「これから現行の貨幣制度が崩壊し 新しいシステムに移行するだろうが、そのとき大切なのは 物や行為に価格をつけないこと」 (木内鶴彦さんの発言だと又聞きで教えられたもの)
「お前は自分の認識しないものは価値がないというのか?ファンタジーは現実ではないというのか?しかし、未来の世界はファンタジーからしか生まれ育たない。我々が創造するものの中でこそ、我々は自由なのだ」 (ミヒャエル ・ エンデ著 「サーカス物語」 より)
「部族全体の幸福に貢献するものならなんでもメディシンとなる。骨折を治す才能や薬を持つのはいいことだが、卵を見つける才能とくらべてどっちが上ということではない (中略) どちらも個人それぞれの能力なのだ」 (マルロ ・ モーガン著 「ミュータント ・ メッセージ」 より)
「第一に、何が人生の浪費かを判断するのは、あなたがたではない (中略) 他人の魂の旅を判定するのは、あなたの役割ではない。あなたは、自分が何者かを決めるべきであって、ほかの誰かが何者であるか、あるいは何者でないかを判定する必要はない」 (ニール ・ ドナルド ・ ウォルシュ著 「神との対話」 より)
天が無償でふんだんに与えてくれるものを、いつの頃からか私たち人間は 所有の概念で縛って囲い込み、条件付きで交換するようになった。
心が頑なに不自由になり 互いが分離する方向に進んだわけですね。
ところで 「価値」 っていったいなんなんでしょう。
まずなんとなく浮かぶのは、それは 比較があって初めて意味を成すもののようだ ということ。
AよりBのほうが美しい・ 性能がいい ・ 使い勝手がいい、だからAよりBのほうが 多くの人に望まれる → 値打ちがある、高値をつけても売れる、というような。
しかもこの物差しの力は、物ばかりか いのちある動植物や 私たちひとりひとりの働きや生き様にまで及んでいます。
動植物は公然と売買され、私たちの労働や時間も 当然のごとく換金対象となる。
それほどまでにこの 「価値がある ・ ない」 という意識は 私たちの内にしっかり浸透しているのですね。
でも、“いのち” ってほんとうに物差しで計れるものなの?
人であれ 他の生き物であれ 計量の対象となり 価値を付けられることを許したとたん、それは無限の “いのち” から 有限の “商品” に変わります。
そして そんな意識が高じて 地球環境を荒廃させ、多くの生物を絶滅に追いやり続けているんだよね?
それにしても、かけがえのない絶対のいのちを 一商品にまで貶めてしまう 「価値」 という物差しを、私たちはなぜ手放そうとしないのでしょう。
「オンリーワン」 「win - win」 などの言葉が一時期よく聞かれ 絶対であるものを愛しむ世界への憧れを感じさせましたが、それでもやはり 「価値あるもの」 認定を目指して 商業活動はもとより 教育 ・ スポーツ ・ 芸術などあらゆる分野での競い合いは 勢いを増す一方。
頂点に立てるのはほんの一握りで 大半は敗者、競争に負けるリスクのほうがずっと高いわけですが、そんなリスクを背負ってでも いつか勝者となる夢を諦め切れない、「価値あるもの」 の座争奪戦には 麻薬のような抗いがたい吸引力がある氣がします。
子どものころからいい子の優等生だった貴秋、その力の強さは身に沁みて知っていますから (^^ゞ
「価値」 の物差しを手放すよりも 「価値」 争いの勝者を目指す方に魅力を感じずにおれない。。。。そんな氣持ちの奥には いったいなにがあるんだろう?
好奇心の赴くまま 自身の心の内を探っていくうちに見えてきたものは、やはりというか 幼い頃の体験としっかり結びついていました。