毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

思い通りの人生を創造するためにぜひとも知ってほしい重要なこと

2022年05月02日 11時31分19秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
以前 「雷が条件の整ったところに落ちるのと同じように、アイデアや情報も波長の合うところに引き寄せられてくるのだと思っています」 と書いたことがありますが、それだけでなく 日々の大小さまざまな出来事も、自身のその時々の波長に見合ったものが引き寄せられて具現化しているようです。

去年のいつだったか、こんなひらめきが飛び込んできました。

「望んだりイメージしたりしたものは 五感を超えた領域で瞬時に実現し、見えないけれど すでに存在している。その波長と自分自身の波長が合ったとき 共振共鳴が起こり、見えなかった世界が形となって現れる」

五感を超えた領域には時間概念がありませんから、思うと同時にそれは潜在的に実現しており、具現化するかどうかは 自身の意識の波長をその世界と同調させられるかどうかにかかっている、ということらしい。




氣づいていようがいまいが、私たち誰もが自身の世界を創造しているというのは既成事実であり、あとはそれを受け入れるか受け入れないかというだけのことのようです。

もちろん 「どうやって創造能力を身につければいいのか」 なんていまさら悩む必要もない、私たちはみな この世に生まれ出た瞬間から すでにその能力を発動しているのですから。

とすれば 「すべてを自分が創っているのなら、なぜもっと望み通りの人生を送れないのか」 という次の疑問が出てきそうですが、それは 思考や感情のコントロールがそれだけ難しいということ。

この問題のポイントは、私たちが支配する者とされる者に分かれて以来、庶民の創造力を奪い 管理しやすくするために、潜在意識について考えないよう忘れるよう仕向けられてきたところにあると、貴秋は思っています。

その存在を知らされていなければ、知覚できないものを勘定に入れたりはしませんものね。




しかし、顕在意識1:潜在意識9と言われるほどの比率の違いを思えば、それでは意識のコントロールが利かなくなるのは当然です。

ある情報を たとえ顕在意識が100%認めたところで、潜在意識にそれに反する情報が取り込まれていれば、多勢に無勢、通るわけがない。

「二十歳を過ぎてもまだ親の言うことを聞かなければならないなんておかしいよね」 「どうして私ひとりで家族全員の世話をしなければならないの」 「上司の言い分はあきらかにおかしいのになんで従わなければならないんだ」 等々 心の中ではいくら主張したくても、いざとなるとどうしても頑張れないなんて思いをしたことはありませんか?

それは、知覚できない意識領域に 納得いかないけれど逆らえないなんらかの情報が埋め込まれていて、道理や理屈をはるかに超えたパワーで 自身のほんとうの思いを抑え込んでいるから。

そして、これは思いがけないことかもしれませんが、不条理な態度を取る家族や上司は 実は自分の心の中の思い込みの反映で、その言動によって 「あなたの中に あなたのほんとうの氣持ちに逆らうこのような思い込みが潜んでいるよ」 と教えてくれているのです。

ですから、そこで相手に食ってかかるのは独り相撲に過ぎず、時間とエネルギーの浪費にしかなりません。

それよりも、その時間とエネルギーを 自身の内面と向き合うために使うことです。

自分を粗末に扱う相手への怒り、なのに思いを通すことができない悔しさもどかしさ、そういったもろもろのネガ感情や それに伴うからだの感覚を、言葉を介さずじっくり感じること。

最初のうちはかなり消耗するかもしれませんが、不毛なシャドーボクシングに無駄遣いするのに比べれば はるかに建設的といえるでしょう。

しばらくして 多少なりとも努力が実を結ぶ手応えを得られれば がぜんやる氣が起きてきますから、そうなればこっちのもの。

統合へと向かういまの時代の流れが 背中を押してくれます。




私たちが分離への道のりをひた走っていた時代にも、0 (ゼロ) という無を表す数字を見つけ出し定理に組み込んだ数学者、素粒子に 知覚できる 「粒子」 と 知覚できない 「波」 の二つの性質が存在することを突き止めた物理学者、さまざまな儀式や行事によって 見えない世界への敬意を忘れさせまいとした宗教者、言葉を通じて言葉にならない世界の美を感じさせてくれた文学者など、知覚できない領域を人々が見失わぬよう ときには命がけで努力し続けてくれた多くの先人たちがいました。

どれほどの逆風の中でも、私たちを後押しする力は つねに働いていたのです。

そして風向きが変わったいまこそ、彼らが残してくれたものを手がかりに 私たちがほんとうの自分を思い出し、思い通りの人生を創造する力を取り戻すときです。