ははと二匹の子ザル

二人の息子と日々の色々

兄 12歳の誕生日

2011年06月20日 | Weblog

節目の誕生日

小学校最後の年

いつもとは違う誕生日

普通に買い物ができて、食べたい物も食べれる日常

でもやっぱりちょっと違う誕生日

多分、一生忘れる事が出来ない年になると思う

誕生日を元気に迎える事ができた

それだけで感謝


これからも元気に優しく大きく育て、お兄ちゃん


東日本大震災 ~宮城県・石巻市~ 6.18

2011年06月18日 | Weblog

100ヵ日

津波にのまれて命を落とした人のほとんどは“あの日”に亡くなったにちがいない

だから100ヵ日の今日、市で慰霊祭が行われた

今回は大半の人が、かなりの苦しみの中亡くなった事は、あの惨状を目にすればわかる事

片付いていく町を見ても、“あの場所”に立つと胸が苦しい

何も無いのに、つい何かを探してしまう

何も無いのに……

母の思い出と共に家も無くなり、町も無くなり、母校の小学校まで燃えてしまった

最近は母の実家跡地にも中々たどり着けない

“津波”によって無くなった場所が、また“水”に阻まれてたどり着けない……

まっ、行っても何も無いんだけど・・・

 

この3ヶ月    

よく覚えてない3ヶ月

 

最初の1ヶ月

1日足りと救急車や消防車の音を聞かない日が無かった

パトカーと自衛隊に関しては3ヶ月間で見かけない日は無かったかも

 

一番ありがたかったのは、友達からの安否確認

「大丈夫?」

その一言でみんなと “繋がってる” 気がした

 

もちろん、全国からの支援物資は『命をつなぐ』意味でもありがたかった

配給物資を送ってくれた人たちや企業

色んな人たちに助けられて『命』がつながっている

 

つなげられなかった『命』はたくさんある

幸い兄や弟・母の友人たちはみな無事だった

父の友人は何人か亡くなった

 

100日を迎えて、やっと落ち着いて振り返ることができる “あの日”

色々と後悔することもあるけど、起こってしまったことは仕方が無い

戻れない限り進むしかない

 

“あの日”

地震の後の真っ黒い雲に覆われ、降った白い雪

その後の青空に、オレンジのきれいな夕焼け

一生  忘れることが出来ない

 

 


東日本大震災 ~宮城県・石巻市~ 6.3

2011年06月03日 | Weblog

再び『実家跡地』に行く事に……

1ヶ月以上振り

道路も綺麗になり、瓦礫もだいぶ片付いてきたので尚更“荒野”というか“砂漠”のような感じになっていた

久々に行った訳は、埼玉の叔父さん夫婦が来石した為

バァちゃんの兄にあたる人で、昔住んでた所は“門脇町”

幼い頃を過ごした『石巻』の惨状を自分の目で確認したくて来たみたい

今回の震災で母の実家があった“南浜町”と共に大部分が消えてしまった町

言葉を失ってました

母も、もう何度か行ったけど未だに胸がつまります

何度泣いても……仕方がないんですけどね

だからいつも天気のいい日に行くようにしています

いくらかでも気持ちが明るくなるような気がするから

町は復興しても、心は中々…………ね


東日本大震災 ~宮城県・石巻市~ 6.1

2011年06月01日 | Weblog

もう6月になっちゃいました

普通の生活をしているけど、まだまだ非日常な光景が見られる街中

でも、それが『普通』になりつつある最近

ヘドロや瓦礫の臭さにも慣れました(苦笑)

学校の方も何とか順調に回りだし、今日から給食も出ました

弟にとっては『初給食』

ご飯におかず一品………というメニューだけど、友達と食べる食事は楽しいみたい

まだ従来の通学路が復活せず、毎日遠回りの通学

早くお迎え無しの生活になりたい