私が愛読している例の「K新聞」。先日の記事にこんなことが載っていた。
どんな事かって、つまり、「広辞苑」と「大辞林」の真の意味が。
ふ~ん、「広辞苑」って、その代わりには、ならないんだ…
へ~え、「大辞林」って、そんな使い方も、できるんだ…
と、双璧を成す二つの国語辞典の、知られざる使い方を知った。
他社の追随を許さない報道の真髄を見せつけられ、ちょっとショックを受けて……
大爆笑した。
さすが日本の AP通信 (1月だけど、まぁ、いいっか。)(№107.ここをご覧下さい)
我が家には「広辞苑」も「大辞林」もないが、「枕にもしない」、「尻も拭かない」辞書がいくつかある。
辞書でいろいろなことが分かるが、調べようと思って辞書を開く時と、開いておいたら何かが分かった、という時がある。その後者を願って、若い人に(私も十分に若くはあるが!)辞書を贈る時がある。まぁ、 置き辞書 とでも言おうか。
車の助手席でも、食卓の上でも、ラジオの横でも、必ず目が行く所にさりげなく開いておくと、嫌でも視線がそちらに行き、何か一文字でも目に入る。
そして、何かの言葉が「良く来てくれました!」と言って、その意味を教えてくれる。私の一番お勧めの置き場所は、「トイレ」。1日1回、いや、2日に1回であっても、何秒か、何分かの時間を確保できる所だ。ゆっくりと(?)辞書を眺められる空間と時間だ。
パソコンのようにセキュリティーいらないし、電子辞書より内容が豊富だし、第一、高くないので辞書にする。
辞書を贈った相手がそれを枕にしようと、尻拭き紙にしようと、ティッシュペーパーと交換しようと、そんなことは私にとって、もはや問題ではない。
・
・
・
それが分からないと非常に気になる時がある。
「まぁ、いいっか」と済まされず、ムキになって調べまわる。
最近ではあの、「トロッコ軌道もどき?」。通信ケーブルとの情報が入ったが、なんで途切れているのか、どんな物なのか…何かと気になっていた。
昨日、またその道を通ることがあったので、今度は歩いて近づいてみた。探すと意外と近い所に「止めてくれ!」と言わんばかりに駐車スペースがある。
この道は何度も通っているが、ここに止められるとは思わなかった、いや、止めて良いとは思わなかった。私の頭の中ではここは「歩道の中?」で、「道路交通法」かなんかで言えば、ここは止めてはいけない所なんじゃないかと思って…。
クソ真面目と言うか、要領が悪いと言うか、臆病と言うか、なかなか
「 まぁいいっか 止めちまえ 」 と言えない小心者だ。
そんな私が「あのケーブルのためなら!」と大胆にしてかつ無謀にも、そこに車を止め、早速探索に出る。
あの真上に着たが、それ以上はどうしても行く事ができなかった。もっとそばで見てみたい…。
しかし近づけば近づくほど「ケーブル」と言うより、「パイプ」の観がある。
あのパイプの中にケーブルが入っているのか…。
どうしてあそこから始まっているのか、どうしてあそこで終わっているのか、どうして途中が飛ばしてあるのか…。
どうして、どうして???…。
鍵のかかったフェンスをくぐる事も、またぐ事もできず、いっぱい未練を残したままそこを去った。でも、なんだかとても気になるなぁ。
少し行った所で犬の散歩をしている人を見かける。運よく車を止めることもできる。帰りかけているその人を呼びとめ、聞いてみる。
「工事関係者に土地を貸していた」というその人の話では、あの途切れ途切れの理由はどうやら「補助金」らしい。
おーぉ、最近教えてもたらった情報とだんだん1つになってくる。
そうなんだぁ! ふむふむ。調べようと思った情報が少しずつ、あちらからこちらからと入ってくる。ありがたい。
でも…、もっとそばで見たかったんだけどなぁ…
帰りがけ、またちょっと寄り道をし、ぶらぶら歩いてみる。すると…
すると、あっ!、これじゃないの! と思う物を発見!
これがあの
「トロッコ軌道もどき?」と同じ物と
思い込んでいる私なのですが…
この「思い込み」で度々
失敗している私なのですが…
数も形も色も、多分例の物と同じ物に違いない。
えぇ~、こんな所にもあったんだ。思いもかけない所で念願が叶う。
犬も歩けば棒に当たる
そおっかぁ、「調べる」ってことは、言い換えれば 棒に当てる って事なんだ。
調べようと思って行く時と、行ってみたら何かが分かった、という時がある。
私を棒に当てる「置き辞書」。それは「大胆」、「無謀」、「探究心」…
いや、単に 好奇心 なのかもしれない。
その好奇心のおかげで、こんな船頭さんとも会う。
なぜこの船頭さんがここにいるのか、
それはいずれまたどこぞの橋を見上げながら、ケーブル談義などをしながら…。
どんな事かって、つまり、「広辞苑」と「大辞林」の真の意味が。
ふ~ん、「広辞苑」って、その代わりには、ならないんだ…
へ~え、「大辞林」って、そんな使い方も、できるんだ…
と、双璧を成す二つの国語辞典の、知られざる使い方を知った。
他社の追随を許さない報道の真髄を見せつけられ、ちょっとショックを受けて……
大爆笑した。
さすが日本の AP通信 (1月だけど、まぁ、いいっか。)(№107.ここをご覧下さい)
我が家には「広辞苑」も「大辞林」もないが、「枕にもしない」、「尻も拭かない」辞書がいくつかある。
辞書でいろいろなことが分かるが、調べようと思って辞書を開く時と、開いておいたら何かが分かった、という時がある。その後者を願って、若い人に(私も十分に若くはあるが!)辞書を贈る時がある。まぁ、 置き辞書 とでも言おうか。
車の助手席でも、食卓の上でも、ラジオの横でも、必ず目が行く所にさりげなく開いておくと、嫌でも視線がそちらに行き、何か一文字でも目に入る。
そして、何かの言葉が「良く来てくれました!」と言って、その意味を教えてくれる。私の一番お勧めの置き場所は、「トイレ」。1日1回、いや、2日に1回であっても、何秒か、何分かの時間を確保できる所だ。ゆっくりと(?)辞書を眺められる空間と時間だ。
パソコンのようにセキュリティーいらないし、電子辞書より内容が豊富だし、第一、高くないので辞書にする。
辞書を贈った相手がそれを枕にしようと、尻拭き紙にしようと、ティッシュペーパーと交換しようと、そんなことは私にとって、もはや問題ではない。
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それが分からないと非常に気になる時がある。
「まぁ、いいっか」と済まされず、ムキになって調べまわる。
最近ではあの、「トロッコ軌道もどき?」。通信ケーブルとの情報が入ったが、なんで途切れているのか、どんな物なのか…何かと気になっていた。
昨日、またその道を通ることがあったので、今度は歩いて近づいてみた。探すと意外と近い所に「止めてくれ!」と言わんばかりに駐車スペースがある。
この道は何度も通っているが、ここに止められるとは思わなかった、いや、止めて良いとは思わなかった。私の頭の中ではここは「歩道の中?」で、「道路交通法」かなんかで言えば、ここは止めてはいけない所なんじゃないかと思って…。
クソ真面目と言うか、要領が悪いと言うか、臆病と言うか、なかなか
「 まぁいいっか 止めちまえ 」 と言えない小心者だ。
そんな私が「あのケーブルのためなら!」と大胆にしてかつ無謀にも、そこに車を止め、早速探索に出る。
あの真上に着たが、それ以上はどうしても行く事ができなかった。もっとそばで見てみたい…。
しかし近づけば近づくほど「ケーブル」と言うより、「パイプ」の観がある。
あのパイプの中にケーブルが入っているのか…。
どうしてあそこから始まっているのか、どうしてあそこで終わっているのか、どうして途中が飛ばしてあるのか…。
どうして、どうして???…。
鍵のかかったフェンスをくぐる事も、またぐ事もできず、いっぱい未練を残したままそこを去った。でも、なんだかとても気になるなぁ。
少し行った所で犬の散歩をしている人を見かける。運よく車を止めることもできる。帰りかけているその人を呼びとめ、聞いてみる。
「工事関係者に土地を貸していた」というその人の話では、あの途切れ途切れの理由はどうやら「補助金」らしい。
おーぉ、最近教えてもたらった情報とだんだん1つになってくる。
そうなんだぁ! ふむふむ。調べようと思った情報が少しずつ、あちらからこちらからと入ってくる。ありがたい。
でも…、もっとそばで見たかったんだけどなぁ…
帰りがけ、またちょっと寄り道をし、ぶらぶら歩いてみる。すると…
すると、あっ!、これじゃないの! と思う物を発見!
これがあの
「トロッコ軌道もどき?」と同じ物と
思い込んでいる私なのですが…
この「思い込み」で度々
失敗している私なのですが…
数も形も色も、多分例の物と同じ物に違いない。
えぇ~、こんな所にもあったんだ。思いもかけない所で念願が叶う。
犬も歩けば棒に当たる
そおっかぁ、「調べる」ってことは、言い換えれば 棒に当てる って事なんだ。
調べようと思って行く時と、行ってみたら何かが分かった、という時がある。
私を棒に当てる「置き辞書」。それは「大胆」、「無謀」、「探究心」…
いや、単に 好奇心 なのかもしれない。
その好奇心のおかげで、こんな船頭さんとも会う。
なぜこの船頭さんがここにいるのか、
それはいずれまたどこぞの橋を見上げながら、ケーブル談義などをしながら…。