イギリスの推理作家アガサ・ クリスティの 「死が最後にやってくる」 は、なんと紀元前の古代エジプトが舞台の異色ミステリーです。
主人公は、広大な荘園を持つ墓所僧インホテプの娘で、夫に死に別れ 幼い一人娘を連れて実家にもどった若き女性レニセンブ。
実家には父親のほか 二人の兄とその妻や子どもたち、末の弟に老いた盲目の祖母、さらにおおぜいの使用人がいて、暖かく迎えられたレニセンブですが、ある日所用で旅に出ていた父インホテプがうら若い愛妾ノフレトを連れ帰ったところから、家族の間に動揺が走ります。
一族をじわじわと蝕んでゆく反感反目、嫌悪、憎悪、そしてそのクライマックスに突然訪れたノフレトの死。
死因は事故で片づけられ、一族に再び平和が戻った。。。と思えたのですが。
蜂の巣をつついたような騒動のさなか 事態を冷静に見つめていた二人の人物が、高齢の祖母エサと インホテプの有能な書記官で家族の信頼も厚いホリ。
すべてをノフレトのせいだと思い込むレニセンブを ホリは冷静に諭します、「変化のもととなるものは、ノフレトが来る前からすでにここにあったのですよ」 と。
この 「死が最後にやってくる」 、数あるクリスティの名作の中でも とりわけ好きなお話のひとつですが、最近よくこの物語が頭に浮かびます。
突然殺人事件の真っ只中に放り込まれたレニセンブたちと 突然コロナ騒動の真っ只中に放り込まれた私たちの境遇に、相通じるものを感じるせいでしょう。
新型コロナウイルスの登場で 私たちの生活は引っくり返ったけれど、混乱の真の原因はウイルスそのものではなく、もっと前から一見平穏な私たちの暮らしの中に潜んでいたのだと思えてなりません。
想定外の事態であることを差し引いても 政府の手際の悪さや的外れな対応は目につきますが、ならば以前の政府は公明正大で国民に寄り添い、そのニーズに迅速かつ的確に応え、みなに心から慕われ信頼される存在だったといえるでしょうか。
このコロナ騒動さえなければ、私たちはみな十分に豊かで 日々の暮らしになんの不安も不満もなかったのでしょうか。
子どもたちは一人残らずそれぞれの望みに応じた教育を受けることができ、晴れがましく充実した人生を歩み出せていたのでしょうか。
そんなふうに考えると、コロナウイルスはたしかに健康上の脅威ではありますが、同時に私たちの隠れた問題を明るみに出し 改善の機会を与えようとしてくれているようにも思えてきます。
起こることすべてに意味がある、ならば私たちは このコロナ騒動にどんな意味を見出すことができるのか。
まだしばらくは収まりそうにない事態の中で、貴秋の目に映るもの ・ 日々感じる思いをまた綴っていきたくなり、久々にキーボードに向かいました。
どんなときでもピンチとチャンスは表裏一体、危険なウイルスも 見ようによっては福音のもたらし手ともなり得ます。
医学的見地とはまた違う角度から、このウイルスが私たちに差し出しているメッセージを読み解いていければと思います。
p.s. ちょうどこれを書いている最中に、絵本作家 ・ 五味太郎さんのこんな記事を見つけました。
「五味太郎さん『コロナ前は安定してた?』不安定との向き合い方」
すごいシンクロニシティ w( ̄Д ̄;)w
こちらもぜひお読みいただければと思います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます