“スピリチュアル” “心” “神” “おおいなるひとつ” “本質” “真実”
さんざん使わせてもらっておきながらなんなんですが、自分の中で ひどく据わりの悪い言葉。
黒板キーっと引っかく音を聞いたときみたいに 歯が浮くというか (笑)
なにより伝えたい 表したいことなのに、どうにも落ち着きどころが見つからないというか。
言葉は、「現地と地図」 の 「地図」 に例えることができます。
現地を指し示す記号みたいなもので、現地そのものではない。
現地の情報の一部を表すに過ぎない。
現地を持たない言葉というのもあります。
ただ決まり言葉を 反射的に投げるだけ、形を取り繕うだけの、いのちのこもらない 空回りする言葉。
表面だけのお世辞、紋切り型のせりふ、テンション高く 上滑りするはしゃぎよう、ほんとうの喜びを呼び起こさない言葉の数々。
それでも、現地が五感で確かめられるもののときには まだいいのですね。
言葉で伝わらないなら、いざとなれば 直接触れてもらうという手があるから。
しかし、これが 五感の及ばない世界のこととなると、正直お手上げ ( ̄  ̄;)
言葉で伝え切れるものじゃない。
そうわかっていても、なお伝えたい。
とても大切なことだという氣がするから、感じるものがあまりにも大きいから。
だから、ムリを承知で あえて言葉で語る。
言葉そのものを受け渡ししても始まらない。
でも、言葉を介して 伝わる “なにか” は あるのかもしれません。
現地を感じながら表現するときは、言葉に乗る “なにか” がある。
それが 相手の中のスイッチを押す。
言語としての言葉だけじゃなく、絵 ・ 映像 ・ 音 ・ 香り ・ 味 ・ 感触 など いろいろと。
まだまだテレパシーは普及していないけれど、私たちには 言語以外にも やり取りしているものが いっぱいあります。
感じる力を 少しずつでも取り戻してゆく中で、あらゆるものとの関わりが、つながりが、そして 世界が、大きく変わっていきます (^^)
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