毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

「人間万事塞翁が馬」 の新たな教え

2022年06月04日 12時13分01秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
貴秋のそばに いつも置かれているぬいぐるみがあります。

かわいいもの好きななわけではないのですが、この子は 以前物置部屋と化していた六畳間にあった幼少期の姪のおもちゃ箱から出てきたもので、処分するつもりだったのが あるときふと抱き上げたら その抱き心地のよさに魅了され、以来貴秋のベッド上が定位置となっています。

で、折に触れてこの子に 「いい天氣だね~」 とか 「だいぶ暑くなってきたねぇ」 などと話しかけるのが習慣になっているのですが、先日なぜかふと これまでの内的探究について物語る言葉が口をついて出始め、もの言わぬぬいぐるみ相手に ここ二~三十年の内的変化の軌跡についての一人語りがえんえんと流れ出して止まらなくなりました。

何やってるんだ自分、と思いながらも 記憶がほとばしるままに語り続けたのですが、そのうちに見えてきたものがありました。

これまでは その時々に起きていることが望みに叶っていれば 「お、導かれてるな」 と思い、叶っていなければ 導きを見失ったように感じていましたが、数十年に渡るさまざまな出来事を一本の線のように並べてつらつら語るうちに、実はいいときも悪いときも つねに一貫して導かれていたんだということにはたと氣づいたのです。




「人間万事塞翁が馬」 というよく知られたことわざがあります。

塞 (とりで) に住む老人のところの馬が逃げ出した。

まわりの人々は氣の毒がったが、その馬が駿馬を連れて戻ってきた。

人々は喜んだが、その馬に乗った老人の息子が落馬して足の骨を折った。

人々は氣の毒がったが、やがて隣国との戦争が起こったとき 息子は骨折のおかげで兵役を免れ、命を落とさずに済んだ。

このように 一見幸せに思えたことが不幸に転じることもあれば その逆もあるのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではない、というのがこのことわざの意味と言われています。。。。が。

この逸話の時代は まだバリバリ 「行き」 の道、すなわち本質から離れて 本来の自分にはないはずの要素を体験する歩みの途上でしたから、どんな事態の下でも希望を失うまいとの思いを込めて そういう捉え方になるのもわかります。

しかしいまは 「かえり」 の道、万事が真の自分や本来のありようへと戻っていく時代の真っ只中ですから、その意味合いが多少変わるのもありなんではないかしら。




知覚できる顕在意識は、いま起きていることを過去の事例と照らし合わせ 比較検討して 次の一手を決めるため、どうしてもいい ・ 悪いの判断が起きてしまいます。

が、知覚できない潜在意識は 言葉も五感も超えた領域にあるため、比較も良し悪しもないんですね。

だから 、どういうルートを通ろうと たどり着く最終地点は自身の本質、愛 ・ 自由 ・ 豊かさ ・ 安らぎ ・ 健やかさといったものが体現される世界だとわかっていれば、いま起きているのがいいことだろうが悪いことだろうが すべてが前進であり、望むゴールを目指してひた進む道のりの一部なわけです。

貴秋も 過去の出来事をひとつひとつバラバラに見ていたときは、否定的なことについては 「あれいやだったなぁ、あんなことなければよかったのに」 という見方に囚われていました。

が、それらをいいも悪いも引っくるめて 自身の来し方として一本の線のように眺めたあのとき、これまでひどい目に遭ったと恨みがましく思っていたことも、実は塞翁の息子を骨折させることで命を救ったみたいな導きだったんだ、どん底と思えたときでさえ、実はつねにいい方へ幸せの方へと誘われ 引っ張られ 運ばれていたんだ、とぱっと光に照らされたように感じることができ、さらに 「見えない聞こえない人智を超えた導きというものが 確かにある」 という手応えを得ることもできました。

私たちの顕在意識は 嫌なもの不快なものを避けようとする癖がありますから、わざわざ困難に突っ込ませて本質へと導くなんて芸当は 顕在意識の枠を超えた存在でなければまずできるはずがないからです。




「ネガは受け止め向き合えば終わる」 とわかって以来、ネガティブなことが起こるたび うぇ~と顔をしかめながらも 「これは魂的にはガッツポーズものだな、さっさと向き合って終わらせよう」 と氣持ちを切り替え 感覚フォーカスにいそしんできましたが、この氣づきがあってからは、さらに一歩進めて 「いま自分は確実に目指す方へと向かっている、このネガを消化 ・ 昇華することで また一歩大きく前進できる」 と無理なく思えるようになり、氣落ちする時間も度合いも格段に減りました。

そしてふと目を上げれば、世界はまだ引きずっているコロナや先の見えないウクライナ情勢、相変わらずの異常氣象にサル痘だの物価高だの食料危機だのと新手も加わってシッチャカメッチャカという感じですが、いまの貴秋には そんな様相すら 天のエールに思えます。

新しいものを創造する前には まず古いものを壊す必要がありますが、これまでの仕組みの方からガタがきて崩れかかっているのなら こんな楽な話はない。

押しても引いてもびくともしない壁のように思えた 例の 「お金 ・ 時間 ・ 法」 トリオさえ、いまやその実体がどんどん露わになっていっているではありませんか。

次から次へと押し寄せるピンチの荒波からみなの命を守るという当たり前のことさえ、お金儲けと天秤にかけなければ一歩も進めないのが いまの世界の実情だとあからさまに教えてくれているのですから。

あとは私たち一人一人が本質を見抜く目を取り戻すだけ、そしていま降りかかっているどんな困難も恐れも痛みも うまく使えばそれを実現する手段となり得るのです。