毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

ただいま

2014年05月15日 20時53分01秒 | ふと思うこと


白浜のお仕事、終わりました。

寮をすっかり引き払い、戻ってすでに8日。

残されたのは、3か月分の体験の記憶と日記のメモ。

あ、もちろんこれから振り込まれるお給料もなんだけど、こちらはすっかりオマケになっちゃってる(笑)

経済事情を釣り餌に、この体験の世界に誘い込まれた、いや、授かったんですね。

やっぱりね



雪こそ降らなかったものの ひどく寒かった2月が過ぎ、3月、4月と進むにつれ、観光の方々がどっと繰り出して 仕事の方もどんどん忙しくなるものと覚悟していたのですが、案に相違して 振り返ってみれば 忙しさのピークは春休み前半の3月下旬まで、4月は思いのほか休みが多く、氣がついたら月の3分の1はお休みになってました。

初めのうちこそうれしくてせっせと家に戻ってはくつろいでいたのですが、残りの日が3週間を切ったあたりから、家でのんびり過ごすのはもうすぐ好きなだけできるようになる、今はむしろ ここにいる間しかできないことを存分にやっておこう、という欲みたいなものがむくむく湧いてきて、前回ブログを更新した20、21日の連休以降は ずっとあちらに居ずっぱりでした。


そして、さいごの仕事を終え、翌5月7日。

早朝から 同じ日に契約満了で九州まで帰る女の子を 車で駅までお見送りし、さいごの早朝温泉に浸かって、荷物を運び出し 車に積んで、空っぽになった部屋を掃除、さいごの従食でのお昼ご飯のあと 借りていた備品を事務所にお返ししてお別れのご挨拶、と万事淡々とこなして 外に出たら午後1時。

そのままあっさり家まで帰る氣がせず、毎度おなじみの千畳敷へ。

ゴールデンウィークを過ぎた千畳敷は すっかり静けさを取り戻し、観光客もまばら。

この3ヶ月、ここへは徒歩でも車でも何度来たかわからないほどでしたが、時間にも心にもゆとりがなかったのか、一番下の岩場まで降りたことは一度もなし。

でもきょうはもうなんの制限もないのだし、好きなだけゆっくり過ごそうと岩場の先端へ。

初夏の濃い青空の下、少し冷たい風に吹かれ、ぽかぽかのお日さまに包まれ、キラキラ輝く海をぼんやり眺めて座り込んでいたら、この3ヶ月の記憶の断片や それらにまつわるさまざまな思い、すべてがごちゃごちゃに絡み合いながら 止めどもなく溢れ出し、頭がぼぉっとなって、なにがなんだかわからなくなりました。

自分は誰なのか、なんなのか、なぜここにいるのか、3ヶ月という時間はどこにいったのか、長かったのか、短かったのか。

掴もうとしても、なにひとつ掴めない。

しまいにはすっかりあきらめ 掴もうという意図もなにもかも手放して、逆巻くごちゃごちゃの中に身を置いたまま、ひたすらぼーっと海を見つめて座り込んでいました。

そうやって1時間ぐらい過ごしたでしょうか。

われに返って車に向かいながら、心のどこかに「このひとときが必要だったんだ」という思いがありました。



その後さらに 空港や図書館やスーパーに立ち寄ったりしてから、いよいよ海辺を離れて向かった夕陽に照らされた山道の美しかったこと、なつかしかったこと。

3ヶ月の白浜滞在で 海の美しさも存分に堪能したけれど、やっぱり私には山里が性に合っているようです。




あれから8日。

2月7日以前からそのまま続いてでもいるかのような 穏やかな日常にすっかり戻った今、あのときはもてあまし氣味だった3ヶ月の記憶が 徐々に落ち着き 熟成していくのを見守る氣分です。

あのイレギュラーな日々の意味が見えてくるのは これからのことなのでしょう。

この“お土産”(もしくは“戦利品”・笑)の山の中から どんなお宝が飛び出してくるのか。

じっくり腰を据えて わくわく待ち受ける貴秋なのです(^^)




うんともすんとも音沙汰ない間も 繰り返しこのブログにご訪問くださったと思しきみなさま、心からうれしくありがたく、また ほとんどの方とはお会いしたこともないはずなのに、なぜかなつかしい氣持ちでいっぱいです。

ほんとうにありがとうございます。

素材はどっさり持ち帰りましたので、今後そこから見えてくるものについては この場でシェアさせていただければと楽しみにしております

これからも お氣が向いたときにお越しいただければ幸いです。