かふぇ めらんじぇ

und SchwarzwaelderKirschtorte mit Sahne

ゲーム

2011-07-29 12:10:34 | 日記
理解に苦しむのだが、する人にはゲームの魅力は大変な物らしい。ネットで変なニュースを見た。要約すると3DSという物が、2月に発売され21才の男性が父親に2万5千円渡し購入を依頼したが、父はそのまま行方が解らなくなり、警察に捜索願が出されていたが、7月になっていきなり帰宅、聞けば各地でこのゲームを探しながら各地を放浪、めでたく購入し意気揚々だった。家族はその苦労を労い、久々に夕餉の膳を囲んだが、母が席を外したとき父親の悲鳴が聞こえ、駆けつけたところ冷凍蜜柑を息子が父親に投げつけていた。実はこのゲーム、先日1万円価格が下がり、高い値で買ってきた父に対し怒りが収まらず行為に及んだらしい。専門の研究者に意見を求めたところ、その研究者は2万6千いくらかで購入済みで、自分はもはや悟りの境地にいるとのことで、警察は今後も似たような事件が起こることを予測し警戒を促しているそうだ。かたや震災だ、原発だと深刻な状況に置かれている人もおれば、このような人たちもいる。価値観の相違はあるにしても程度があるだろう。この父親は軽傷で済んだということだが、せこい私としては、高級な冷凍蜜柑がなんとも」惜しいなと思ってしまった。ところが、夫がいうにはこれはネット上でつくられた虚構の話でだまされたのだ、という。真相は定かでない。
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たより

2011-07-28 10:24:45 | 日記
産休、育休を終え職場復帰した元同僚からメールがあった。その時期に勤務していた女性達数人が気があっていて、現在でもいろいろやりとりしているが、特殊な環境の職場なので、全員が東京に揃うことは本当に希である。それが不思議に今回一致したようだ。その女性と同期の女性は長年の放浪の勤務を終え先日帰国、一つ期が下の女性は育休を利用し夫に付随し渡独していたが、今回帰国し拙宅の近くに居を構えた。私は歩行に難があるので会うなら拙宅で、と連絡したが3人とも幼児がおり、少子化を阻んでいるので、集まれば皆で6人の騒ぎ盛りが揃うことになる。なんとも凄まじいことになりそうだが、それもまた楽しみに思え、実現するかどうか解らないが、久しぶりに会うことを楽しみにしている。私は2つの前勤務先があり、仕事上では問題もあったが、どちらにも良い同僚達がおり恵まれていた。現在でも複数のつながりがあり数少ない私の、貴重な財産であると思っている。しかし彼女たちのあの旺盛な食欲はまだ健在なのだろうか、夫達も同伴するだろうし座るところは、などと今から心配しているのだから、せわはない。
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ラタトォイユ

2011-07-27 11:25:45 | グルメ
丁度今は、夏野菜のピークである。果物は西瓜が高値で不作、桃は原発騒ぎで品薄であるが、野菜はそう大きな被害はないようだ。この時期になると、我が家屋の食卓には必ずラタトィユが登場する。玉葱ときゃべつと鶏肉を大蒜のペースとオリーブオイルで炒め、ジャガイモ、ズッキーニ、茄子、トマト、エリンギ、ピーマンなどを入れワインとトマトジュースで煮込む。コンソメスープの素、胡椒と塩、バジル、唐辛子をふんだんに使い仕上げに味噌を人さじ加えるだけで、大変美味しいスープになり、煮込む必要もないので時間もそれほどかからない。赤ワインを開け、チーズに旬のゆでトウモロコシ、ゴーヤのサラダなどあれば、満足のいく夕食になると思う。先日来、別な不調がまた発覚し、肉体的精神的に疲弊しているうえに、塀の取り壊し作業が始まり、騒音と業者の対応のストレスなど多く、夫とも諍いが絶えなかった。気を遣ったのか、自分でも料理をしたい、朝のサラダの味付け担当をさせてほしいというので任せた。不安は的中、朝は起きてこないし、流し場は大変な状況、食事時間と量の配分が一定しないので、胃に無理の利かない私に反動がたちまち襲いかかった。朝ヨーグルトと果物と珈琲を飲み、昼との間の変な時間にサラダを食べたら胃が痛くなり、仕方がないので昼食を抜き、3時頃菓子をつまむとそれを体内が昼食と勘違いする。遅い時間に夕食をとると就寝まで消化することが出来ないので、そう間をあけず早い時間に夕食をとると、昼食のお菓子から時間があいていないので、胃が消化できずまた痛みが来る。悪循環の繰り返しである。夕食にと美味しくできたラタトィユも食べることは出来ず、夫だけが美味しそうに食べている。なにか大変な不公平を覚える瞬間である。
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鶏卵

2011-07-25 08:20:15 | 日記
地鶏の有精卵を購入しているのだが、ひと月以上搬入がない。聞いたところ、鶏が卵を産まないそうだ。餌にこだわる以外は、自然に任せているので産まない限りは、入手できない。暑さのせいなのか、他に原因があるのか不明であるが、今朝の地震にふと不安を感じた。他のでもいいのだが、どうも浮気をする気になれないので、我が家の朝の食卓には暫く卵は並んでいない。ゆで卵の黄身の状態と珈琲を入れるときの粉のふくらみ加減は、本当に微妙な物があり、鍋やサーバーの大きさ、微妙な温度と数秒の時間などに左右されるが、それによるおいしさの違いは顕著にでる。これがうまく出来た朝は、とにかく嬉しい。つくる方がベストなら食べる方にも思いは伝わるようで、心なしか元気に仕事に向かっているようだ。願わくば気候がしのぎやすくなり、お鶏様の早いご出産をお願いしたいものである。
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時代

2011-07-20 13:59:13 | 日記
昨夜速報で魁皇引退のニュースが流れた。取り組みをみていて、悪い予感はしていたが、やはり的中した。引き際という物は何の折りにも必ず訪れるが、時期を決断するのには勇気もいり、ましてや周りからの期待も背負う人気力士としての立場、現在の角界不祥事の面からも思うところ大きく、彼としても120パーセント頑張ったのだろうが、もはや限界だったのだろう。残念ではあるが本当にご苦労様、と心から云いたい。優しい性格がそのままにじみ出ている人で、ピンクの着物がよく似合い、私も長く応援していた。すこし寂しい場所になるが、今後は後人を育てる立場として頑張ってくれることを期待している。折しも大活躍をした女子サッカーチームが帰国した。ドイツを破ったことにまず驚き、決勝まで漕ぎつけるなど予測もつかず、ましてや先取点をとられ、諦めかけたところで逆転。サッカーに興味のない私でさえ、思わず身を乗り出してしまった。夫はこの日4時頃から見ていたが、途中で寝てしまい、5時に起床した私が感動のシーンを観戦、10時近くに起きた夫は、インターネットで詳細を知り、地団駄を踏んでいた。ドイツ人の友人達から興奮したメールや書き込みが多数入ったが、まさか寝てしまったとも性格上言えず、新聞やテレビで情報を集め、話の辻褄合わせに躍起になっていた。ナデシコは素朴で華やかさもない小さな花だが、しっかりと大国で開いた。これも地道に努力し無心であった結果なのだろう。
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広尾

2011-07-19 14:13:02 | 日記
見たい展示があって、広尾までおもむいた。恵比寿と渋谷の中間辺りあるので、どちらからもバスがたくさんでており、乗れば直ぐ到着して造作もないが、逆に周辺駅から歩くにはかなり遠い。麻布や六本木など東京にはこのような陸の孤島的な場所が結構ある。しかし不思議なもので、そんな場所には、感じの良いレストランや、趣のある場所がとても多い。広尾の明治通り沿いなどは、テラスのあるレストランや、デザイナーズハウスのような造りの建物のイタリア料理店があり、見ればどこも入ってみたくなる。美術館の中でお抹茶付きの上品な和菓子をいただき、まだ夕食を予約した店の時間には間があったので、通りに面したカフェに入り、スタウトのギネスとドライチンザノを明るいうちからいただいた。この辺りは、ヨーロッパの街角のような風情があり、客層も各国大使館が多い関係からか、外国人も多いし、これは何故か解らないが、クリエイティブな職業人が打ち合わせていたりするので、あたかも日本でないような感じを受ける。反面、古い住人からいわせると駅前に銭湯があったり、鯛焼きやレトロな八百屋などがあり、庶民的な一面があるという。夫がいうには世田谷のように切り開いて作った場所ではなく、古い歴史のあるところなので、あって当然、またそれに限りなく惹かれるのだ、という。黄昏れて、魚料理しかないイタリア料理店に入ったが、上品な若い女性の二人連れが多い。料理は作り置きがないので、時間はかかるが本当に美味しく、芥子菜と水茄子のサラダ、焼き鱧、焼き穴子に虎魚のアクアパッツァ、ウニのクリームパスタに赤ワイン一本、最後はカプチーノだったが、どれも大変に美味しかった。かなり贅沢な時間と食事ではあったが、まあ一年に数度はこんな時があっても罰は当たるまい。ナデシコも優勝したことだし。
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運命

2011-07-13 08:35:24 | 日記
事件や事象が起こると、考えるのは人間には神の定めた「運命」が存在するのではないか、ということだ。選択できない「生」や「死」。生物の種類から、存在できる場所、生きる時代、縁を結ぶ人、備わった能力などである。これらの前には人間は「無力」だが、漫然と努力もせず、考えなく流されるまま生きるのではなく、さりとて抗い自暴自棄になるのでもなく、「無情」を受け止めながら「自己」のあるべき道を追求する。これは本当に困難なことである。N○Kの朝のドラマは現在戦時中の事をやっているが、前線に行かない市民でも、離れれば、二度と会うことが出来なくなるかもしれない状態が横行していれば、自ずと生き方も見方も行動も変化してくる。時代を肯定する気は勿論毛頭無いが、「死」の無情さはそれほどに重い。折しも外国人講師を暴行殺害し、逃げていた被告が殺人したのが、一人であったということで、遺族が望んだ「死刑」求刑を免れ「無期懲役」となった。また一方で、仮釈放中に殺害事件を起こした輩も露見した。「重い死」に比してこれは何なのかと思うと複雑な気持ちになり、さりとて殺人者にも「生命」や「人権」が存在することも事実である。死後裁きにあって地獄には直行するだろうが、その存在は誰一人解らない。知るために仏門の教義や、教会の教えを請う人間の気持ちもよく理解できる。人間の力で平静を保つことが可能でないからだ。だからこそ、この純粋な心持ちの前に利用や搾取が存在してはならないのだ。これこそ最も「悪」なのだろうと新聞の折り込みや、訪ね来る宗教団体の勧誘のチラシを見ながら、深い溜息をつく。勿論これも全てを拒絶するまでの高慢、横暴な思考までは持ち合わせてはいないが。
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砂漠化

2011-07-12 18:04:40 | 日記
乾燥地帯においての砂漠化が、近年深刻に問題視されている。日本は地域が異なるため、今ひとつ認識が薄くなるが、影響が間接的の及ぶことは避けられず、この地球上に共存する人類を滅亡させないためにも、植生を取り戻す緑化運動を真剣に考えなければならない。しかし現在の日本の当面の重要課題は、節電や地震や原子力。そしてこの熱波である。気温は40度近くまで上がり、熱中症で運ばれたり体調を崩す人も相次ぐ。私は杖を使っているので極力余計な物を持たない。帽子も日傘もサングラスもストールも良いことはわかるが、それ以上に巻き込まれる事故の方が怖い。必要ない外出と時間をとにかく減らし、いつも以上に休憩をとりながら生活している。昨年は猛暑のピーク時にベルリンで天国のような生活をおくっていて、ニュースや友人などのメールで状況を知ってはいたが、他人事のように過ごしていた。9月下旬の帰国、実際関わるようになりやっと直接的な問題になった。勝手な理屈に思われるかもしれないが、人間とは所詮こんな物なのだ。緑化についても、震災の手助けにしても私には、義捐金をおくる程度の後方的援助しかできない。しかし深刻な状況に常に目を向け、自分がもしその立場に置かれたらという意識を持ち続け、その為に何が出来るか、何をするべきかを冷静に判断し、行為を行うことが大切なことだと私は考えている。思考や行為が「砂漠化」した人間だけにはなりたくないものだ。
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二千円札

2011-07-08 18:54:30 | 日記
先日歯医者に行き、支払いをしたところ、千円足りない気がして、よく見たところ、2千円札が入っていた。あまり出回ってなく、ビンテージ物なのだが、他の札と間違えるので、このお札はあまりありがたがられない。5千円札もそうで、間違えないように2つ折りにして財布に入れるが、本音をいうとあまり持っていたくない。逆に500円コインは、発行当初は使い勝手が良くないように思われたが、貯金に最高で、金額も高価になり、重宝にされている。友人にも一年貯めておせち料理代や、旅行資金にする人もいる。貯金と財形は、少額を、根気よくしないと、なかなか貯まらない。しかし貯まると不思議ともったいなくて使えない。反対に宝くじなど幸運に当たってしまうといつの間にか消えてしまう。どうもお金とはそういう物らしい。女児に恵まれなかった義母は、お雛様がほしくて、少しずつ貯金し、いざ買おうと思ったが結局出来なかった、と言っていた。しかしこれは自分の為だからで、おそらく孫などおれば、惜しげもなく購入しただろう。この年代の特徴なのか、それとも備わった性格なのか、義母だけでなく、私の両親も同じである。学齢の子供がいるとかで余裕が無いわけでないので、もう少し自分のために使えば良いのにと思うが、見ている限りでは絶対に出来そうもない。
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オリンピック

2011-07-07 09:00:23 | 日記
2018年冬季オリンピック開催地が決定した。留学時に重なる事もあるかと、ミュンヘンを期待していたが、かなわなかった。1972年開催会場跡のオリンピック公園は、広大な敷地に見晴らしの良い塔があり、時期と天気がよい時は、格好の散歩や散策場所となる。ミュンヘンは街の規模もそう大きくなく、大抵の施設も市内にまとまり、交通も便利でディッセルドルフを除けば、おそらく日本人がドイツで最も生活に困らない場所ではないか、と推測する。観光客も多いので、住人やワーカーも異国人に慣れていて親切、できれば数日で立ち去るのではなく、2週間以上は滞在してほしい街である。ただ冬はアルプスの麓、考えられないほど寒い。頭も手も耳の後ろまで凍てつき、痛いほどである。しかしこれだけ頻繁にヨーロッパに赴いていても、もちろんまだ足を踏み入れていないところがある。機会があればと先延ばしし、実際恵まれて訪れられた場所もあるが、未だに達成できない地もある。これまでは「時間」という物にそう限りも感じず、焦りも欲もなかったが、病気をして、いつまで自分の足で歩けるのかや、それ以上の不安を強く感じるようになり、諦められるなら良いが、どうしても出来ない場所が、頭に浮かぶだけで三カ所ある。バチカン(ローマ)、ストックホルム、そしてペテルスブルグである。いづれも難なく訪れられた所なのだが、先延ばしにしていた。これからは機会を積極的に作り逃さず、無理をしても絶対に行こうと心に決めている。
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アルマーニ

2011-07-06 12:21:23 | 日記
夫は物への執着が薄く、通常考えられない物を平気で捨てることがあるので、恥ずかしいけれども常時チェックを怠れない。昨日また大量に何か廃棄してあるので、開けてみたら、私が初めて彼にプレゼントしたアルマーニを含んだネクタイが数本入っていた。さすがに不愉快になり、翌朝文句を言うと、流行があり、10年以上たった物は古い、現在はネクタイは主流でない、と反論するので尚のこと腹が立った。アルマーニは好きなブランドの一つだが、洋服は自分にイメージと体型が合わないので、小物とトワレなどを好んで買う。プレゼントしても喜ばれるので、かなり重宝なブランドである。もちろん安くはなく、それも初めて自分がプレゼントした品、普通ならこんな事では済まされないだろうと思うが、暫くこの人間と夫婦をやっていると、慣れっこになってくる。二度とするつもりはなさそうなので、そのうち父に譲ることにした。父は9人兄弟で、ほぼ男女半々の割合、私の従兄弟は女性が8割ほど、逆に従兄弟の子供は8割男性である。父は兄弟の後半部のため、年代が広範囲におり、頻繁に出入りしているので、父が着れない物でも従兄弟やその子供が使え、たいそう喜ばれる。夫の着古したジャケットを気に入って父が着ているのを何度か見たことがある。しかし父親ならまだしも、従兄弟の子供が私が贈った思い出の品をするとしたら、と思うと気持ちが複雑になる。当の本人は捨てるくらいだから何とも思ってはいないだろうが。
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言葉遣い

2011-07-05 08:47:58 | 日記
ある大臣の放言が問題になっている。個人的には、職務に値しない資質に欠ける人間、と思うが、政治家や官僚にはいるであろうタイプの人間、とおおよその推測がつく。何様のつもりかはわからないが、こんな言葉が自分の質を貶めていることに気がつかないのは、即ち今まで置かれてきた環境の責任でもある。発言内容酷さは書くまでもなく、問題になった後の謝罪に、血液型を責任に持ち出す。聞けば、九州人なので、東北の都市名が解らない、と公然と言い放つあたり、無教養の極みであるが、最も厭なことは口調、言葉遣いである。彼に限らず、言葉の用い方に気を使えない人間が少なくない。町中やレストランで、「馬鹿たれ」だの「・・じゃねえよ」などと平気で子供に投げる言葉を聞くと、つくづく嫌気がさす。また現在、孫を育てる「イクメン」ならぬ「イク爺」が多いらしいが、「ジジ」も「ババ」も大嫌いな言葉である。しっかり話せるようになっても何故まだ「ジジババ」なのか理解に苦しむ。
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みづうみ

2011-07-04 12:35:26 | 日記
朝一番に思い立って、東山魁夷画伯の画集を買い求めた。ドイツ交流150周年で、長野の彼のコレクションを集めた美術館でも、特別にドイツでの彼の絵画の展示会が催される。夏休みでもあり、東京からも遠くないため、出かけていってみようか、と夫と話している。フライブルクでの留学時に、宿の主人が著名な日本人画家が投宿していた、と話しており、その時は誰のことかわからなかったが、画集にフライブルクの絵があり、まさかとは思うが、もし東山画伯であったなら、これはすごいことだ、と夫は興奮していた。真冬に訪れたローデンブルクの光景や、夕刻のリューネブルクを懐かしく思い出しながら、見ていく中で、ふと惹かれた絵があった。緑のハイデルベルクと、そしてこの「みづうみ」。絵画というのは素晴らしい物で、見ているとそこに存在する音や水滴の冷たさ、空気の色や気温まで、じんと伝わってくる。なにに対してなのかわからないが、感動し涙が流れてくる。音楽とはまた違う素晴らしい芸術であり、この才に恵まれた人は幸福である。これまでは、どちらかと言えば、彼の絵よりも文章を読んでいたが、あらためて一画一画見ていこうと思う。もちろんヨーロッパ以外の彼の得意とする日本画も含めて。
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紫蘇ジュース

2011-07-01 21:34:28 | グルメ
前居所で体育会系のスイミングスクールに通っていた。かなり歴史があり、3世代で通っている家族もあり、年齢もベビースイミングから90近い年代の方まで、利用スタイルは様々だが年代も幅広く、私も毎日利用するうちに友人ができてきた。といっても親の世代の方が多かったので、世話をして貰っていた、というのが、適当な表現かもしれない。入院時も何人もお見舞いに来てくれたが、その中に何度も手料理を持って訪れ、退院時や通院時、車で毎回付き添ってくれる人がいた。私のみならず、夫の分までボリュームのあるサンドイッチなどを用意してくれて、本当にお世話になったが、居所が変わった現在もなお私の体を気遣い、この時期になると紫蘇ジュースを作り送ってくれる。ペットボトルの空き瓶に12本、無造作に詰め込まれているのだが、それがなお彼女らしい大きな優しさが感じられて、とても嬉しい。一口飲むと自然でさりげない甘さと共に愛情や思いが伝わってくる。このジュースの届く数日前、やはり居所で隣に住んでいた方が、サクランボなら私が食べられるだろうと思って、わざわざ取り寄せて送ってくれた。この方もご夫婦で、具合が悪く食事を作ることに難儀していた私を気遣い、何度も秋刀魚や冬瓜の煮付けを作って持って来てくれた。この方々を見ていて思うのだが、決して押しつけがましくなく、また見返りを何も期待していない。当然と思われるかもしれないが、他人に対してなかなかできることではない。私もいつかこんな優しさを、彼らと同じように誰かに与えられる人間になりたいと思うが、難しい。サクランボを私の3倍くらい喜んで頬張る夫に、有り難いね、というと、私に対しての恩恵に自分も与っているにすぎない、と珍しくも素直な意見を今日は述べていた。
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