毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

見えてくる

2013年02月25日 16時16分22秒 | ふと思うこと
現在使用のこのテンプレート。。。画面が動くのが面白いし、コーヒーもドーナツも大好きな私にはたまらないデザインなんですが、ちょっと不思議なことが。

テンプレート選択画面の見本では、コーヒーが注がれるところまではいっしょなんだけど、ドーナツは一皿でひとつしか乗ってないんだよね。

それが、テンプレート変更初日には 4個盛りのが二皿、そしてきのうときょうは 一皿に。

まあ そういう設定になってるんだろうけど、なんか妙な氣分だなぁ。。。毎日ドーナツの数が氣になっちゃって(^_^;)




絵を見るとき、鼻をくっつけんばかりに近寄っても なんにも見えない。

絵全体がゆったり視野に収まるぐらい下がって初めてよく見える。

生きていく中で起こるさまざまな出来事も同じだなって思います。

その真っ最中は、とにかく目の前のことをけんめいにこなすだけ。

過ぎた直後は、一息ついてちょっと冷静になれるけど、まだよくわからない。

しばらく経って、ぐっと引いたところから それまでの人生全体を見渡して、初めてそこでそれが起こった意味が見えてくる。

さらに時間が経って、今度は他の出来事とのつながりで、もっと大きな意味や意図が見えてくる。



この、パズルの断片と断片がかちりと組み合わさって さらに大きな絵が見えたときのうれしさったらないんですね♪

パズルを始めた当初、「なんじゃこりゃ、このシマシマは?」とか「この緑色ってなに~?」とかってよくわからなかったものが、ああ、この柄のここのところだったのね!って氣づくときと同じ あの高揚感♪

それまでぼやぼやにぼやけて 何がなんだかわからなかった景色が、ふいにかちりと焦点が合わさって くっきり鮮明に見えたときの驚きや喜びにも通じるものがあって。



何度も何度もそんな喜びを味わううちに、少しずつわかってきた氣がします。

「今すぐわからなくてもいい」と。

生きていれば、「なんでこんな目に~!?」と言いたくなるような事も多々起こるけれど、どうあがいても すぐには意味がわからないことがほとんど。

でも、パズルの快感が度重なると、信頼できるようになるんですね、「そのうちきっとわかる」って。

しかもそれは確実に、そのときの自分にとって 大切な意味のあること。

「起こること全てに意味がある」だもんね☆

そうなると、もみくちゃの真っ最中でも「これもきっと後になって『起こってよかったぁ♪』って思えるに違いない」と信じられるから、受け止め方や踏ん張りが違ってくる。

自分を、天を、人生を信じるって そういうことなんでしょうね



さらに。

「今見えるものがすべてじゃない」っていうこともわかってきます。

「こんなこと氣づいた自分ってすご~い」といい氣になっていたのが、後でもっと大きな一片に組み合わさった絵を見せられて、「え?これって実はこんな柄?じゃあ前ってこれだけしか見えてなかったの!?」と赤面するようなことも たびたびでしたから

今見えたものは見えたもので大切だけど、それは結論ではなくて次への手がかり。

まだまだ先があるんだよ、もっともっといろいろなものが見えてくるよ、と戒め、かつ先をいっそう楽しみに、長い目で見ながら一歩一歩進んでいく、その落ち着いた心持ちもいいものだなって思います(^^)

それだけ大人になれたっていうことかな?



今見える世界がどんなに希望がないように見えたって、それは「今」という一点から見た一瞬の絵、パズルのほんのひとかけらに過ぎない。

不安があって 安らぎがわかる。

争いがあって 平和がわかる。

悲しみがあって 喜びがわかる。

今見えるものをすべてと思い込まないで、その先にもっと違う光景が見える日を信じて、まだまだ続く人生を明るく歩んでいける、そんな氣がしています。