大文字屋の憲ちゃん (当面は 石巻 地震) 

RIP 親父 けんちゃん 石巻 地震

マコちゃんのランドセル

2010-07-15 09:54:01 | 父からの(への)便り
昨日メールが消失したのは、女川のマコちゃんからのメールを記事にしようとした矢先だった。

   *   *   *   *   *

2009/12/30(水)

佐藤 慶広 様



喪中のお葉書が届きました。

今年も残すところ明日で最後になりました。

慶広君にとって今年は非常に心に残る年になりましたね。

私にとってもそうです。

父方の兄弟が初めて欠けて(正確には三人目ですが)、

私の父自身もかなり寂しさを感じているようです。

毎週お線香あげに行き、納骨を済ませ、やっと静かに年末を迎えていることでしょう。



さてブログを拝見しました。

懐かしくもあり、びっくりしたこともありのブログでした。

慶広君のおんちゃんへの想いをちょっとは垣間見たような気がします。



お互いの親も年をとりました。

人は生前の関係が大切だとつくづく思います。

残されたおばちゃんは本当にさびしいと思います。

今、おんちゃんの事を考えておられるのなら、なおのことおばちゃんを大切にしてくださいね。



ブログを見てびっくりしたことは、おんちゃんと慶広君が最後に会ったのが

随分と前のことだったということです。



私は結婚した2000年におんちゃんからお祝いをいただいたので、

お礼のお手紙を書きました。

今まで私を可愛がってくれたこととへのお礼と

私が遠くにいるのでこれからも両親ともどもよろしくと書いた気がします。

おんちゃんはその手紙を喜んでくれ、またお祝いのお返しの

小さな時計と小さな本をとても喜んでくれました。

小塩トシ子さんの「こころにひびくことば」という本なのですが、

「学院出身だがらこういう本うんと好ぎなんだいっちゃ」と若かりし頃の

ミッションスクールの文学青年を髣髴とさせるようなことばでした。

線香くさい大文字屋のおんちゃんのイメージからはかけ離れていて

とっても意外な気がしました。



葬儀の時に忠典君にも言ったのですが、

私のランドセルはおんちゃんに買ってもらったものでした。



入学を目前にしてお友達が次々に新しいランドセルを手にしているのに

私にはランドセルありません。

母にせがむと「大文字屋のおんちゃんから届くがらもう少し待ってらいん」

といわれ、

やっと届いた牛革の赤いランドセルに大喜びしたのを覚えています。

六年間私はそれで学校に通いました。

糸がほつれると母に言われ釣具屋さんに持っていって

機械で縫って直してもらいました。そのくらい大切に使いました。

非常な恩を私はおんちゃんへ持っていたので葬儀に出席しました。

主人もそれなら行ったほうがいいと送り出してくれました。



又、思い出されるのは小学校三年か四年の時、

川開きの夜のパレードに母が女川の婦人部で踊り手として参加するというので

私一人で見に行きました。

しかし帰りの汽車の時間を間違えて最終は出た後でした。

母は婦人部の車で帰るが定員はいっぱいだというので、

仕方なく大文字屋に私だけ泊めてもらいました。

母に叱られがっかりの私に、

あの時のおんちゃんの嬉しそうな笑顔に救われました。

おばちゃんの布団に入れてもらったのを覚えています。



長くなってしまいました。

慶広君の年末年始は東京ですか。

お仕事もお忙しいことと思います。

お元気で過ごされますように祝福をお祈りしています。


ブログにもまたお寄りします。


雅子


   *   *   *   *   *

昨年12月にお便りをいただいていたのに、なかなかこちらに載せなくて申し訳なく思っていました。再送いただきありがとうございます。マコちゃんに書いていただいたことについては、後日また私のコメントを載せたいと思います。
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