風と光と大地の詩

気まぐれ日記と日々のつぶやき

万葉集覚書1

2019年09月13日 | 万葉集覚書
万葉集に集められた歌を当時の人々はどのように詠んでいたのだろうか。
柿本人麻呂の枕詞をふんだんに駆使した長歌。非業の死を遂げた皇子を悼む挽歌。額田王や坂上郎女など女流歌人の相聞の歌。防人の歌。読み人知らずの東歌。
それらをどうにかして聞く方法はないものだろうか。
今の歌会始や百人一首の札の読み上げのように、テンポも一定で、抑揚のあまりない一本調子の節で詠んでいたのだろうか。
能や狂言など伝統芸能は、親から子、子から孫へと代々、口伝えで引き継がれ、作られた当時のものがほぼそのまま、今日まで伝えられていると考えられるとすれば、宮廷での伝統はそれほど往時と変わっていないと考えられるかもしれない。
しかし、宮廷での歌の詠みかたと、都から遠く離れた東国など、方言のようなものも含まれる東歌の詠みかたは同じだったと言えるのだろうか。鄙振りという言葉もある。
歌というからには、まして文字も普及していない時代には、歌は声に出して詠むものであって、今日のように文字で記してそれを黙読するのとはまったく違う創作ー受容のあり方であったに違いない。(続く)



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