大文字屋の憲ちゃん (当面は 石巻 地震) 

RIP 親父 けんちゃん 石巻 地震

弔辞

2010-05-28 18:07:02 | 父からの(への)便り
父を知る上で紹介しておきたかったものがある。葬儀の際にいただいた弔辞である。父の幼馴染みにして親友であるサルコヤさんの井上晃雄さんの弔辞である。

人間は自分の近くにあるものほど見えない。ほどよい距離があるからこそ見えるものである。サルコヤさんはそういう距離にいらっしゃって私の父を知ってくださっていた方なのだと思う。ここに感謝の意を表します。


*************


 憲ちゃん、今あなたのご霊前で、あなたのありし日の映像を見上げながら、本当にそうなのか、嘘のようでなりません
 しかし映像を通してでも私の観念の中には立派に活動していると思っています

 亡きし人は永遠に生きている
 私達の観念の中に生きている

 それは私の持論です
 過去を通して、もう一度あなたを振り返ってみたいと思います

 私には素晴らしい同級生、その名も同じ 二人のケンちゃんが居ります
 一人は絵の非常に得意な芸術家のカネナオの後藤研三君、この方は既に故人となられましたが、もう一人の憲ちゃんは、文学家的・読書家の、佐藤憲ちゃん、その人はあなたです

 おまけに、ある人も、私の事を別なケンチャンと呼ぶ人が居ました こんな事ですから私はケンちゃんと言う人を見ると、事更に親しく感じられるのは、この二人のケンちゃんの中で素晴らしい学生時代 青春時代を送ることができたからだと思います

 実はケンチャン、あなたも良く言っていましたね、幼稚園から大学までズーッと同級生だったって、実際、幼稚園二年、小学校六年間、商業四年、あの苦しい学徒動員を経て、更に東北学院で四年、実に十五年間、も同室同級生だったのです

 人柄の良い大人しい憲ちゃん、わたしも大人しかったので、おとなしい同士、同じ行動 同じ遊びの学生時代を過ごすことが出来ました

 小学生の頃 大文字屋商店の広い広い屋敷で遊びました
 今はアイトピア大町側の店からズーッと通って、小さな鳥居のある神社のある中庭、そして裏町裏、今の寿町通りの出口迄、その屋敷中にあった土造蔵の中で

 毎日のようにかくれんぼをして遊びました
 街の中でこんな大きな蔵があるなんて、
 子供心にも強烈な印象を受けました

 私達も成人し高度経済成長の波の中で度々ある同窓会の二次会があったとき、あなたはポツリと
「実はね、この間心臓のバイパス手術をしてね、」
と言うではありませんか
 その態度たるや、坦々として,何事もなかったような表情でいつものニコニコ顔で居るのには本当に驚きでした
この表情は そうです、あなたのお父さん、そっくりです  ― 石巻市小学校のPTAの会長を長年勤めた人らしく、豪放磊落、どっしりした態度で大文字屋の帳場の奥に居た事を思い出しました

 私は何かにつけてせっかちな性格を捨てられず、せせこましい商売人人生を今も送っているのにひきかえ、バイパス手術という大変な危険な事件をくぐり抜けて来たあなたにも不拘、いつもニコニコ泰然としていた憲ちゃん、その落ち着いた、大器晩成型の性格を少しはゆずって欲しい ― そう思えてなりません

 私達は太平洋戦争中、学業を捨てて、学徒動員にかり出されました 20ミリ閃光弾の手作業の弾丸作りです そしてそこで八月十五日を迎えました
 天皇陛下のお言葉の放送があるというので、大勢の工員たちと一緒に広場に集められました、

 そこで憲ちゃんと一緒に放送を聞きました 
 これがあとで言う玉音放送でしたが、当時は今とちがい、雑音が多くて電波の質が悪く、天皇の声が途切れ途切れで意味がちっとも聞きとれませんでした
 私は多分、戦況がきびしいから、より一層頑張って欲しいというお言葉だと思い、早く防空壕へ行こうとしました、
 ここで憲ちゃんは私にささやきました、
「てつちゃん!! 戦争は終わったよ」
 例の坦々としたお言葉でした 
「え!」
 一瞬驚きましたが、すぐに理解することが出来ました
 憲ちゃんの言葉で工員達にもどよめきが起き、それから騒々しくなって来ました さすが読書家の憲ちゃん! あなたの素晴らしい頭脳に敬服しました

 その後、混とんの中で一応は経済科を卒業し、それぞれの社会に飛び出しましたが、私など未だ未だ嫁さがしもしていない時期に、憲ちゃん、あなたは既に男子二人をもうけ、輝かしい未来を手にした事を大変うらやましく思っていました

青年から壮年 ― へ

 この頃からあなたとは仲々逢う事が出来ませんでした
 何かの理由をつけて、大文字屋へ行く事を試みました
 それは、渡波の醤油醸造業、末永彦平君が開発した、極うまの醤油「つゆの里」を買いに行く事で、あなたの健康状態をチェックする事です そして元気で居ることを確認したものです
 こんな中、
遂先日、春頃 私が外出中に、大文字屋さんが来てギターを買って行ったよー と言うのです 「え、」
 ぢあ、憲ちゃんが来たの? 驚くことに憲ちゃん、あなたが歩いて来たと言うのです
 これは大変うれしい事だ
 私は大いに喜びました
 憲ちゃんはギターをどこまで弾けるかな? あのニコニコ顔が又もや思い出しました
 フォークソングにありました
 笑顔を見に
 早速行って見たければ!
 逢いたくて ― 私もそうです
 そして、そして、あなたの悲報!
 森岡茂ちゃんから知らされました

 昨夜あなたの生前の大きな映像が映し出されました
 大勢の家族、従業員の方々の中でほほえんでいる姿、が多くありました
 幸せいっぱいのご様子
 私の感情は、生前の幸せいっぱいこの映像によって、次第に悲しみが浄化されている事を覚えました

 憲ちゃん、生前のご交誼を本当に感謝するとともに、
 素晴らしい天国にいて、
 永遠のほほえみをたたえている事と思います
 どうか安らかな様であって欲しい
 憲ちゃん!! では、さようなら!

平成二十一年九月四日 井上晃雄

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