石楠花(ツツジ科)花言葉は、威厳。ツツジ科ツツジ属の常緑低木のうち、ツツジ類を除くものの総称。ヒマラヤから中国大陸南部の山岳地帯で驚くほど多数の種が分布しているように、かなり高い山あるいは谷間に咲く。花は漏斗状鐘形で先が五裂、色は白、淡紅のほか、園芸品種に黄、赤、紫もある。葉は皮質で長楕円形、表面は深緑色で光沢があり、裏面は淡褐色の密毛を生ずる。丈は低くて二メートル前後、自生するが、山地では地表に幹が複雑に曲がりくねったりする。「石楠花に躍りゆく瀬や室生川 水原秋櫻子」「石楠花の岩落つ水は淵をなす 石橋辰之助」「石楠花や姉妹に繊きをんな偏 河野多希女」「石楠花の夕べの壁炉くべ足して 伊藤敬子」「溺れよと石楠花を縫う径細き 谷内 茂」「石楠花や奈落は霧の大蛇品 平田青雲」「一山は石楠花彩に室生実砂」「石楠花や主峰の薙の男ぶり 水沼三郎」「石楠花を咲かせ定年きらきらす 中山和子」。(満開の雨の楠花に重き雨の嵩 小野瑞枝:谷深く日のとどきゐて石楠花;小野謙治)
ショウブ(サトイモ科)花言葉は、心意気。(立夏;子供の日)。白菖;水菖蒲;あやめぐさ;白菖;菖蒲髪。サトイモ科の多年草で、池や川の縁に群生する。根茎は水底の泥中に横たはり白または淡赤色で節が多い。初夏、花茎の中ほどに黄緑色の小花を棒状に密生。葉は長剣状で50~九〇センチ、明瞭な中肋ある平行脈が走り、その艶々しい緑には高い方向があり、端午の節句に菖蒲湯にする。根茎は乾かして菖蒲根とよび、健胃薬にする。ショウブの漢名、白昌とも書く。古名はアヤメ科のアヤメなどの類と葉の形が似るだけで、別種。「しやうぶをも水巻となす川辺かな 立園」「あやめ生ひけり軒の鰯のされこうべ 芭蕉;あやめ草足にむすばん草鞋の緒 芭蕉」「あやめ草綾の小路の夜明けかな 青藍」「夜蛙の声となりゆく菖蒲かな 水原秋櫻子」「菖蒲剪つて盗みめくなり夕日射 石田波郷」「乾坤に根引の菖蒲よこたはる 三橋敏雄」「菖蒲髪して一人なる身の軽さ 田畑美穂女」「友舟へ白菖一本ながあしけり 星野恒彦」「京へゆきまでに暮れけりあやめぐさ 田中裕明:「花菖蒲ただしく水にうつりけり 久保田万太郎」「白波のことごとくはるかに白菖蒲 山口青邨」「咲き垂れて背丈定まる花菖蒲 秋元不死男」「きれぎれの風吹くなり菖蒲園 波多野 爽波」「花菖蒲紫紺まひるは音もなし 中島武雄」「菖蒲田の夕日に浮かぶ花となりぬ 松本たかし」「野あやめのむらさき一っ他は白し 水原秋櫻子」「あやめ咲く野のかたむきに八ヶ岳 木村蕪城」「菖蒲髪して一人なる軽さ 田畑美穂女」「友舟へ白菖蒲一本ながしけり 星野恒彦」「京へつくまでに暮れけりあやめ草 田中裕明」。(じだらくに寝れば涼しき夕べかな 謙治)
ハナミズキ(アメリカヤマボウシ;ミズキ科)花言葉は、公平にする、;みどりの日。ミズキ科の落葉低木。北アメリカ原産で、花が同属のヤマボウシに似ていゐるのでアメリカヤマボウシという。高さ5~10メートル。四月~5月に葉に先立って小枝の先に白色の四枚の大きな包葉に包まれた花が早開く。その中心に、緑黄色の小花が集まる。えんげい品種には総苞が淡紅色のベニバナハナミズキがある。日本入って来たのは、明治45年。当時の東京市長の尾崎幸男が桜の苗木をワシント̪市に寄贈した返礼とし大正四年に送られたという。「花水木おぼれぬようにさきにけり 阿部完市」「曇天にささやきそめし花水木 中本森八」。(ものの芽の斜面に出でて直立に 小野瑞枝;花水木高き梢に淡い花 小野謙治)
ミズバショウ;サトイモ科。花言葉は,変わらぬ愛。本州以北の山地の湿原に群生する。尾瀬沼が歌にもなり有名である。五、六月にかけて雪解けの湿原に高さ20センチほどの花穂が出るが、花そのものよりも花穂を包む雪白色の仏炎苞の美しさが賞でられる。葉が芭蕉に似ている。「石狩の雨おほつぶに水芭蕉 飯田蛇忽」「花と影ひとつに霧の水芭蕉 水原秋桜子」「水芭蕉ひらきし花の一頁 平畑静塔z}「噴煙や鉄の匂ひの水芭蕉 中村苑子」「漾ひて老年は過ぐ水芭蕉 六本和子」「帆をあげて天界めざす水芭蕉 三嶋隆英」「流速は光となれり水芭蕉 倉橋羊村」「水芭蕉終わりし花を水が過ぐ 加藤瑠璃子」「一花咲きたちまち百花水芭蕉 たむらちせい」「水芭蕉苞は子を抱くに似て 畑内節子」「くろがねの水の中より水芭蕉 斎藤野信義」「光陰や刈口寒し庭の木々 小野瑞枝;水をみずのながるる水芭蕉 小野謙治}・
ムシトリナデシコ(ナデシコ科)花言葉は、清純の愛。(八十八夜)虫取撫子;小町草。ナデシコ科の一年草でヨーロツパ原産の花。花の下の茎から粘液を分泌するので、虫取り撫子とよばれているが食虫植物ではない。草丈30~40センチで、濃紅色の小さな五弁花を散房状につける。現在は野生化して暑い日の河原などに見かける。「小町草花壇に盛りすぎにけり 高野素十」。実際に虫を捕るというわけではありません。一方シラネという別名は、ギリシャ語のシロアン(唾液)がもとで、こちらは茎のねばねばが、、唾液を連想させるためだと言われています。この日生まれのあなたは、じつくり構えて、物事を進めていく努力家です。手芸、絵画、などものを作ることが好きで、時間をかけて大作を仕上げて皆をびつくりさせることが好きで、時間をかけて大作を仕上げて皆をびつくりさせたりします。退陣関係が苦手です。
(一人立てるほどの日溜まり返り花。小野瑞枝;虫取り撫子咲いてのどかな夕べかな 小野謙治)
(一人立てるほどの日溜まり返り花。小野瑞枝;虫取り撫子咲いてのどかな夕べかな 小野謙治)
タ二ウツギ(スイカズラ科)花言葉は、豊麗。雪の下;鴨足草;虎の耳;碕人草。ユキノ̪シタ科の常緑多年草で、山野の日陰で湿った場所に自生する。にエアに植えられルことも多い。紅紫色の走出枝を出して繁殖する。葉の表面は緑色で赤い毛が生え、裏面は紅紫色。五月~七月ころ、20~50センチの茎の上部に五弁の小花の総状花序をつける。上三枚の花弁は小さく、下二枚刃」垂れる。黄いろと紅色の斑点が美しい。葉は薬用.食用。「雪ノ下なのらで寒し花の色 越人」「日さかりの花や涼しき雪の下 呑舟」「六月をしづめてさやく雪の下 東以」「ふもと井や湯女に詰まるゝ鴨足草 飯田蛇忽」「山の井に影こそ沈め雪ノ下 松尾いはほ」「歳月やはびこるものに鴨足草 安住 敦」「母逝かす大事これなし鴨足草 上田五千石」「水湧いておのっか池雪の下 福村青縒」*「錫杖の地を叩き過ぐ鴨足草 蘭草慶子」「「佃島古りし路地なりゆきのした 大江耐女」「前世より淋しく生きて鴨足草 伊藤通弘」。(冴返る家むちに使ふ杖の音 小野瑞枝;(たにうつぎ花つけてかえつて淋しきタニウツギ 謙治)
フタリシズカ(センリョウ科)花言葉は、いつまでも一緒に。(きつねグサ)(早乙女花)センリョウ科の多年草で山野に自生。高さ30センチ。四、五月頃、茎頂の四、五枚の葉の中央から花穂を通常二本出し、白色の小花を点綴する。「二人静木洩れ日と囁きあふは 渡辺千枝」「張りして二人静の咲きはみだす 折笠美秋」「身の丈を揃えて二人静かな 倉田核文」「一株に一花を誇り白牡丹 小野瑞枝:光陰や刈り口寒き庭の木々 謙治。
牡丹;深見草;富貴草;白牡丹;牡丹園。中国原産のボタン科の落葉低木。平安時代初期に薬用植物として渡来し、寺院に植えられた。庭園で栽培し、一般に観賞されるようになったのは江戸時代から。丈一~ニメートルで葉は羽状の複葉。̪四、五月に梢上に径十数センチの五~一○弁の花を一つ咲かせる。原種は紅紫だが改良がかさねられ、黒紫、淡紅、白、黄、絞りなどの色を呈して咲くさまは豪華で、重弁、単弁と品種は多い。華麗差と気品で「花王」ともいわれが、散り際の姿ははかない。「ものいえば人は消ぬべし白牡丹 来山」「牡丹蓁深く分出づる蜂の名残かな 芭蕉」「飛ぶ胡蝶まぎれ失せし白牡丹 杉風」「飛ぶ胡蝶まぎれ失せし城牡丹 杉風」「灯篭に静まへかえる牡丹かな 許六」「花ながら植ゑかへらるる牡丹かな 越人」「あたらしき宿の匂ひや風紀草 桃隣」「見る人の手を拱くや牡丹畑 宋屋」「戻りては灯で見る庵のぼたんかな 千代女」「見いれ行くぼたんの花や長者町 蝶夢」{牡丹ひらく時雷申にめぐるなり 大江丸」「ぼうたんと豊かに申す牡丹かな 太祇」「金屛のかくやとしてぼたんかな 蕪村」「牡丹切つて気の衰へしゆうべかな 蕪村」「牡丹散つてうちかさなりぬ二三片 蕪村」「ちりてのちおもかげたつ牡丹かな 蕪村」「地車のとゝろとひびくぼたんかな 蕪村」「牡丹折り氏し父の怒りぞなつかしき 大魯」「はなやかにしつゞかなるもの牡丹かな 暁台」「五分かくる真昼の蝕や白牡丹 凡菫」「そのくらき夜を静ならぬ牡丹かな 白雄」「袷着て牡丹にむかふあしたかな 青藍」「夕風や牡丹崩れて不二見ゆる 嵐朗」「美服して牡丹に媚びる心あり 政岡子規」「白牡丹といふといへども紅ほのか 高浜虚子」「牡丹しろし人倫をとく眼はなてば 飯田蛇忽」「拝領の一軸古りし牡丹かな 永井荷風」「牡丹百二百三百門一つ 阿波野青畝」「夜の色に沈みゆくなり大牡丹 高野素十」「牡丹燃え甲斐駒雲に入らんとす 水原秋櫻子」「火の奥に牡丹崩るるさまを見つ 加藤楸邨」「牡丹の奥に怒涛怒涛の奥に牡丹 加藤楸邨」「牡丹散つてえ四辺華やぐものを断つ 安住敦」「日輪は宙に小さし黒牡丹 能村俊郎」「牡丹も女も玉のいのち張る 稲垣いくの」「ためらわで剪る烈風の牡丹ゆゑ 殿村菟絲子」「吾生みし天に日月地に牡丹 野見山朱鳥」「ぼうたんの百のゆうるるは湯のやうに 森 澄雄」「富貴には遠し年々牡丹見る 松崎鉄之助」「牡丹散るはるかより闇来つつあり 鷲山七菜子」「一日に一齢加へ白牡丹 鷹羽狩行」「筆硯の部屋に牡丹の風入るる 稲荷島人」「日の牡丹たちまち風の牡丹かな 藤岡筑屯」「観音のひらきかけたる白牡丹 川崎展宏」「朝日子の押し寄せてゐる牡丹かな 大峯あきら」「緋牡丹を見て瞼を持ちて嫁け 八木三日女」。
オダマキ(キンポウゲ科オウレン属の多年草。高山帯に野生するミヤマオダマキを母種とする園芸植物。茎は高さ20~30㎝。5月頃先端に1~5個の花をうつむきにつける。葉は浅く裂けた複葉で、裏面に白色を帯びる。花は直径4㎝くらい。はなびらのような萼片が青紫色で5枚。花弁も5枚あり、萼片と互い違いにつく。茎部に長いけづめがある。日本のものは青紫の他は白花があったが、近年欧州産のものもあり、濃い紫や淡紅色の花色も見られる。「をだまきや子も誰も子を負ひて 橋本多佳子*}「をだ蒔きの花に風吹く陵の道石原八束」「をだまきの花やみやげに有馬筆 森 澄雄」「おだまきの紫銭のものならず 後藤比奈夫」「伊勢に行きたしみやまおだまきというをみたし 阿部完市:「中山道花おだまきの土下座咲き 敷地あきら」「をだまきも狭庭の花となり親し 太田凡平」。(一人立てるほどの日溜まり返り花 小野瑞枝;おだまきの花の誓いは勝利の叫び 小野謙治。
忘れな菊(ムラサキ科)花言葉は、私を忘れないで;真の愛。ミヨソテツ;忘れな草;藍微塵.ムラサキ科のタ年草。ヨーロッパ原産の帰化植物。道端や草地の湿つたところに多いいが、園芸品種も多い。晩春から初夏にかけて咲き、花茎は20~30センチ、花は一センチに満たない淡紫色の五弁花で、中央が黄色。学名の「ミオソチス」の語源はギリシャ語で「ハカネズミの耳のような葉のある植物)」の意。「わすれなグサ」の名は、ドノウ川の騎士に咲くこの花を恋人べルタに贈ろうとして川に落ちた騎士が、「私を忘れないで」と叫んで死んでいったというドイツのでんせつに由来する。「奏でる海へ音もなく大河勿忘草 中村草田男」「勿忘草わかものゝ墓標ばかりなり 石田波郷」「藍微塵遠き師の恋歌の恋 石原は八束」「宮殿の勿忘草に森開け 稲畑汀子」「空白の日記に挟む勿忘草 澤田緑生」「わが齢勿忘草濃くしたり 小枝秀穂女」「地に満たす勿忘草は空のいろ 木村敏雄」「旅疲れ勿忘草の風癒ゆ 大木さつき」「しののめのわすれな草の広ごれり 清水治郎」。(高々と磯に生まひて薄の穂 小野瑞枝:秋雨の水輪もなさず川流れ 小野謙治。