kazzdokkのひとりごと

酒呑みの翁の日常の出来事

喜寿

2009年04月26日 | Weblog

父、喜三郎の喜寿をみんなでお祝いした。

先日、77歳になった主役の父を囲んで、母、伯母、兄、私、弟、それぞれの女房、父から見た孫5人(8人いるが3人欠席)、孫の彼1人の総勢15人で食事会を開催した。
場所は、実家近くの「いち源」という寿司会席で、このメンバーでの飲食としては、超破格な高級店である。
一昔前はデニーズで騒々しく飲み食いしていたこのメンバーも、当然のことながら年齢がシフトし、当時のチビ助たちも酒を呑める年齢になっていたが、それと反比例して父親たちの酒量は極端に少なくなっている。

父親は戦後、茨城県の履物屋で丁稚奉公をしていたが、朝鮮戦争時にアメリカの船に乗って朝鮮半島へ行き、当時としては桁外れな外貨を稼いだと言っていた。
その後、鉄鋼都市川崎に移り住み、荷役をしたり、鍛冶屋をしたり、タクシーの運転手をしたり、時には仕事を請け負ったりしながら、激動の昭和を力強く駆け抜けていった。

40年以上前のこの写真を見て感じるのは、父はその表情のとおり、もの凄く厳しい人であったが、私の肩にしっかり手を当ているのは、子どもを見守っていくという優しさ・責任感の表だったのではないだろうか。
自分がこうして充実した生活ができるのも、父親の、父親世代の人たちが汗にまみれで仕事をし、それを母たちがしっかり支えてくれたおかげだったと心底感じる。
この先、何ができるかわからないが、父母伯母に対して感謝の気持ちを少しでも贈っていきたい。

でも、なぜ、父は川原でスーツを着て、私はちびっ子画家風の格好をしているのだろうか?
米寿のお祝いまでには真相を解明したい。

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