそうだとしたら、タモリさん、これはやめて下さい。
岡野弘彦さんって、凄く偉い先生なんです、、、。
僕が折口信夫さんの事を知ったのは、

本屋さんで偶然手にした、この本の中公文庫版。
岡野弘彦さんは、この本の著者ですし、最近ではずーっと、お正月の宮中歌会始の選者を
しておられる方なのです、、、。
この「折口信夫の晩年」っていうのは凄い本で、もちろん師弟関係とは何か?について考え
るのも良いんですけど、なんたって、男色(ホモ)でコカインを鼻から啜りながら学問して
いた学者さんが居たって言うんですから、ビックリしたの何のって、今だったら、チャゲ
&飛鳥の飛鳥さんじゃないけど、すぐにスキャンダルになって大変です。(国学院大学教
授にして慶應義塾大学教授だったんですから、、。)もちろん一生独身、結婚なんてする
訳がありません。(でも「養子」は貰いました、、、。それも、かなり成人の、、、。)まあ
戦前と戦後の一時期、その方面に関しては、かなりゆるーい国だったと言う事で、、、。
岡野弘彦さんは、大井出石(いづし)の折口信夫先生のお宅で、先生が亡くなる時まで、先
生の身の回りのお世話をした、先生の最後のお弟子さんだったのです、、、。
(「折口信夫の晩年」に、その時の事が書かれています。女の人を寄せ付けなかった先生の
亡骸に、たった一人の女性の弟子だった方がふれてしまうところが描かれています。)
あのアラン・チューリングさんも、そうだった訳で、、、

今じゃ、全世界の人が恩恵を受けて、僕も、こうしてパソコンに向かってブログが書けて
いるのです、、、。少なくとも、警察がどうのこうのではないと思いますけど、、、。
この日本という国に、折口信夫さんのような方は、二度と現れる事はないような気がしま
す、、、。(たぶん)
追記 こちらの「近藤さん」の方は、

どうぞご自由に、好きなだけやって下さい。
追記の追記 コメントで読者の方からご指摘いただきました通り、出石は「いづし」では
なく「いずるいし」でした。本文は訂正してません。
追記その3 岡野弘彦さん、文化勲章を受章されました。( 國學院大學 2021 11 03 )
政府は10月26日、今年度の文化勲章受章者9人を発表し、歌人の岡野弘彦
名誉教授(文化功労者、日本芸術院会員)が選ばれました。本学卒業生での
文化勲章受章は初めてとなります。
岡野名誉教授は、大正13年生まれ。本学在学中に折口信夫元教授が指導する
短歌結社に加わり創作を始め、昭和32年に本学文学部専任講師、36年助教授、
44年教授。学生部長、文学部長、折口博士記念古代研究所所長などを歴任し
ました。
本学教員として教壇に立つ傍ら、歌作に励み、昭和47年に歌集「滄浪歌」で
釈迢空賞。54年から宮中歌会始の選者となり、58年からは宮内庁御用掛(御
歌)として、昭和天皇をはじめ皇族方の和歌指導を四半世紀にわたり務めま
した。63年に紫綬褒章、平成10年に勲三等瑞宝章、25年に文化功労者。
授与式の後、宮内庁御用掛として皇族に和歌の指導をした岡野さんが代表で、
「謹んで御礼を申し上げます」とあいさつ。
九十(ここのそじ)七(なな)つの齢(よはひ)たまわりて
今日 寿(ことほぎ)の歌たてまつる
と、歌を詠んで喜びを表現した。( 毎日新聞 2021 11 03 )
兵庫県豊岡市出石町の方が全国的に有名なので、”いづし”と読んでしまうのは仕方ないですね。