大文字屋の憲ちゃん (当面は 石巻 地震) 

RIP 親父 けんちゃん 石巻 地震

20111221 マコちゃん宅訪問 to 石巻 地震がありましたが大文字系は無事です。(104)

2011-12-21 06:05:51 | 日記

 

10月1日のことなのでもう2か月以上前になるが、女川の大文字屋の次女、マコちゃん宅を訪問してきた。

ジュンコちゃんとおばちゃんがマコちゃん宅に遊びに来ているというので、どこか案内しましょうかと声をかけたら、「来れば」という話になり、急遽おじゃますることに。

そういえば、マコちゃん家は震災後の4月あたりにお引越ししたのだっけ、などと思いながら、広々したお宅でお昼をごちそうになり、修さん、おんちゃんおばちゃん、良満くんとお話ししてきました。

 

修さんはとても穏やかでいっしょにお話ししているとこちらが癒されるようです。おんちゃんおばちゃんは相変わらずお元気です。良満くんは真っ直ぐな目をしたなかなかのイケメンです。(未成年ゆえ写真up自重。修さんの写真は撮り忘れました。今度是非)


 

女川のおんちゃんには石巻時代に思い出がある。

私が大学受験に失敗した直後のこと。おんちゃんは石巻の大文字屋に寄ってくれて、私と話してくれたのだ。何を話したのかといえば、野球の話だ。バットを手に大文字屋の屋上で、バッティングについてああだこうだと小一時間も話していただろうか。

そのときの私は不合格の通知を受け取った直後だったが、自分の手ごたえとして良い結果を望むのは難しいだろうとは思っていたので、結果を聞いてもそれほどショックではなかった。正直なところ小学校時代に合唱団のテストに落ちた時の方ががっかりした。それでも、ある種の空気というものは無意識に感じ取っていて、それは周囲が私に対してどのように言葉をかけたものかと気を遣っていること、またそのように私には感じられたということである。もう高校も卒業して、大学にも受かっていないとなると、昼間からすることもなく家でぶらぶらしている身というのは、なかなかに置き場に困るところがあったのである。

おそらくおんちゃんはそんな私の気持ちを斟酌してくれていたのだろう。その時の私にとっては全くもってどうでもいい野球の話題で盛り上がってくれたのだ。話を聞いているうちに私はおんちゃんの心遣いを感じて、それで心が温かくなった。話の中身はどうでもよく、そういうふうに思って話をしてくれていることがただ嬉しかったのだ。

女川のおんちゃんにはそんな思い出がある。おんちゃんは私にとってそういう意味で、できる人なのである。

 

 

付記1 

 この日は女川・石巻の話がほとんどだったが、私が柔道で国体に行った時の話をおんちゃんからフラれたので少しした。開会式で皇族を生で見たこと(たしか当時の皇太子、現在の天皇)、開会式は列の最後尾の方はけっこうダラけていたこと、開会式から競技の当日まで数日あり集中力を維持するのが結構難しかったことなどである。この辺りは総体などとは少し事情が違うのではなかろうか。単一競技でなく、多種競技が開催される大会というのは、次から次へ流れ作業のように運営されるので、その中で自分の試合に集中するのはかなり難しい。その最たるものがオリンピックなのだろう、4年に一度だし、などという話をした。(オリンピックとは言わば世界的大運動会なのだ。)ちなみに私が出場したのは長野国体の柔道競技で会場は佐久市だった。この地の名物は鯉である。宮城県予選で体重別個人戦中量級で優勝し、宮城県の団体代表(重量級、軽重量級、中量級、軽中量級、軽量級の5人で構成される)として出場した。1回戦の相手は奈良県で、たしか全員が天理の刺繍の入った道着を着ていた。当時どこが強いかといった情報に疎かった私は特に何も考えずに戦ったが、長身で右の超半身の相手に、組んだ瞬間、起重機で押さえつけられるような力を感じた。東北大会レベルでも強いのはいたが、これだけ「力」が強いのはなかった。こりゃいかん、止まっていると持っていかれると思い、左右の背負いで何度か相手を振って腰に乗っけて手をつかせることまではできたが、結局かわされ、無理やり強引な跳ね腰(だか払い腰だか大外だか、とにかくもの凄く遠くから足を伸ばしてきて、それから無理やり引きつけて持ち上げて投げるという)で私は一本負けを喫した。私は空中でニャンコ先生のように背中をつかないように体をひねって逃げる術を持っていたが(空中三回転は無理)、この時はそれを力で封じられ、しかも、私も無理やり体をひねり続けたので、まともに背中から落ちるのではなく頭から落ちる形になり(ちょうどパイル・ドライバー状態)、そのため試合が終わって控室にもどるまで意識が飛んでいた。普通に歩いて控室にもどり、イスに座った瞬間、「アレッ、オレ負けたの?」状態である。そういうことがあったので、石巻に帰ってから憲ちゃんに相談し、佐藤道雄さんの伊原津病院で脳波を測ってもらったら、やっぱり「少し狂ってる」と言われ、それでも一か月ほどの投薬で済んだ。まあ高三の1年間はいろんなことがあった。

 

付記2

最近つぶやいた曲→KAYOUKYOKU (おんちゃんの好きな小川知子の代表曲「ゆうべの秘密」はなかなか見つかりません。見つかったらUPします。)

 

 

 

以上新着情報








※ 大文字屋系は全員無事でした。

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〇石巻の被災状況と生活情報(2ちゃん情報多し。随時更新)
http://blog.nexyzbb.ne.jp/rciel/

〇被災地生活救援サイト(立ち上がり間もないためか情報はまだ少ないも今後増える可能性あり、要チェックかと)
http://resource-info.appspot.com/view/

〇河北新報の地域密着情報
http://www.kahoku.co.jp/

〇石巻・女川の震災被害(写真多数、日下羊一(真羊舎)さんのブログ。ツイッターも拝見しております。)
http://shinyousha.com/shinsai/

〇石巻被災写真part1(私の見てきた石巻 20110331-0404)
http://gallery.nikon-image.com/134530644/albums/2343202/

〇石巻被災写真part2(GWの石巻 20110502-0504)
http://gallery.nikon-image.com/190858889/?command=myself

○グーグル(softbank)の安否情報サイト
http://japan.person-finder.appspot.com/

○首相官邸からの情報
http://www.kantei.go.jp/jp/kikikanri/jisin/20110311miyagi/index.html


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
いづの間に…。 (まこちゃん)
2011-12-21 10:16:29
なんだべ、あんだ。
いづの間にちゃっかりアップしてんのや。
写真送ってこねど思ったら…。

そっちも同窓会したんだね。
うちも11月に初めて東京で中学の同窓会やったよ!
盛り上がってよかったね^^。

年末年始は帰るの?
もし帰ったら大文字屋の新年会の写真他が
あったらコピーでもいいので欲しいです~。
うちの淳におぐってやっからさ。
写真全部流さいで何ものごってねえがらさ。

返信する
追伸 (まこちゃん)
2011-12-21 10:22:36
そういえば、国体に出だんだね。
大文字屋系は運動オンチなので、
君は期待の逸材だった…。
今でも淳にとっては数少ない
<甥っ子の快挙>だったんでねーべが。

大学受験の失敗だの、
ただのりの酒の失敗ど比べたら
かなり高尚な気がしてたよ、私は
返信する
Unknown (まこちゃん)
2011-12-21 10:24:34
今でも淳にとっては数少ない
<甥っ子の快挙>だったんでねーべが。
返信する
マコちゃんへ (佐藤慶広(管理人))
2011-12-21 10:51:59
コメントどうもです。遅くなりましたが写真送りますね。それと今年は正月帰らず、来週平日にちょっと帰る予定です。
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