カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

16.ふるさとは遠きにありても ― 小景同情

2006年09月28日 | Weblog
父が入院したとの事で、しばらく実家に帰ってきた。幸いたいしたことではなく一安心したが、両親とも80歳を超えているのでいつお迎えが来てもて天寿だろうと覚悟はしている。

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私の実家は海の近くで、実家に帰った時はいつも海を見に行く。
その日は佐渡がきれいに見えていた。

穏やかな波の向こうに横たわる佐渡は暮れなずむ夕日の中で凛としていた。
いつも見えるとは限らないので幸運だった。

海を見るとほっとする。知らず知らず口ずさんでしまう。

   ♪うーみは あーらあうーみー 
   むーこぉおーはー さぁーどぉーよー♪
         




佐渡も何十年見てきたことだろう。ずっと変わらずそこにある。
「自分史」としてのブログを書き始めて、今までは何気なく見ていた物事も、それぞれに歴史を刻んでいることを改めて意識する。

実家の近くに「タコの公園」と呼ぶ公園がある。
赤いタコの滑り台とわずかばかりの遊具があるだけの小さな公園だが、日本海が180度見渡せ、「地球が丸い」事を実感できる、私のお気に入りの場所だ。

                  

年に1、2回の帰省時にしか遊ばなかったこの公園だが、子供たちは小さい頃から遊んできた。

そう、この公園はずーと昔からここにあり、子供たちの成長を見続けて来た。

そしてこのフグの置物。
昔の写真を見るとまだ小さかった子供と一緒に映っている。

今はきれいに塗り替えられて、また新しい子供達を楽しませていた。浜辺の、どうって事のない遊具にも我が家の歴史があった。

                     
                                     

渋いグミを採って遊んだ砂浜も、年々波に削られ、今はテトラポットが海岸線を縁取っている。それでも、もう、グミが小さな実をつけていた。
まだ青い実を食べてみると、舌がビリっとするような渋い実だが、これもまた懐かしい味だった。

            

近くに展望台があり、街を見渡せる。
もう、40年も前、ここに信濃川の新しい分水路ができることになり、多くの家が立ち退きをしたが、私が育った家もこの水の中に沈んだ。
そう、この真ん中あたり…

    
     
角に、イチジクの木がある家があり、反対側には松林があった。春には菜種油を採る菜の花が一面に黄色く波打っていた。
当時の写真もなく、私の思い出の中だけに映っているその街、私が思い出せなくなったら、この街も消えるのだろう…。



ふるさとはいつ来てもいいものだ

室生犀星は

>『 ふるさとは遠きにありて思ふもの
 そして悲しくうたふもの 』と言った。

しかし私は

    『 ふるさとは 遠きにありて思ふもの
     そして懐かしくうたふもの
     よしや
     うらぶれて異土の乞食となればこそ
     帰る所にあるべきぞ
     むつみし埴生のゆふぐれに
     ふるさとに立ち安堵する
     そのこころもて
     遠き我が家に帰らばや
     遠き我が家に帰らばや
                   ― 小景同情 ― 』