ははと二匹の子ザル

二人の息子と日々の色々

弟 修了式 小1

2012年03月23日 | 弟 小学

インフルから6日目

順調にいけば登校できた弟。。。。。

水曜日に再発熱で登校断念です

午後から、みんなが帰った後に通信簿取りに行きました

学用品と1年間の作品など色々と回収

インフルエンザは欠席にはならないので、弟 念願の「皆勤賞」の賞状をGET

また離任式に会えるからと先生と

 

そしたら、にK君ママから

「担任のN先生、転勤だって」。。。。。と

ビックリです

兄の時も幼稚園時代から先生の入れ替わりや転勤が続きました

弟も年少の時の担任が色々あり

公務員ですから転勤はやむを得ない

けど、低学年には悲しい出来事のはず

笑ってサヨナラしたいですね(弟なら泣かないかもしれない


ドラマとか・・・福山とか・・・福山とか(笑)

2012年03月20日 | 母の愚痴&失敗&日々の事

3月に入って、震災関係のテレビが多くなり

「石巻日日新聞」のドラマもあった

まぁ、2時間のドラマだし、新聞メインだからだと思うけど、なんとアッサリした被害状況

津波の被害もアッサリ・・・女川の映像なんてかなり瓦礫片付き過ぎてるし

それに地元人より訛ってるし

というか、あれは石巻弁じゃあ無いし  どこの言葉状態

私があの新聞(実物)を見かけたのは2週間後くらいかな

 

この1年間、色々な津波の映像を探した

石巻の映像は少なくて、欲しい情報が得られない

門脇・南浜町の映像には、たくさんの人が映っているから外には出ない。。。らしい(噂)

実家が流された状況は十分理解している

でも、やっぱりどうゆう風に流され最後にどこに流れ着いたのか。。。知りたい

たぶん、一生わからないとは思うけど

 

自分自身、直接の大津波は見ていない

だからトラウマは無い。。。。。はず。。。

でも、1週間の半分は南浜町の町が夢に出る

買い物に行ったスーパーや、弟と散歩しながら行った郵便局

今ではもう何処が道だったかも判らない

 

市立病院の川沿いから海への道

門小前の一方通行

桜が満開だった聖人堀の道

もう二度と見れない景色

何年後かに新しい公園が出来れば、あの町の夢は見なくなるだろうか。。。。。。

親も無事で、家族も無事で、無くしたものは実家の家だけだったのに。。。女々しいかな

 

                        

兄の卒業式の前日

石巻の中学校に 福山雅治 が来ていたらしい

我が家から600m離れた、兄が4月から通う中学校に

当日は体育館周辺は黒山の人だかりだったみたい

何人かの友達ママからメールが来たけど、うちはインフルBが居たので

それに、体育館からは音漏れもあまりしなかったみたい

何においても、運がない我が家です

 


兄 小学校 卒業式

2012年03月19日 | 兄 小学6年

朝からちょっとが強い

前日からインフルBの弟をバァちゃんに預けて美容院へ

兄の希望で。。。。。

                 こんなんなりました 

使えない体育館の代わりに音楽室での卒業式

           

狭くて兄を探すのも一苦労だけど、無事に卒業できました

歌や旅立ちの言葉

何度もウルッときましたが、なぜか今日は笑顔で居たくて我慢しましたよ

 

兄の髪、分かりましたか

                   (ソフト)リーゼント

スーツを着てると、小さいサラリーマン

  下がジーンズになると、どっかのIT企業の社長さん

 

本当に みんなで卒業式を迎える事が出来て よかった

1・2年生の時の担任のK先生も謝恩会に駆けつけてくれて最高に嬉しい時間

兄が恥ずかしがると思って、K先生との写真を無理強いしなかったら。。。

ちゃっかり自分で撮ってもらってました

これを節目にもうK先生とは会う機会が無いかもしれませんね

でも、これからも遠くからでも見守っていてくださいね

まだまだみんな成長途中です

 

お兄ちゃん     卒業 おめでとう 

 


こんな時に。。。。。

2012年03月18日 | 母の愚痴&失敗&日々の事

卒業式を明日に控えた今日

なんと弟

インフルエンザBです

午後から休日当番医に行ったら、混んで無くて
呼ばれて診察室に入り、インフルの検査して結果出るまで約10分

『インフルエンザB、プラスに線出ましたから』とドクター

とりあえずは兄と昨日遊びに来てた兄の友達が移って無い事を祈ろう


東日本大震災 ~宮城県・石巻市~ 2012 ・3・11

2012年03月11日 | 母の愚痴&失敗&日々の事

1年たちました

1年も経ったのに、あの日の記憶は鮮明に覚えている
無我夢中な所や、時間経過は所々ズレてますけど


今日は朝から天気良かったです

何も用事を入れなかったので、従姉妹の子供 Hを預かる事に

お寺さんで合同慰霊祭があるから、Hはお留守番

ねぼすけな我が家で遊びながら待ってました


午後からは、何処にも行きたく無く………

って思ってたんだけど、色々とお世話になっている埼玉県の和太鼓 『響』 さんが石巻で演奏してくれるというのでみんなで見に行きました

  

                  

色々思い出しましたね

(去年のこの時間は、学校に向かってたなぁ~)。。。。。とか

(この後、雪が降って。。。夕日がきれいだったなぁ~)。。。。。とか

 

石巻の中心部であった追悼イベント、大切な人へのメッセージを書いたハト形の風船を夜空に放った

            

Hも書いてきました

  「おとうさん、お空でもボクシー(車)に乗ってますか?」  

絶対乗ってるね                                                  

                                                                                                      

 

 


さくらproject

2012年03月10日 | 母の愚痴&失敗&日々の事

今日は子供会の歓送迎会(=ボウリング大会)

昨年はこの歓送迎会の2日前に、あの地震。。。。。

ボウリング場も水没して  復活が危ぶまれましたが、石巻唯一の娯楽場なので

 

6年生が8人卒業して、8人が新たに入学します

±0 

 

母も一緒にボウリングしたので写真は無しです

それに、いつもボウリング大会ではミスドのドーナツが出てたんだけど、ミスド潰れちゃったし

子供会の予算も今年は出ないので、ジュースだけでお菓子類無し

 

ところが

なんと救世主

埼玉県蕨市立塚越小学校の保護者の方から支援物資が

お菓子と巾着いただきました

巾着は、兄と弟が卒園した幼稚園に     お菓子は子供会で

何気に、うちの子供会は兄の小学校の中でも人数多いので一人分は少しでしたがみんなで頂きました

さくらproject    嬉しいことです  

 

                     

 

全国の皆さんから支援していただき、1年過ごすことが出来ました

道は車で走ることができ、買い物も普通にできる今日この頃

しかし、復興には程遠く・・・・・

復旧すらまだまだの所が多く・・・・・

震災前の“石巻”に戻れない事は、ここに住んでいる私たちが十分わかっていること

でも、ここに住む限り前に進まなきゃいけない

明日の2時46分    

サイレンの音は聞きたくない

 


未来への光

2012年03月09日 | 母の愚痴&失敗&日々の事

知ってる人も多いかもしれないけど、

昨年3月の東日本大震災で大きな被害を受けた

気仙沼市・階上(はしがみ)中学校の被災後10日遅れの卒業式での、

卒業生代表の梶原裕太くん(当時15歳)の答辞をご紹介したいと思います

『 本日は 未曾有の大震災の傷も 癒えないさなか

私達のために 卒業式を挙行していただきありがとうございます。



ちょうど 十日前の三月十二日

春を思わせる暖かな日でした

私たちは そのキラキラ光る日差しの中を

希望に胸を膨らませ 通いなれたこの学舎を

57名揃って 巣立つはずでした

 

前日の十一日 ひと足早く渡された思い出のたくさんつまったアルバムを開き

十数時間後の卒業式に思いをはせた友もいたことでしょう

「東日本大震災」と名付けられる天変地異が起こることも知らずに・・・・・

 

階上中学校といえば「防災教育」ともいわれ、内外から高く評価され

十分な訓練もしていた 私たちでした

しかし自然の驚異の前には、人間の力は あまりにも無力で

私たちから大切なものを 容赦なく奪っていきました

 

天が与えた試練というには、惨すぎるものでした。

つらくて、悔しくてたまりません

 

時計の針は 14時46分を指したままです。

でも時は確実に流れています。

生かされた者として、顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、

強く、正しく、たくましく生きていかなければなりません。

 

命の重さを知るには大きすぎる代償でした。

 

しかし 苦境にあっても、天を憎まず

運命に耐え 助け合って生きていくことが

これからの私たちの使命です

 

私たちは今、それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します

どこにいても、何をしていようとも、この地で、仲間と共有した

時を忘れず宝物として生きていきます。

 

後輩の皆さん、階上中学校で過ごす「あたりまえ」に思える

日々や友達が、いかに貴重なものかを考え、いとおしんでください。

 

先生方、親身のご指導、ありがとうございました。

先生方が、いかに私たちを思ってくださっていたか、

今になってよく分かります。

 

地域の皆さん、これまで様々なご支援をいただき、

ありがとうございました。

これからもよろしくお願い致します。

 

お父さん、お母さん、家族の皆さん、これから私たちが

歩んでいく姿を見守っていて下さい。必ず、よき社会人になります。

 

私は、この階上中学校の生徒でいられたことを

誇りに思います。

 


最後に、本当に、本当に、ありがとうございました。

 

平成二十三年 三月 二十二日


            第64回卒業生代表  梶原裕太 』

去年の、あの時期に・・・

地震からわずか11日でこの答辞はすごい

その場に居たら、最後まで聞けない程に号泣したにちがいありません

 


2012年03月06日 | 兄 小学6年

兄、学習塾デビューです

来月から中学になるこの時期に“初学習塾”

遅すぎ感、ありありですが・・・・・

友達のT君が行っている塾

震災後に移転して、我が家から歩いて5分

近くていい

緊張したらしく、帰り道は喋りまくり

4月からは色々と忙しくなりそうな兄ちゃんです