絵画との出会いから

絵を始めた動機、作品の思い出、絵の仲間との出会い、支えてくれた家族との思いなどを、絵画作品とともに記録するブログです。

年賀状と今年のアート活動計画

2017-01-30 20:47:30 | 日記

今年ももう1ヶ月が過ぎる頃となりました。月1ブロガーの約束を守るためぎりぎりの投稿をすることにしました。

先ず年賀状の整理をしましたが、今年の年賀状ほど迷った年はありませんでした。最後迄止めるか出すか迷いました。それは慣例となっている年始の挨拶状はどの位意味があるかという疑問が出たからです。しかし結局最小限に絞って出すことにしたため、多くの方々には「寒中お見舞い」でご返信し失礼をしました。私の年代になると年に1回消息を伺うことの意味になってきました。来年からは年賀状という形式での年始のご挨拶は止めて他の形式でのご挨拶の方法を考えてみたいと思います。しかし過去多数の原稿や版画が残っているので復刻版もありかもしれません。ただこの慣例はお相手が承知していただかないと終わりがないようです。

それでも自分の手で制作して送っていただく年賀状は大変うれしいのでこのブログで残しておきたく掲載させていただくことにしました。今年は米国の新大統領の就任や英国のEU離脱、TPPの崩壊等世界の政治と経済が大きく変化する気がします。それでも民主主義が守られ平和が続くよう祈る他ありません。

      私の年賀状            オー美会の仲間(エッジング)

         

    オー美会の仲間           昔の絵画教室の仲間

         

      *住所等は個人情報ですから削除させていただきます

さて、今年の私のアートの年間スケジュールが忙しい。半年の計画を記述しておこう。このスケジュールがあるということはブログの原稿のネタが多いということである。

頑張って楽しいブログを投稿してゆきたい。

 半年の主な予定

3月:①はじめての彫像制作 (アートスクール)

   ②横浜市民ギャラリー コレクション展説明ボランティア活動

4月:グループ展 「第17回オー美会展」 出展


昔の仲間との同窓会と即興画

2016-12-06 09:39:03 | 日記

 

私の歳頃になると卒業の学校や出身会社の同窓会だらけの今日このごろですが、私は最近大集合(多人数)の同窓会は敬遠して、本当に思い出のある仲間達や会いたい仲間との同窓会に絞って参加しています。

その中で出身会社で私の会社勤務の青春時代(自分で勝手に呼んでいる)と思っている部門で厳しいビジネス環境でともに働いた部門の同窓会が二つあります。一つは私が営業所長をしていた営業所の部下やスタッフの同窓会(賛美桜会=第3BO会)ともう一つはGB/OB-OG会である。今回は11月末に3年ごとに開催しているGB/OB-OG会に参加しました。3年に一度となるとやはり消息が気になりお互いに元気に再会できると大変うれしかった。お互いに高齢になったので夜の宴会は止めてランチミーテイングであるが、今回は東京駅八重洲口にある老舗割烹「嶋村」であった。いつも幹事は女性に任せているので鯛のお頭付き煮物や大変美味しい料理で皆満足満腹となった。(感謝)

お互いに高齢になっているので話題は自ずと健康の話が殆どであったが、現役時代には聞かれなかったご家族や趣味の話が出て大変楽しいひと時であった。3年後(東京オリンピック前年)に全員で再会できることを願って、当日の写真と即興で描いた絵を載せることにしました。

          歳柄もなく全員でVサイン

   

         普通にもう一枚


   

         女性の幹事さんたち いつも有難う! 

         

              

             「思い出の花園」(アクリル画)

 

         

          (いろいろな隠し絵があります)


自由な発想と描画のバイタリテイに圧倒された! ピエール・アレシンスキー展

2016-11-28 15:44:54 | 日記

東京渋谷の文化村ザ・ミュージアムで開催中のピエール・アレシンスキー展を観た。89歳でまだ健在で活躍しているベルギー(ブリュッセル)出身の現代美術の巨匠のひとりでもある。

          アレシンスキー展 パンフレット  

        

 

感想を一言で云うならば絵画に決まりごと(規則)や年齢制限などないのだ”と云うことである。  

1927年ブリュッセルで生まれ、美術工芸学校に学び20歳のときに「若きベルギー絵画」グループ CoBrA(コブラ:コペンハーゲン、ブリュッセル、アムステルダムの頭文字)にはいり国際的な現代芸術家集団のメンバーとして芸術家の仲間入りをした。コブラは短命に終わったが、コブラで学んだ即興的な筆致制作に多いに共感して追求していたが、新しい出会いを求めてパリに移動した。彼はもともと左利きであったが、絵を描くときは左手、右手は文字を書く手として絵と文字の共通点と相違点を意識するようになり、文字とも表象とも区別がつかない一つの絵が描かれている(「夜」パンフレット参照)。

この「文字」に対する意識と興味の高まりが、やがて日本の「書」の世界に近づけた。1952年頃通った版画学校での偶然の日本の前衛書道と出会い、日本へ渡る迄のめり込んだ。日本では前衛書道家の森田子龍や篠田桃江と交流して最後は禅の画家仙崖を師として仰ぎ尊敬している。

1961年頃アメリカ・ニューヨークに移り、コミック本を思わせる枠付きのドローイングで大きな絵を囲むという独自のスタイルを獲得した。この時点で彼の描画は油絵からアクリル画に移行する。書のように流れるようなリズミカルな絵を描くには水性のアクリルが必要であった。その代表的な絵が「セントラルパーク」である。また米国のポップアートのように、身体全体で絵を描き、右手と左手を自由に使うスタイルが絵に流動感を与える。また四角い画面に拘らない円の画面の描写も多数制作している。

   展覧会 会場(1)            展覧会 会場(2) 

  

           展覧会 会場(3)

       

素描(ドローイング)がそのまま絵となり、画材も和紙や古紙を使ったりという全く伝統や形式にとらわれない発想の自由と描画の自由は観る我々に年齢を感じさせないバイタリテイを感じさせるのである。

絵画教室に通いいろいろなマチエールや描写を学んでいるアマチュア画家にとって自分もやってみたいと思わせる絵であり画家である。

注:コメントの一部と会場写真は文化村ザ・ミュージアムHPを参考にしました。)

 


デトロイト美術館展とゴッホとゴーギャン展を観て

2016-10-28 15:35:10 | 日記

NHKの「シブ5ジ」のニュース番組で「上野の森美術館」と「東京都美術館」で後期印象派のゴッホとゴーギャンを共通軸とする秋の上野の美術館巡りの特集をみて居ても立ってもいられなくなり両美術館を一日で廻ることにした。

 上野の森美術館の「デトロイト美術館展」は初期印象派(ドガ、モネ、ルノワール・・・・)からポスト印象派(セザンヌ、ゴッホ、ボナール、ゴーギャン・・・)、20世紀ドイツ絵画やピカソに代表される20世紀フランス絵画というテーマで印象派から近代絵画を大変分かりやすく解説、展示していて参考になった。1885年設立されたデトロイト美術館は米国の大美術館の一つであるが、2013年の米国自動車産業の衰退で存立が厳しくなる事態となったが、住民や有志が立ち上がり多くの蒐集名画を守った。その中の52点が今回展示されていたが、その名画の一点のゴッホの自画像が展示されていた。

この同じ時期、東京都美術館でこのゴッホとゴーギャンが1888年フランス・アルルで共同生活を始めた二人に焦点を当てた「ゴッホとゴーギャン展」を開催しており、両美術館がコラボレーションして色々な企画(入場券割引や講演会等)をしていた。従って今回はゴッホとゴーギャンに焦点を当てて感想を記しておきたい。

 ゴッホとゴーギャンのアルルでの共同生活は、ゴッホの弟(画商)テオの発案からゴッホがゴーギャンを熱心に誘い共同生活と制作が始まった。両者はスーラやシャニックが始めた色彩分割主義から自己流の表現を始めていたが、ゴッホが現実をそのまま自分の筆致で表現する主張とゴーギャンが現実と想像(心象)を画面に表現する主張との違いが、相容れず周知のように共同生活は2ヶ月で破綻して悲劇的なゴッホの自殺で終わることとなった。私は、この二人が年齢も5歳も違い(ゴッホが若く)、ゴーギャンはビジネスの世界も経験しているが、オランダの牧師の家庭に生まれ、絵画だけで生きてきたゴッホとは生い立ちや考え方が違い最後迄融合できなかったと思います。その違いがかいまみれる風景画を掲載してみます。

 ゴッホ「ムーランギャレットの裏庭」     ゴーギャン「葡萄の収穫、人間の悲惨」 

      

 *ゴーギャンの絵の葡萄を収穫している女性と正面の厳しい顔の女性は想像である。

デトロイト美術館の名画のなかでゴッホの自画像は至宝の一つであるが、ゴッホは“モネが風景を描くように人物を描くこと、それが何よりもやるべきことだ”と当初は自画像を多数制作したが、モデルを頼む余裕がないので自画像で人物画の研究をしたと云われている。ゴッホとゴーギャンの二人の自画像を掲載してみる。

 [ゴッホ自画像]   

     デトロイト美術館蔵            東京都美術館展

               

 [ゴーギャンの自画像] 

     デトロイト美術館蔵           東京都美術館展

         

 *ゴーギャンはあまり自画像を描いていない。

 最後に悲劇的な別れとなったゴッホとゴーギャンは分かれても、お互いに尊敬しあっていたことは有名である。ゴッホは「ゴーギャンと私は体中の熱が消えるほど感情を高ぶらせ、話し合ったものだ」と云っており、ゴーギャンがゴッホがピストル自殺した後、アルルの共同生活でゴッホがゴーギャンの部屋を飾ってくれたひまわりの画をゴーギャンが描いて贈ったというひまわりの絵を載せて二人の違いとお互いの尊敬の気持ちを感じてみたい。

     ゴッホのひまわり            ゴーギャンのひまわり

             

 追記

デトロイト美術館で最後迄解明できなかったピカソの絵を掲載してみます。

       

 

 

 

 


ポンピドウー・センター傑作展を観て。

2016-09-20 09:49:20 | 日記

先日東京都美術館で開催中のフランスのポンビドウー・センター傑作展を観に行った。パリの国立近代美術館および同館のあるポンピドウー・センターは、ヨーロッパ最大の近現代美術コレクションを所有しており、1905年から現在迄のあらゆる分野の芸術作品を約12万点を所蔵している。

今回の展覧会はフォービズムが台頭した1960年からポンピドウー・センターが開催した1977年までのタイムラインを「1年1作家1作品」という方針で総数71作品を展示していた。従って展示方法も斬新で私にとっては、大変分かり安い展覧会であった。その中で私が大変興味をひかれたのは、作品の横に大パネルで、作品を発表した芸術家の写真と芸術に対する自分の考え(思想)を簡単な“メッセージ”として展示していたことでした。

その中で私が大変面白く,含蓄あるメッセージと感じた言葉を私の好みで抽出して記録することにしました。

(1)1906年    ラウル・デユフィ(1877-1953)

「画家は絶えず目に映る世界を満たしている光の質、輝き、大気のゆらめきを捉えていなければなりません」

   ラウル・デユフィ 写真        デユフィ [旗で飾られた通り

                     

                          

(2)1907年    ジョルジュ・ブラック(1882-1963)

「当初の構想が消え去ったとき、絵画ははじめて完成する」

(3)1922年    ル・コルビュジェ(1887-1965) (建築家)

「建物と機械はバランスや量感の作用、素材を考慮してデザインされるようになった。その多くは真の芸術作品というべきものである。そこには数学、すなわち秩序があるからだ。」

    ブラック [レックス湾]                    コルビュジェ [静物]

        

 (4)1928年    レオナール・フジタ(1886-1968)

「いかなる作品を良き画と称し得るか、またいかにしてその作品を成さねばならぬかが、最も吾等の生命である。」

(5)1935年    パブロ・ピカソ(1881-1973)

「私は他の人が自伝を書くように絵を描いている」

   レオナール・フジタ写真            ピカソ [ミューズ]

               

 6)1937年    ヴァシリー・カンデインスキー(1866-1944)

「絵画の「内容」は絵画である。そこに解読されるべきものはない。どんなかたちにも生命と内容をゆたかに感じる人には、内容が喜々として語りかけてくる。」

(7)1950年    ベルナール・ビュフェ(1928-1999)

「私にとって レアリスムとは対象と自然を認識することでもある。だから私のレアリスム絵画は抽象的なのだ。」

    カンデインスキー [30]             ビュフェ [室内]

           

(8)1966年    マルシャル・レイス(1936年—)

「私にとって絵画が面白いのはそれが言葉のない言語だからです。だから画家に成ったし、さもなければ文筆家になっていたでしょう。絵画は普遍的な言語なのです」

  マーシャル・レイス 写真         レイス [フレンチ・スタイルの絵画]

              

あらためて絵画や芸術の奥深さをこれらの含蓄ある短いメッセージに感じました。

以上のように展示されている芸術家全てのメッセージが画集に掲載されています。ご興味がある画家や芸術家のメッセージを知りたい方はご連絡ください。お知らせします。(ktakase@green.ocn.ne.jp)