カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

196.置き辞書 ― 犬も歩けば棒に当たる

2008年01月28日 | Weblog
私が愛読している例の「K新聞」。先日の記事にこんなことが載っていた。
どんな事かって、つまり、「広辞苑」と「大辞林」の真の意味が。

ふ~ん、「広辞苑」って、その代わりには、ならないんだ…
へ~え、「大辞林」って、そんな使い方も、できるんだ…

と、双璧を成す二つの国語辞典の、知られざる使い方を知った。

他社の追随を許さない報道の真髄を見せつけられ、ちょっとショックを受けて……
 
      大爆笑した。

さすが日本の AP通信 (1月だけど、まぁ、いいっか。)(№107.ここをご覧下さい)

我が家には「広辞苑」も「大辞林」もないが、「枕にもしない」、「尻も拭かない」辞書がいくつかある。



辞書でいろいろなことが分かるが、調べようと思って辞書を開く時と、開いておいたら何かが分かった、という時がある。その後者を願って、若い人に(私も十分に若くはあるが!)辞書を贈る時がある。まぁ、 置き辞書 とでも言おうか。

車の助手席でも、食卓の上でも、ラジオの横でも、必ず目が行く所にさりげなく開いておくと、嫌でも視線がそちらに行き、何か一文字でも目に入る。

そして、何かの言葉が「良く来てくれました!」と言って、その意味を教えてくれる。私の一番お勧めの置き場所は、「トイレ」。1日1回、いや、2日に1回であっても、何秒か、何分かの時間を確保できる所だ。ゆっくりと(?)辞書を眺められる空間と時間だ。

パソコンのようにセキュリティーいらないし、電子辞書より内容が豊富だし、第一、高くないので辞書にする。

辞書を贈った相手がそれを枕にしようと、尻拭き紙にしようと、ティッシュペーパーと交換しようと、そんなことは私にとって、もはや問題ではない。

            ・
            ・
            ・

それが分からないと非常に気になる時がある。
「まぁ、いいっか」と済まされず、ムキになって調べまわる。

最近ではあの、「トロッコ軌道もどき?」。通信ケーブルとの情報が入ったが、なんで途切れているのか、どんな物なのか…何かと気になっていた。



昨日、またその道を通ることがあったので、今度は歩いて近づいてみた。探すと意外と近い所に「止めてくれ!」と言わんばかりに駐車スペースがある。

この道は何度も通っているが、ここに止められるとは思わなかった、いや、止めて良いとは思わなかった。私の頭の中ではここは「歩道の中?」で、「道路交通法」かなんかで言えば、ここは止めてはいけない所なんじゃないかと思って…。

クソ真面目と言うか、要領が悪いと言うか、臆病と言うか、なかなか
「 まぁいいっか 止めちまえ 」 と言えない小心者だ。

そんな私が「あのケーブルのためなら!」と大胆にしてかつ無謀にも、そこに車を止め、早速探索に出る。
あの真上に着たが、それ以上はどうしても行く事ができなかった。もっとそばで見てみたい…。

しかし近づけば近づくほど「ケーブル」と言うより、「パイプ」の観がある。
あのパイプの中にケーブルが入っているのか…。

どうしてあそこから始まっているのか、どうしてあそこで終わっているのか、どうして途中が飛ばしてあるのか…。
       どうして、どうして???…。

鍵のかかったフェンスをくぐる事も、またぐ事もできず、いっぱい未練を残したままそこを去った。でも、なんだかとても気になるなぁ。

少し行った所で犬の散歩をしている人を見かける。運よく車を止めることもできる。帰りかけているその人を呼びとめ、聞いてみる。

「工事関係者に土地を貸していた」というその人の話では、あの途切れ途切れの理由はどうやら「補助金」らしい。

おーぉ、最近教えてもたらった情報とだんだん1つになってくる。
そうなんだぁ! ふむふむ。調べようと思った情報が少しずつ、あちらからこちらからと入ってくる。ありがたい。

でも…、もっとそばで見たかったんだけどなぁ…
帰りがけ、またちょっと寄り道をし、ぶらぶら歩いてみる。すると…

すると、あっ!、これじゃないの! と思う物を発見!



 これがあの
 「トロッコ軌道もどき?」と同じ物と
 思い込んでいる私なのですが…

 この「思い込み」で度々
 失敗している私なのですが…




数も形も色も、多分例の物と同じ物に違いない。

       

えぇ~、こんな所にもあったんだ。思いもかけない所で念願が叶う。

犬も歩けば棒に当たる
そおっかぁ、「調べる」ってことは、言い換えれば 棒に当てる って事なんだ。

調べようと思って行く時と、行ってみたら何かが分かった、という時がある。
私を棒に当てる「置き辞書」。それは「大胆」、「無謀」、「探究心」…
いや、単に 好奇心 なのかもしれない。

その好奇心のおかげで、こんな船頭さんとも会う。



なぜこの船頭さんがここにいるのか、
それはいずれまたどこぞの橋を見上げながら、ケーブル談義などをしながら…。





195.うれしい水辺 ― 温厚にして柔和な私にとって

2008年01月26日 | Weblog
   一番嬉しい所、スタートでもなくゴールでもない所 … 

今日は、先日、琵琶湖一周で一番嬉しかった所として紹介した所へ、また行って来た。昨日の雪で折れた菜の花が痛々しかったが、大勢のカメラマンで賑わっていた。



 
 2008年1月26日

 この枯れ枝の向こうが
 嬉しい水辺








 2008年1月6日

 これがみんなが勘違いする
 遠近法のアングル






一年前の昨日、初めてこの水辺に来た。
1回目の琵琶湖一周の第9回のその日、寒い風の吹く日だった。ゴールが近づくにつれ風が強くなり、小さな湾になったその先がゴール予定地。




 あの向こうから
 ここを目指して
 ひたすら漕いで…






ショートカットで行くか、ゴールを前倒しにするか、ガイドM氏が思案していた。「どうしますか」と聞くM氏に、「できるだけショートカットはしたくない」と私の意向を伝えると、「ではとりあえずあそこまで」と言ってここに来た。



 2007年1月25日

 「とりあえずあそこまで」の岸

 流れる雲が風の強さを

 揺れる枯れ草が風の寒さを
 物語っています。




私はここが嬉しい場所と言ったが、だから、あの半年後にもこの水辺を訪ねた。



 
 2007年7月20日

 「お久しぶりです」の岸
 
 風さえ抑える夏の草いきれ 




あの寒々とした木々が蒼く茂り、半年間の「非日常」の移り変わりを感じた。

そしてあの日から一年経った昨日。

去年、ここを通る少し前に、風が強くなって漕ぐのが大変になってきた時、ガイドM氏が言った言葉に、自分がこの琵琶湖一周の主体者である事を強く意識することができた。嬉しかった。

特別の思いで始めた「琵琶湖一周」だったが、その理由さえ意識しなくなった頃のM氏の言葉で、この一周の意義を再確認できた、印象的な場所だった。
一周が終わってから振り返っても、ここでのM氏の一言が一番嬉しく、ここでの思い出が一番嬉しかった。

私はここに限らずだが、それぞれの水辺にそれぞれの思い出がある。
興奮の水辺、爆笑の水辺、感嘆の水辺、瞑想の水辺、念願の水辺、
情けなかった水辺、怖かった水辺、驚いた水辺、はしゃいだ水辺、

そして… 嬉しかった水辺。

どの水辺も、何度行ってもその喜びは小さくなる事はない。
それは季節により、風により、波により、陽ざしにより、一緒に行く人により、いつも新しい思い出と喜びを作ることができるから。

だからその思い出を振り返る時、振り返ることができている状態でいることを、嬉しく思う。

それで、無事に一年を過ぎた今、また、M氏のガイドで、また、あの時の思いとこれを始めた時の思い、それを振り返りたくて、そんな日を楽しみにしていた。ちょっと甘い感傷にふけりながら。
   
      ・
      ・

それなのに、ある人がこんな事を言った
「もう、一周してしまったから、もう、行かなくてもいいと思って…」と。

その時、カチン、と来た。
   いや、そんなんじゃなくて、

      ・
      ・

ムカ~! ときた。
   いやいや、そんなもんでもなくて、

      ・
      ・
      ・
      ・
      ・
      ・
      ・
      ・
      ・
      ・

     そう、
    
      ・
      ・
      ・
      ・
      ・
      ・
      ・
      ・
      ・
      ・

クソー! テメェー!! コノヤロウー!!! ふざけんなー!!!!
      張り倒したろかぁー!!!!!


   何度行くか行かないか、それは私の心が決める!
      あんたに決められたか、ないワッ!!

と憤慨した。
温厚にして柔和 なこの私をもって、そう、言わしめるその人を、私は今でも好きだが、
そのことは、今でも怒っている。
 
私が琵琶湖で一番大切にしている所、一番うれしい所
そんなドラマのある、この水辺だ。



 2008年1月26日

 また、すぐ行くね。
 待っててね、この水辺…。

 もう、誰にも、何も言わせない
 この水辺…。



       クソー! テメェー! コノヤロー! ふざけんなー!
           次は覚悟しとけ!

    


194.イメージトレーニング ― 激闘と静寂と

2008年01月24日 | Weblog
私はあのイグアスの滝の下、イグアス川を下ったことがある。



私はあのビクトリアフォールズのザンベジ川も下ったことがある。



木曽川だって目をつぶっていても下れるし、大阪湾だって、紀伊水道だって、気の向いた時に、カチッとクリックしてどこへだって行っている。

自分で漕いで行った事がないのが残念なのだが、「バーチャルツーリング」はお手のものだ。まぁ、「イメージトレーニング」とでも言ってもらおうか。

で、

あの川、何度も見ているあの瀬田川もこの「イメージトレーニング」のチャプターⅦとして加えることにした。

この洗堰の向こう側は以前漕いだ事がある。去年の3月、琵琶湖一周の時、そう言えば、早咲きの桜が咲いていた。(№97.ここをご覧下さい)

今度は堰の下流側。

最近の洗堰はゲートが1ヶ所しか開いていない。下流の水位も大きく変動していない。
早速 イメージトレーニング を始める。

まずこの最初の瀬はさらりと流して、次は
おっ!、次は結構でかい。でも、まぁ、あの岩の左へ行けばいいかな。



おっとっと!次は危ない!あの落ち込みに入ったら先が見えないよ。



まだまだあるなっ!これはど真ん中を、行け!行け!で行こう。



エッ、まだあるの! ナンジャこの波は!いやいやこれは素直に波に身を任せ…



あの橋の先が一番沈の可能性あるな。ヨシッ!気合入れて行くぞ~!
            ・
    よ~し、これで今日もノー沈で下りきれたぞ! チョロイもんだよ。

            ・
            ・
            ・

と、まぁ、こんな具合にバーチャル瀬田川でイメージトレーニングしていた。
そしてついに、そのトレーニングの成果を試す時が来た。

昨日、念願の瀬田川~宇治川を下った。琵琶湖一周の時と同じに、自分のカヤックの軌跡を水の上に残して行きたいと思い、その第1回目。

このコースは車ではよく通るが、実際に川原に降りる事はなかった。
    ― イメージトレーニングを思い立つまでは ―

このコースを下ると決めた時からイメージトレーニング用の取材?をするために川原に2回下りた。

ここはよく、スラロームの練習の人が来ている。
いつもは「あんな波の中、よく入って行くわ、勇気あるなぁ…。でもあんな事したいなぁ…。羨ましいなぁ…。」と見ていた。

実際川原に降りて波を目の前にすると、一歩引いてしまう。
えぇー、こんな速いのぉ! こんなに大きいのぉ! 

しかし度胸!いっぱぁーつ! と練習に励んだ。
そしてついにその日が来た。

完璧に下れてはいたが、万が一、バーチャル瀬田川とリアル瀬田川とが違うという
可能性 があったので、「沈する」・「レスキューされる」を想定した準備をして行った。カラピナもはずし、ロープもはずし、ビルジもはずし、荷物も最小限にして流されないように止め、カイロも持って万全の態勢で向かった。

小雨が降っていたが、私の闘志の火を消すほどの雨ではなかった。洗堰の放水量や川の水位も「バーチャル瀬田川」とほぼ同じ条件だった。



ムフフ、これなら行けるぞ。

と、にんまりする。早速川に挨拶をする。昨日はいつもより念入りに。
さぁ、これで準備は全て終わった。

    いっくぞー!
 
         ・
         ・
         ・

で、この先は「バーチャル瀬田川」では練習していなかった横波やボイルや、嫌な隠れ岩なんかがあったりしたが…、

「イメージトレーニング」絶大なり!の成果を収めた。 イエ~ィ!やったー!!  
思わず笑い出してしまった。

私も「WWW号」もよう、頑張った!自信と言うには程遠いが、ちょっと、いや、ものすごく嬉しかった。

昨日は雨のためか、水は濁っていたが「バーチャル瀬田川」と水量はそれ程の違いはなかった。



 1月半ばの鹿跳橋下流

 ここは静かな流れです。
 
 この先にも瀬があり
 すぐに切り返しをしないと

 チーン!


しかし、去年7月の増水時にはこんなふうだった。




 上の写真と同じ所です。

 変わるものですね。
 水の怖さを見せつける
 一枚です。



 

この先の瀬を2つ越えると後は川幅が広がり、静かな穏かな川となりダムへと続く。
私はこのコースで気になる事が3つあった。
1つ目はこの一連の大きな瀬をクリアーする事
2つ目はトロッコの軌道のようなアレ
3つ目はあの電柱

1つ目は無事終了。次は2つ目。



いつも車で対岸を通り、
「あそこに行きたいなぁ、どうなっているんだろう。たしかめたいなぁ。きっといつか、あの軌道の下に行ってみよう」と思っていた。

そして昨日、やっと、「こうなっていたのか」と確かめる事ができた。これで思い残す事が、1つ減った。地元の人の話では、近くの採石場の石を運んでいた時のもの、との事だったが…。

できたばかりの時には周りの山とは不釣合いな人工物だったのだろうが、それが日常の中に溶け込み、それがある事が当たり前の景色となり、そして今、その人工物は、枯れた木々の間から不自然な道を伸ばしている。

それから3つ目。ゴール近くの吊橋の上から見える電柱。
ここが昔、生活の場であった事を忍ばせる電柱。



このダム湖の下には何があったのだろう、家だろうか、道だろうか。それとも今と変わらない山と谷だけで、この電柱は場違いのように最初から一本、そこにあっただけなんだろうか…。

たった一本の電柱だがこの柱はずっと私を悩ませていた。いつかきっとこの電柱にも会いに行こうと思っていた。

そして昨日、やっとその思いを果たした。



小雨の煙る川で、ただの一本の棒に過ぎなくなったその電柱に、私は不思議な懐かしさを感じた。

そして、「また、きっと来るね」と別れを告げて、先に行く人達を追いかけた。
こんな事をしているのでいつもビリになる。

前の方で「早く来いよ!」と言っているのかもしれないが、めったに来れる所じゃないし、時間もあるし、まぁ、いいっか、としんがりを務めた。 

しかし、ここには私をうっとりさせる景色がたくさんある。これもその1つ。



これもまた、水の中で立ち枯れた木々。
うっとりし終わった後は、枝の間をすり抜けてスラロームの練習に精を出す。

でもって、ますます先頭に遅れる。
まぁ、いいさ、どうせ先頭も、いつもの事だと諦めているだろうから。

ゴールまであと一歩の所に、こんな物。



  「へぇ~、こんなふうに見えるんだ。」

私のお気に入りの所。こんなアングルで見るなんて…。
やっぱりここは、私だけの秘密の場所にしておきたいと思った。みんなに教えなきゃ良かったかな…。

激闘で始まり、静寂で終わったこの日のツーリング、良かったなぁ、また来たいなぁ。新緑の頃、紅葉の頃、また来たいと思う。あの電柱との約束もあるし…。

     夜は、祝杯をあげたことは言うまでもない。

( 例の「トロッコの軌道?」は「工事中の通信ケーブル」との情報が入りました。見た感じ、トロッコと言うよりはケーブルに近いと、実は思っていたのです。ハイ )




193. ちょっと先行く楽しみ方 ― ちょっとくやしまぎれに

2008年01月19日 | Weblog
B-Ⅱ-17  美崎から赤野井

先日、そう、今回の寒波が来る前の日、またまた琵琶湖へ行った。
「チーム・気まま」
その名のとおり、出る所、入る所、気ままだし、だから時々は間違える。今回もゴールの車を置いたパーキングを通り越して気がついた。おかげで、いや、そのせいで、「藪漕ぎ」をするハメになった。

しかしこの「非日常」が、これがまた笑えて楽しかった。そんなある日の琵琶湖。
今回も気ままにのんびり、でもちょっと風があり、いささかの緊張とをお供に行く。

スタートしてすぐにこのマンション群が現れる。



 嬉しい思い出の場所

 なぜここが嬉しい場所か
 
 嬉しい一言があったから

  それは…
     ナ・イ・ショ… 




実はここは私にとって、とても印象深い所だ。「琵琶湖一周」の1回目の時、私はこの手前で「琵琶湖一周」の中で、一番嬉しかった言葉を聞き、ここを目指し、「琵琶湖一周」の中で、一番嬉しい思いをした。
スタートでもなく、ゴールでもない ここが、一番うれしかった。

だから…、ここは、ここに来るとその時のことを思い出し、嬉しくなる。
その事とは…、それはまたいずれの時にか…

漕ぎ出してあっと言う間にもう上陸。このマンション裏?いや前?の浜に上がる。
もう先客が来ていた。そして私達を待たずして既に帰ったようだ。



このマンションを見上げる所にはこんな春が来ている。



早咲きの菜の花。毎年、新聞・雑誌に、雪の山々をバックにしたこの菜の花の写真を見る。写真の殆どは道路側から琵琶湖越しに比良方向を写している。そして多くの人は勘違いする。何をかって…

最近ある人に 遠近法 の話をした。「遠近法で騙された」と。

私が今までに「遠近法」でショックを受けたもの、
1.竜安寺石庭  2.西安の兵馬俑  3.そして、ここの菜の花!

まぁ、そう感じるのは私だけかもしれないので、この話はここまでにして…。

その先には琵琶湖大橋。この橋の西、東。何度この橋を見たことだろう。私は橋の下から橋桁を見るのが好きだ。幾何学模様のうつくしさにハッとすることがある。



学生の頃、数字の数学は嫌いだったが、幾何は好きだった。鏡のこちらと向こうの図形の解析の授業に熱くなった事を、今でも覚えている。先生、どうしているかなぁ。

振り返ると橋に虹がかかっている。本当にこの冬は出るたびに虹を見る。今回はちょっと小さいが、それでもこの組み合わせはなかなかいいものだ。



お昼は「カレーうどん」。漕いでいるときは寒くはないが、上がると風が身にしみる。風の当たらない所で、アッアツのピリ辛うどんであったまる。



しかし、カレーうどんで気をつけなければいけないことは、やけどの他に、汁を飛ばさないことだ。白い服にプチプチ、と黄色い斑点がつく。菜の花は畑だけにした方がいいようだ。

途中風がきつくなり、ヨットハーバー近くではチャパチャパ言う波と格闘する。
ここで沈したら後が面倒。ちょっと緊張し無口で漕いだ。

そんなこんなの琵琶湖も順調に過ぎ、距離が短かったので、早めにゴールとなる。
で、最後にオチがつく。車を置いたパーキングを通りこして、シマッタ!と気がつく。

まぁ、いいっか、時間もあるし、いっぱい漕げてラッキーだよね、と言い訳しながら戻る。しかし、上がるべきパーキングは分かっても、上がるべき上がり口が見当たらない。

朝、スタート前に「ここから上がればいいな」と確認しておいたのに、その場所の目印を覚えていなかったので、どこに着けるかでスッタモンダした。ちょっとミスった。

ここら辺だろう、と上がった所は朝確認した所の30メートル程先の藪の中。
葦だかススキだか、身の丈以上の枯れ草を、バサバサ! ベキベキ! ボキボキ!
と踏み固めて、かき分けてカヤックを運んだ。

枯れ枝の折れる乾いた音がこの日の琵琶湖が終わった事を告げる。

     

そして2人で笑う。「職場の人は私達がこんなことしているの、想像できないだろうね。笑うだろうね」
制服でオスマシしたり、スーツで気取ったり…。 どっちが本当の自分なんだろう…。

           

自分自身、笑えて来る。しかし、まぁ、こんなことつまり
波の中、石にしがみついてカヤックから降りるとか、顔に擦り傷作って藪漕ぎするとか、こんなことが極当たり前の事としてやっている自分達が無性におかしかった。

こんなことが「非日常」でなくなったことにさえ驚かなくなった自分がおかしかった。

 
 比叡の山が
 木の葉で見えなくなるのは
 いつだろう

 その時、
 藪漕ぎ、できるかなぁ

 蛇、出てこないでね




次はこの木を目印に上がろう。
しかし、藪漕ぎを楽しむためにあえて30メートル先に着ける、というのもまたこれも、
ちょっと先行く、琵琶湖の楽しみ方かもしれない。




192.川初漕ぎ ― 木津川の福袋 

2008年01月15日 | Weblog
このところ忙しいのだが、日曜日には木津川で「川初漕ぎ」をした。
初漕ぎ&新年会!

琵琶湖では、初詣に白鬚に行き、初漕ぎにマキノに行き…、
     これ以上は言えないのだが…。

とにかく、川はこれが今年の漕ぎ初め。
私はこの川に来る時は必ずこの方に挨拶に行く。

           

いつもは手ぶらで行くのだが、今回は今年初めてのご挨拶なので、ちょっとした手土産を持っていく。


 
 
 小さな、ささやかな供え物
 
 今日はこの仏様にも
 
 




この仏様に限らず、私は水辺に行く時は、いつもその水に小さな手土産を持って行く。
   
 ありがとう、よろしく の気持ちを込めて、ささやかな供え物をする。

それは… それはまたの日にお話しすることとして、今日は初漕ぎ!新年会!
うっれしいなぁ。きっと、とっておきの何かがあるだろうなぁ。
ぼたんなべー! ぼったんなべぇ~!

岸辺の桜はまだ硬く、青空に広げているかわいいい手が冷たそうだった。



瀞場から入り、ちょっと遡る。





 ここを遡るには

 私の技量は ちょっと
 足りません
 



ダメ!と言われるのを承知で聞いてみる。
「この先、行ってもいい?」
「それはちょっとぉ、やめといた方が…」

期待通りの答えに満足して(?)まともな下り方をする。

漕いだ距離は少ないが、期待通りの何かはある。
休憩に上がった所で、なにやら騒々しい。
みんなが集まりああでもない、こうでもないと。



  だからね、こうするでしょ!
  ちがうちがう、こうやるんだよ!
  ダメダメ、そんなことしちゃ!
  ティッシュ!ティッシュ!
  それよりガムテープ!
  大変、取り行かなきゃ!
  もっと乗せて!
  そこをこーゆーよーに!
  
  ほほぉー、そんなやり方も、あるのですね。

って、何を大騒ぎしているのかと覗いてみると…



なぁるほど、『 火 』 を起こしている。
風が吹きぬける川原で、あったまろうと懸命に焚き火をしようと試みた。
ああだのこうだの、どうだのそうだの、と大の大人がよってたかって散々苦労し、そしてついに、とうとう、火が
 
         ・
         ・
         ・

      点かなかった

体を冷やすには十分な時間川原にいて、また川に浮かぶ。
今年、初の川下りなんだもの、とっておきの事はまだまだ続く。

「WWW号」にこんなものが生えてきた、 なんて訳はない。



正真正銘、天然物の「シメジ茸」 多分!

手のひら程の大きさのシメジが 「あっ、あった!」、「あっ、あそこにも!」



ザルに一杯程は採れただろうか。木津川からの「福袋」と、ありがたく頂戴する。当然、牡丹鍋を飾ってくれる。

   でも、これって、本当に食べられるんですよね…
   笑ったりとか、泣いたりとか、しませんよね…

まぁ、いいか、年末ジャンボも当たらなかったし、これもアタラナイだろう。たぶん。
他にも木津川は、初漕ぎにふさわしい出し物をいっぱい用意していてくれた。

・・・・・・・・・

ちょっと話は変わるが、

先日、瀬田から宇治川へ行った事をお話したが、実は、天ヶ瀬ダムまで行って来た。
そのダムの上で、大きなカメラで岸の方を見ている人がいた。

「人見知り」な私は、知らない人に声をかけることなどめったにないのだが、なぜか気になり、「何か見えますか」と聞いてみた。

すると「ヤマセミ、ですよ、ほら」と、カメラを覗かせてくれた。
おぉー!これがウワサの「ヤマセミ」か。初めて見た。白と黒の斑点が上品な貴婦人を思わせる。大きな冠をかぶり、何かに似ているなぁ、なんだろう、

そう、「マイ・フェア・レディー」のような、いや違う、「スカーレット・オハラ」だったかなぁ。初めてのヤマセミに感激した。



 望遠カメラの前に
 デジカメ置いて撮りました

 かなりブレていますが
 記念すべき一枚です

 撮ってくれた人
 ありがとうございました。


・・・・・・・・・・・・・

話は元に戻って、

そんなことをスタッフに話していたのだが、しばらくしてそのスタッフが、
「ヤマセミ、あそこにいました!見ました!」と言った。

えぇー!、さっき、「ヤマセミ」の事、話したばかりなのに、なんて偶然なんだろう。これもやっぱり木津川の「福袋」なんだろうか。きっとそうに違いない。

残念ながら、私はこの時は見ることができなかったが、それでもスタッフと 「 ヤマセミ仲間 」 になれたようで嬉しかった。

そんなこんなの初漕ぎも無事に終わり、あの「シメジ茸?」はこの中に納まった。

       

その後、「笑った」とも「泣いた」とも聞かないので、あれはやっぱり「シメジ茸」だったようだ。

    私は毒キノコの潜伏期間を、知らないのだが…




191.琵琶湖の師 ― 寄り道しなきゃ琵琶湖じゃない

2008年01月14日 | Weblog
B-Ⅱ-16 マキノから二本松

私には「師」と仰ぐ人が何人かいる。
その中でもこの非日常、カヤックの「琵琶湖の師」と仰ぐ人がいる。

その人は、目を見張るような技を持っているではなく、
世界中の水辺を制覇したのでもなく、
強靭な体で何十キロも漕ぐのでもなく、
学者の顔負けの知識があるのでもない。

   寒がり屋で、冒険はせず、
   鳥を追い、空を仰ぎ
   水を覗き、虫を探す

ただ、飄々と漕ぐその人は、

しかし私の「師」である。いつだったか、なぜこの人が私の「師」であるのか、お話した事がある。 …と。 だから私の「師」となった。

土曜日はその「師」と、もうお一方と、3人でマキノから二本松を濃いだ。

           ・
           ・
           ・

10月にここに来た時は、水辺には鮎の群れが躍りはね、岸には鮎の死骸が累々と続いていた。水辺も岸辺も、騒々しかった。(№162.ここをご覧下さい)

しかし今は僅かに雪をかぶせた山々を写すのみで、静かな冬の湖水だった。

「こんな時季に水の上にいるなてアホちゃう?」なんて思ったのも、そんに昔の事ではない。しかし、ずっと、遥か昔の事のように思える。

人はいず、鳥も騒がしくなく、風も遮られ、こんな時季だからこそ、静かに、のんびりと、
そう、何かを振り返ったり、思い出したり、物思いにふけったり、そんな非日常にはうってつけのマキノだった。

あと3ヶ月もしない内にあの大渋滞が起きようななどとは信じられないような静けさだった。



漕ぎ出してすぐに、こんな方がお出迎えしてくれる。
「こんにちは、お寒うございます。」
お出迎えなのか、もしかしたら迷子なのか…

浮きに絡まり、風に吹かれ、行きつ、戻りつしながら挨拶する。
あなたもきっと、「こんな時季に水の上にいるなんてアホちゃう?」って、思われているんじゃないですか、ご同輩。

そして、あの、例の木。ゲーテの木


 これは一枚の葉が裂かれて
 二枚になったのでしょうか。

 それとも二枚の葉が互いに相手を見つけて
 一枚になったのでしょうか…

 樹齢二百年のケヤキの木
 ずっとそばにいた二本の木



去年の春、ある人に送ったゲーテの詩を今はまた、他のある人にも送ろうと思う。
「その時」が来た人と、その人を支えてくれた人に… 
  
二本の幹はいつもと変わらず、たくましくそこにあった。

時折小雨が降ったが、どうこう言うほどのことはなく、ささやかな向かい風と、申し訳程度の追い風とが同行する。

予報では7メートルは出るらしいが、前回の漕ぎ納めの時もそうだったが、このあたりは風裏になるところが多く、予報の半分の風もない。

しかし風はお金と同じで、ある所にはあるものだ。彦根あたりは8,9メートルは吹いていた。ここで良かった!

海津の岩も松も、変わらず元気だった。



岸をなめるように進む。このあたりには結構岩が多い。岩と来れば当然すり抜けの技、披露でしょ。でもって当然、擦りの傷でしょ。

「大丈夫かな、行けるかな…」と迷いながらすり抜けると、決まって「WWW号」のよこっ腹が「シャー」と鳴る。

「おっ、またやっちまったよ!」と言いながら、また擦る。
まぁ、いいっか、この傷が歴史になるんだから、と言い訳と作る。

風が気になったこともあり、途中寄り道もせず、二本松へ直行する。ほんと、今日は寄り道しなったな、とちょっと物足りなさを感じた。ここで遅めのお昼。

二本松の桜はまだ硬く、竹生島が見通せた。あと3ヶ月。4月にはきっと桜越しの竹生島がある事だろう。その時、また、来よう。

 

今回は早めに切り上げたが、なんだか物足りない。距離が、ではなく、寄り道しなかったから。

帰りの車の回送時、「師」と
「今日は、寄り道、しなかったね。ただ漕ぐだけじゃ物足りないね。やっぱり寄り道しなきゃねぇ」
と言いながら、車を走らせる。そして、今朝、チェックしておいた酒屋さんの前で、「ここに寄ろう!」と、意見が一致した。

以前、桜の時に、ここに寄った事がある。いかにも「酒屋」の店構えはその通りの看板となっている。



私は私のために、「師」は家族のために、それぞれお土産を手に入れ、にんまりとしながら車を取って帰った。

もし「戻るのが遅かったね」と言われたら
  「はい、途中、渋滞してたので」、って、言おうね、それとも
  「前の車が故障して進めなかったので」って言おうか、

と2人で下手な小細工考えていたが、私達が途中で寄り道しているはバレバレである。でもね、やっぱり、ただ漕ぐだけじゃ琵琶湖じゃないよ、寄り道しなきゃ、と「師」は言う。

さすが「琵琶湖の師」だ。そんな楽しみ方を教えてくれるから私の「師」となった。



 そのお土産も

 今日、月曜の午前1時半には
 こんだけになりました。

 お金と同じ
 なくなるのは早い



  ― しかし、この話、もうお一方にはご内密に! ―



190. なんだかほっとできる所 ― 看板ネコのいるお店

2008年01月10日 | Weblog
何だかほっとできる時。

春、「しろかき」の後について、エサをついばむ小サギを見た時
夏、運転していて、赤信号で街路樹の陰で止まれた時
秋、葉っぱの落ちた木にぶら下がっている割れたザクロを見る時
冬、丼のあったかい湯気の中から好きな具を引き上げる時

大きな瀬をクリアーできた時もほっとするし、深夜、ブログを書き終った時もほっとする。格別に大きな事が無かった時も、ただじっとしているだけでも許される、そんな時がほっとする時であり、そんな所がほっとできる所だ。

私がほっとできる所にはいくつかあるが、例えば琵琶湖には、薪ストーブが嬉しいカレー屋さんがある。このストーブの炎を見ると何だかほっとする。このお店のことは、いずれまたゆっくりと紹介したい。

今日は、川沿いのほっとできる所。お気に入りのお店。

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昨日はちょっとした用があり、瀬田から宇治までの川沿いを行き、またそこに寄った。

その店に行くようになって、まだ1年も経たないだろうか。
家から1時間ほどかかる所なので、用も無いのにわざわざ行くことはないが…
用を作ってわざわざ行く。遠回りをしてわざわざ行く。

1ヶ月に1回だろうか、2ヶ月に1回だろうか、その道を通る時にはいつも寄る。
いつも、と言っても、昼前から夕方までしか開いていないのでそれ以外の時間帯には別の近道を行く。  



 この川沿いにあるお店

 この山の湧き上がる緑と
 溢れんばかりの紅葉と

 そしてそれらを写す
   緑の水に癒されます



川沿いの、小さな古い構えのその店は、ただまっすぐ前を見ていたのでは見落としてしまうようなひっそりとした隠れ家的な雰囲気がある。

私は最近、この店のことを友人等の勧めているが、本当はあんまり大勢に行って欲しくない。私の秘密の隠れ家にしているので。


 ここでいつもコーヒーで
 寛ぎます。

 お昼はいつも「にしんそば」
 
 昨日会ったおじさんが
 カレーうどん食べてました

 次は私もカレーうどんに
 しようかな…


その店は、特別に変わったメニューがある訳ではないし、特別に安いと言う訳でもないし、特別におしゃれな店でもないし…

しかし、私の心をほっとさせる特別の雰囲気がある。
その雰囲気を作っているものには、

  黒くくすんだ格子の引き戸
  肩のこらない骨董品
  こじんまりとした薄明かりの店内
  かすかに聞こえるハープの調べ
  
  そして女店長(多分…)

いや、この人は「店長」なんて、そんな、やぼったい呼び方は似合わない。
じゃなくて、…、そう言えば、私はこの人を呼んだことがない。

いつもすぐ本題に入るので、呼びかけることをしたことがない。
「店長」? そんな事務的な人ではない。
「マダム」? そんな気取った人でもない
「奥さん」? そんな所帯じみた人でもない
「女将さん」? そんな堅苦しい人でもない
「あのぉ…」? それさえもなしで話かける。

その人には本当の名前があるが、
しかし私はずっと前からこの人には名前をつけていた、バンダナさん と。
いつもショートカットの髪にバンダナを締めている。それがとても粋で、気さくなその人によく似合っている。

その店には本当の名前があるが、
しかし私はずっと前からこの店には名前をつけていた、サクラ と。
ここの看板ネコ、「サクラ」に敬意を表し、この店を「サクラ」と呼んでいる。

        

 看板ネコのサクラ

 彼なのか彼女なのか
 
 堂々とした風格は
 もしかしたら
 「店の主」なのかも知れない




そんな全てが私をほっとさせる。

  夏の木陰

       

  秋のザクロ

       

  冬の湯気

       


春、この庭にはどんな鳥が来るのか楽しみにしている。




189.私の車はポルシェ ― カレーが好きな車です

2008年01月08日 | Weblog
実は…、私の車は…
  ポルシェと深い関わりがある。

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昨年の春に買ったマイカー、取立てていい車ではなく、フツーの大衆車だ。
大きさも私の体に合った、かろうじて車中泊ができる大きさで、自慢ではないが買ってから一度も洗車をしたことがない。(自分では)

それでも整備・点検はこまめにやるので(正しくは、やってもらう)その時にはきれいになって帰って来るし、暮れには見かねた家族が洗ってくれた。

200万の車に300万のオプション・改装する人がいるが、私の車に対する見解は要するに、車なんてものは移動の手段に過ぎない、ってことだ。

歩く時、右足・左足と順に出して1メートル、2メートルと前に進むのと同じで、車もタイヤが1回・2回と回転して前に進むだけの機械だ。まぁ、ちょっとは宿泊施設的要素も必要だが。

だから、傷がつこうがドロで汚れようが、安全でさえあれば見てくれには頓着しない。

実際、四駆のオフロード車に引けを取らない位の働き、と言うか酷使をしている。
ガンガン、とかゴーンだとか。

このお話しはしただろうか。「館」からの帰り道、狭い急な上り坂のカーブで、対向車に道を譲って、側溝にはまった事を。その対向車のお兄ちゃん達が積んでいたブロックや厚板をかませて引き上げてくれた事を。

車体を覗き込むとその時の傷がドロの中に埋もれている。見えないし、まぁ、いいっか、とほっておいてある。 
そんなマイカーではあるが最近大変なことが分かった。 

ある人が、私の車に愛称をつけて呼んでいた。 マルシェ と。

     

ふ~ん、マルシェか。カレーか。
そうだろうな、フツーの大衆車だし、乗っているのが私だし、国民食のカレーって言うのは的を得ているな、とそのネーミングに変な感心をしていた。

ところが

実はその名前はカレー由来ではなく、何と ポルシェ であることが分かった。

えぇ? ポルシェ? なんで?
「それは ****** だから」
へぇー、そうなんだ、私の車はポルシェなんだ!

日本の国民食から一転、世界の名車へと昇格したマイカーは、今日もまたドロだらけで
月1500キロのノルマを果たすべく、ガソリンを使って来た。
     
      今年の「パリ・ダカ」目指そうと思っていたのに…。

なぜ私の車の愛称をポルシェとしなかったのか、それはポルシェではおこがましいからとか。
なぜ私の車の愛称がポルシェ由来なのか、それは…

  それは、いずれまた、どこぞの水辺で、ホットワインなど傾けながら…






188.早々の失敗 ― 後付の決意

2008年01月04日 | Weblog
     ここだけの話であるが…

元日にこんなことを言った。「失敗の中から成功を見つける」と

実は年が明けて早々に第1発目の失敗をやらかした。新しい年が始まって3時間と経たない内に、である。何をやったかと言うと、「メール!」

年々、年賀状を書かなくなり、その代わりメールで新年の挨拶を交わす人が多くなった。メールにも携帯とパソコンがあるが、携帯メールは送信の時間に気をつけている。

以前友人が、「目覚まし代わりに携帯を枕元においているが、夜中・明け方・とんでもない時間にメールの音で起こされ腹が立つ」と言っていた。

その話を聞く前は、夜中・明け方・とんでもない時間に電話をかけるような非常識な事は決してしないが、メールなら電話じゃないし、音も聞こえないから大丈夫。と思っていた。

しかし友人の話を聞いてからは、夜の送信には気をつけている。
私はメールを送るのは結構遅い時間で、12時?、1時?、2時?、まぁそんな時間だ。この時間帯にはパソコンにしか送らない。 

そして元日の朝、

朝2時頃、初詣から帰って新しい年の初めてのメールをパソコンに送信し、やれやれこれでゆっくり寝よう。と新しい年の新しい眠りについた。

ところが元日の昼、

そろそろ携帯に送信しようと確認していて しまった! と冷や汗が出た。

あぁ~あ。やってもた! 正月早々、早々と失敗した。
丑三つ時に携帯に送信していた。

ご、ごめん! これで起こされてなんか、いなかったよね。
こんな失敗もうしません。以後、気をつけます!

「失敗の中から成功を見つける。そんな一年でありたいと思う」
こう言った時には、実は、既に失敗をしていて、それをフォローするための言葉だった。

      ここだけの話であるが…




187.1月1日 ― 失敗の中から成功を

2008年01月01日 | Weblog
明けまして おめでとうございます。
  
とりあえずご挨拶だけして、今日は何かと忙しく、何かとゆっくりしたいのですが、この日にこそのご挨拶があったので、取り急ぎ。

この日のために撮っておいた写真が一枚…
1月1日 1月1日 1月1日 1月…

         

本当は、昨年、錦川の帰りに渋滞した高速道路で、あんまり月がきれいだったので撮った写真なのですが、失敗作もこんなにタイムリーな話題となりました。



失敗の中から生まれる成功。



今年もこんなふうに失敗の中から成功を見つける、そんな一年でありたいと思います。
今年もよろしく お願いいたします。