4月30日18時からのお通夜、夕方から雨になったにもかかわらず 予想以上に大勢の方がお越し下さいました。
当初の私たちの予想より だいぶ多めに席を用意してもらっていたのですが、それでも足りなくて 急遽追加したほど。
これは家でなんかしなくてよかったね、と家族一同ほっと胸をなでおろし(^^ゞ
それにしても、皆さま 受付を済ませるなり なぜか歌詞カードを渡されたりして なんじゃこりゃ?と思われたことでしょう。
献灯で始まったこのお通夜、スタッフの方々の熱意のおかげで 想像をはるかに超える素晴らしいものになりました。
弟作の進行表をしっかり呑み込んで 見事なナレーションをつけて下さった司会者さん、堂々と美しい所作で 献灯の儀に趣を添えて下さった女性スタッフさん、さらに 献花の際にどこで何をすればいいのか 目立たないようにそっと家族に指示してくれたり、持ち込みのビデオカメラの世話から 照明、お客さまの誘導に至るまで、一日かそこらの準備期間で いかにその道のプロとはいえ ここまで非の打ちどころのない運びとなろうとは。
そして、悪天候をおして せっかくのゴールデンウィークなのに わざわざお運び下さった、たくさんのご近所の方々や知人友人の皆さま。
父の仕事の関係で 生まれ育った関東を離れて40数年、自分たちの万一のときには 遠くから身内が来なくていいよう 生前から氣にかけていた母、それがよりによってGWの真っ最中、ただ一人残った姉妹の叔母だけは 無理をしても来ると言ってくれましたが、それ以外の人たちには「もうどうぞお氣持ちだけで」ということで 大人数のお式など望むべくもないと、ひそかに「椅子の数多すぎないかなぁ」なんて氣がかりだったのに。
それが、会場一面を埋め尽くすようにお集まり下さった方々をぼんやり眺めているうちに、悲しみというより 感動の涙が溢れ出して抑えられなくなってしまいました。
ゲネプロ・・・じゃない、歌の練習のときはケロリとしてたのに これは想定外。。。まずいよ、私部屋にハンカチ忘れてきちゃったよぉ
ピアノ弾く手元が見え~ん
指先を濡らすわけにはいかないと 手の甲で何度もごしごし、かっこ悪ぅ、つくづく目にワイパーが欲しかった(笑)
献花のあと、並んだ遺族の前を通り過ぎるお客さま方に、心からの感謝を込めて 深々と頭を下げ続けた私たちでした。
翌5月1日、この日も雨だと聞いていたのに どうにか天氣がもってくれ、12時からの告別式にもまた多くの方がいらしてくださいました。
無理をおしてとった新幹線で 前晩遅くに大阪入りしていた叔母とその次女の従妹が 朝のうちに駆けつけてくれ、お棺に入れる折鶴(これもAさん即興のアイデア)をいっしょに折ってくれたり。
この叔母と 母のお友だちの三人の方が スピーチをしてくださったのですが、これがまたいずれも式をぐっと盛り上げ形付けてくれて素晴らしく。
両親と若い頃からの知り合いで 家族ぐるみのお付き合いだったおじさんは 涙でお話が途切れたまま続けられなくなってしまいましたが、それもまた言葉にならない思いを贈っていただいたようで感動を誘い、やはり家族同然の間柄の母の若いお友だちの女の方は 手紙に綴った思いのたけを 涙ながらに読み上げて下さり、父の仕事を通してお知り合いになった男の方は 私たち子どもの知らなかった 比較的最近の母の姿を とてもわかりやすく語って下さいました。
そしてトリの叔母は 幼い頃の母の思い出話を 落ち着いたあたたかい口調で ときにはユーモラスに淡々と語り、おしまいを ご参列下さった方々と 長年愛情と共に連れ添った父への感謝の言葉で 尺もバッチリに 見事に締めくくってくれました。
出棺のときは、これまた叔母のその場の思いつきで BGMを止めて 家族七人の「埴生の宿」の合唱を手向けに。
こうして、多くの方々の思いやりやお心遣いに支えられて オリジナルのお通夜&告別式を無事に終えることが出来たのです。
自分がイメージしてたのとは大きく違っただろうけど、母も今ではきっと、こういうお式にしてもらってよかった、うれしかったぁ、って思ってくれてると思うなぁ(^^)
当初の私たちの予想より だいぶ多めに席を用意してもらっていたのですが、それでも足りなくて 急遽追加したほど。
これは家でなんかしなくてよかったね、と家族一同ほっと胸をなでおろし(^^ゞ
それにしても、皆さま 受付を済ませるなり なぜか歌詞カードを渡されたりして なんじゃこりゃ?と思われたことでしょう。
献灯で始まったこのお通夜、スタッフの方々の熱意のおかげで 想像をはるかに超える素晴らしいものになりました。
弟作の進行表をしっかり呑み込んで 見事なナレーションをつけて下さった司会者さん、堂々と美しい所作で 献灯の儀に趣を添えて下さった女性スタッフさん、さらに 献花の際にどこで何をすればいいのか 目立たないようにそっと家族に指示してくれたり、持ち込みのビデオカメラの世話から 照明、お客さまの誘導に至るまで、一日かそこらの準備期間で いかにその道のプロとはいえ ここまで非の打ちどころのない運びとなろうとは。
そして、悪天候をおして せっかくのゴールデンウィークなのに わざわざお運び下さった、たくさんのご近所の方々や知人友人の皆さま。
父の仕事の関係で 生まれ育った関東を離れて40数年、自分たちの万一のときには 遠くから身内が来なくていいよう 生前から氣にかけていた母、それがよりによってGWの真っ最中、ただ一人残った姉妹の叔母だけは 無理をしても来ると言ってくれましたが、それ以外の人たちには「もうどうぞお氣持ちだけで」ということで 大人数のお式など望むべくもないと、ひそかに「椅子の数多すぎないかなぁ」なんて氣がかりだったのに。
それが、会場一面を埋め尽くすようにお集まり下さった方々をぼんやり眺めているうちに、悲しみというより 感動の涙が溢れ出して抑えられなくなってしまいました。
ゲネプロ・・・じゃない、歌の練習のときはケロリとしてたのに これは想定外。。。まずいよ、私部屋にハンカチ忘れてきちゃったよぉ
ピアノ弾く手元が見え~ん
指先を濡らすわけにはいかないと 手の甲で何度もごしごし、かっこ悪ぅ、つくづく目にワイパーが欲しかった(笑)
献花のあと、並んだ遺族の前を通り過ぎるお客さま方に、心からの感謝を込めて 深々と頭を下げ続けた私たちでした。
翌5月1日、この日も雨だと聞いていたのに どうにか天氣がもってくれ、12時からの告別式にもまた多くの方がいらしてくださいました。
無理をおしてとった新幹線で 前晩遅くに大阪入りしていた叔母とその次女の従妹が 朝のうちに駆けつけてくれ、お棺に入れる折鶴(これもAさん即興のアイデア)をいっしょに折ってくれたり。
この叔母と 母のお友だちの三人の方が スピーチをしてくださったのですが、これがまたいずれも式をぐっと盛り上げ形付けてくれて素晴らしく。
両親と若い頃からの知り合いで 家族ぐるみのお付き合いだったおじさんは 涙でお話が途切れたまま続けられなくなってしまいましたが、それもまた言葉にならない思いを贈っていただいたようで感動を誘い、やはり家族同然の間柄の母の若いお友だちの女の方は 手紙に綴った思いのたけを 涙ながらに読み上げて下さり、父の仕事を通してお知り合いになった男の方は 私たち子どもの知らなかった 比較的最近の母の姿を とてもわかりやすく語って下さいました。
そしてトリの叔母は 幼い頃の母の思い出話を 落ち着いたあたたかい口調で ときにはユーモラスに淡々と語り、おしまいを ご参列下さった方々と 長年愛情と共に連れ添った父への感謝の言葉で 尺もバッチリに 見事に締めくくってくれました。
出棺のときは、これまた叔母のその場の思いつきで BGMを止めて 家族七人の「埴生の宿」の合唱を手向けに。
こうして、多くの方々の思いやりやお心遣いに支えられて オリジナルのお通夜&告別式を無事に終えることが出来たのです。
自分がイメージしてたのとは大きく違っただろうけど、母も今ではきっと、こういうお式にしてもらってよかった、うれしかったぁ、って思ってくれてると思うなぁ(^^)
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