毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

災い転じて福と為せる時代がやって来ている

2021年08月17日 09時57分24秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
きのうの話の続きになりますが。

炎上するような発言をしてしまう人は、幼いころ刷り込まれた “バグ” のせいで、無自覚のうちに いまの世相とかけ離れた価値観を身につけてしまっているとお伝えしました。

無自覚なのは、刷り込みが 言葉も記憶もおぼつかない年齢に行なわれているためですが、さらに厄介なのは、バグが言葉ではなく 感覚という形で入り込んでいること。

刷り込まれたのは幼少期としても、その価値観を大人になってから振りかざせば 当然反発反論の嵐となるわけですが、それを受け止められないのは きのうも書いたように、まず誰もが持っている防衛本能のため。

では、穏やかに事を分けて話せばすんなり変われるかといえば、それもまた難しいんですね。

事を分けるとは 筋道立てて説明すること、つまり論理ですが、根深いバグほど言葉のおぼつかない年齢で刷り込まれており、筋道立った理屈で入っているわけではないので、「人の道に外れている自分」 「命を軽んじている自分」 などと言葉で自身の意識を探ってみても なかなか見つからないのです。

だから、「そんなこと考えていない」 「自分は間違っていない」 となってしまう。

聞いているほうからは 自己正当化にしか聞こえませんが、言っているほうにすれば 素直な実感なのです。

貴秋は 件のDaiGoさんの動画はどれも見ていませんが、ニュースで文字起こしされたものを読んだだけでも 最初の反論の言葉のほうに 直線的で強いエネルギーを感じます。

内容自体はトゲトゲギスギスした印象で およそ共感できるものではないけれど、それでもエネルギーとしては 後の謝罪コメントよりもよっぽど率直でウソがない氣がするのです。




私たちは子どものころから、「感じる」 に重きをおかず 頭を使うことばかり奨励されてきたため、「感じる」 より 「考える」 ほうに意識が向きやすく、いまここで自分が感じていることに焦点を合わせるのは苦手なんですね。

だから、発言炎上 ・ 袋叩きという大ピンチのおかげで 真剣に自分を変えようとする氣持ちが芽生え 全力で取り組んだとしても、悲しいことですが 理屈や理論だけで意識の変革はできないのです。

言葉や論理の領分である顕在意識は 意識全体の十分の一ほどしか占めていないため、潜在意識に手をつけず 顕在意識だけを変えても、意識そのものが大きく変わったことにはなりませんから。

これは、犯罪を犯した人が社会復帰する際にも 大きな障害となることだと思います。

理屈の上だけで 「反省しました」 となり、それがフリではなく 本氣で 「自分は変われた」 と信じ切ってのことでも、いやまだすっかり変わってはいないよと思い知らせるような出来事が あとから必ずやってくる。

大きな目で見れば それは宇宙の愛なのですが、変われたと信じていたのにそうではなかったと思い知らされた本人には 大変なショックでしょう。

元受刑者の再犯率がなかなか下がらないという話を聞いたことがありますが、それはこういう事情あってのことではないでしょうか。




明らかにそれはいけないだろうと思うようなことをした人を、牢屋にぶち込もうが 社会的に抹殺しようが 意識の底から変えられるものではない、ということを、私たちはそろそろ認めたほうがいいような氣がします。

今は、知覚できない世界について これほど広く知られ受け入れられてきた時代はないというほど 人々の意識が広がり柔軟になってきていますから、どんな不幸な出来事にも これまでにないアプローチをすることで、“災い転じて福と為す” を社会全体で実現するのにうってつけのタイミングだと思うのです。