これは2016年8月のゴーヤ。
この家で父と暮らすようになって初めてのグリーンカーテンです (^^)
ちょっとスカスカだけど まあイメージどおりに育ってくれ、たくさんの花や実まで恵んでくれて おおいに氣をよくしたものでした。
で 翌2017年はこの実から採った種を早々に播き、ちゃんと芽が出て育ち始めたのですが、なぜか次々と枯れてしまって。
成長点に喰われたような痕があったので、もういちど今度は植木鉢に種播きし、十分な大きさになるまで目を光らせ管理した上で、ここまでになればもう大丈夫だろうというところで移植しましたが、これもまた成長点をやられて枯れてしまったのです。
もう苗作りの時期には間に合いそうもなく 結局何にやられたのかもわからぬままがっくりきてしまい、この年のグリーンカーテンは実現しませんでした (T_T)
この記憶から2018年は残っている種を播く氣にもなれなかったのですが、毎年の地域清掃参加者へのゴーヤ苗プレゼントに思いがけず意欲が湧き、役場に駆けつけて頂いてきた二株を さっそく植えつけました。
その後なにが起きたかはこちらの 「初夏の庭に教えられたこと」 に書いていますが、実はいったん助かったと思われたこの苗たち、結局はまたしてもダメになってしまったのです 。
しばらくおとなしくしてくれていたダンゴムシたちが 再び苗にとりつき出し、前年の二の舞に 。・゜・(ノД`)・゜・。
原因は私の意識にありました。
ダンゴムシたちを信じ切れず、毎日のように 「いまはいいけどこの先も食べないでね」 と念を押し続けてしまったのです。
その底に 「いいことが続くわけがない」 「結局ダメになってしまうかもしれない」 という怖れの観念が強力にはびこっていたのはいうまでもありません。
で、そちらが実現してしまったと。
・・・と今でこそ冷静に見ることができますが、この体験に裏打ちされ強固になってしまったゴーヤにまつわる負の意識が払拭されたのは、つい先日のことだったのです。
今年はもう役場に苗をもらいに行くこともなく グリーンカーテンなど考えたくもない氣分だったのに、あの投売りの苗たちと出会って思わず連れ帰ってしまったのはなぜだったのでしょう。
実のところ、植え付けが終るまではダンゴムシのことはきれいに忘れていました。
が、夕方になって無事水を吸い上げているか確かめに行くと、あの悪夢のようなダンゴムシにたかられた苗の光景が再現されているではありませんか。
目の前が真っ暗になる思いでいったん部屋に戻りましたが、このまま手をこまねいていたら ただでさえ弱っているあの子たちはたちどころにやられてしまうでしょう。
せっかく助け出した苗たちをなんとか守りたい一心で、もう一度ダンゴムシたちに心の中で語りかけようとしたそのとき、ひらめきが起こりました。
“そのやり方じゃ駄目!”
じゃどうすれば? と問うのと答が浮かぶのとどちらが先だったか。
私はすぐさま目を閉じて、あの2016年のように 窓一面に青々と生い茂るゴーヤのカーテンをくっきりと思い描きました。
あのひよひよの苗がこうなる! と視覚的にイメージしたのです。
それから15分ほど経っておそるおそる庭に出てみると。。。。なんとどの苗にもダンゴムシの影さえ見当たらないではありませんか。
その後ついに苗の周りに一匹のダンゴムシを見ることもなく、あのときのイメージ画は現実となりました。
意思が伝わる ・ 望みが叶うとはこういうことかと体験学習させてもらった思いです。
助けられたのはゴーヤよりも私のほうだった。。。。そんな氣がしてなりません。
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