毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

変わりゆくもの 変わらないもの

2018年02月26日 16時27分04秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


平昌オリンピックが終わりましたね。

ついこのあいだ開会式を見たような氣がするのですけれど (^_^;)

最近 すべてが駆け足で通り過ぎていくように感じることがしばしばです。

平昌のメダリストたちを見ていると、ふと こうして栄光をつかんでは消えていったアスリートたちを どれほど見てきたことだろうなんて思ったりしたものです。

どんな有名人も大事件も、やがては次に取って代わられ 注目の座を明け渡して消えていく。

トレンドなどといくらもてはやされようと めまぐるしく現れては消える人や物、華やかではかない栄枯盛衰を これからどれほど眺め続けることになるのだろう。

前にはなかったそんな思いを味わうようになったのは、“在る” という絶対不変の領域にフォーカスすることが多くなったせいかもしれません。




変わらないものがあるから、変わるものが存在できるのですね。

すべてが変わるものばかりだったら 「変わる」 とはどういうことかもわからないし、そもそも 「変わる」 という概念さえ生まれていないでしょう。

マインド = 自分 と思い込んでいたころは、自分もまわりも変化するのが当たり前で、そんな変化を面白がりはしても、引いた位置から 次々駆け抜けていく走馬灯の模様のように眺めたことはなかったような。

変わらないものに意識を置く時間が増えたことで、変わりゆくものが つかの間ならではの美しさとはかなさを併せ持つことが より強く感じられるようになったのかもしれません。

そして、変わらないものを知ることで 初めて安心して 変わるものを思いきり楽しむことができるような氣がするのです。




ジル ・ ボルティ ・ テイラー博士の体験談は、そんな氣持ちを力強く励ましてくれます。 

脳科学者が脳卒中体験から垣間見た無限で不変の領域は 喜びと安らぎに満ち満ちた天国だったと、そして その深い内的平安の場でより多くの時間を過ごすことを選択すれば 世界はもっと平和になるだろうと、信頼のおける証言をしてくれたのですから。

さらにマスター濱田浩朱氏も、やはり脳梗塞の体験から この領域についての貴重な情報を提供してくださっています。

さすがに脳卒中や脳梗塞はかんべんだけれど、ほかにも 左脳の働きを止めて 無限に至る手立てはあるわけで、それが瞑想だったり ムージ師の 「セルフのままでいてください」 だったりするのですね。

かすかだけれど 決して消えることも壊れることもない “在る” に氣づいて、そのまま居続けること。




今になってわかるのですが、貴秋の感覚フォーカスは、この 「セルフであり続ける」 ことを可能にするための準備だったようです。

長年抑圧し続けた負の感情は 体内で膨れ上がって 事あるごとに大暴れ、そのけたたましい騒ぎにかき消され、“在る” に氣づくどころではありませんでした。

そんな内側の感覚に繰り返しフォーカスすることで 騒音が次第に薄れ、今では比べ物にならないほど穏やかになった雑音越しに 意識の触手を伸ばして “在る” に氣づくことも留まることもできます。

また、瞑想ではどうしてもできなかった マインドのおしゃべりを止められるようになったのも、感覚フォーカスのおかげ。

心の雑音をただ受け流すのでなく 代わりにフォーカスするものがあることで、言葉から意識を外す感覚がつかめるようになり、氣がつけば 瞑想と同じ状態に入れるようになっていました。




貴秋のイメージする 「ほんとうの私」 とは、“在る” とマインドがメビウスの輪状に一体になっていることであり、マインドが “在る” に氣づくことで 真我とマインドが合わせ鏡状態になっていること。

この状態でもマインドは働きますが、空回りで妄想を生み出すのではなく、真我が伝える情報を言葉化し、そのアドバイスに従って 長年の歪みを正すという画期的な働きをします。

この連携プレーに氣づいたのは、真我とマインドという二つにばかり集中していたところに 三番目の要素が現れたときのことでした。