カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

777. 予想・期待・確信 ― びわ湖の氷

2016年01月24日 | Weblog

前日から、今日は数十年に一度の寒波が来ると言っていた。どんなに雪が積もるのだろう、食料の買い出しもしておいた方が良いんだろうか。と思いつつも、何の準備もせずに朝となった。

夜半から雨戸がカタカタ鳴って、風が強いと知らせる。朝の部屋は今シーズン一番の冷え、風向きは・・。おっ、今日はあれが見られるかもしれない。予想では、きっとあるはず。 

いつもなら、太陽が隣の家からすっかり現れるまで行動開始しない私だが、今日は早々と出かける準備を始める。 手袋、帽子、分厚いコート、カメラ、それと長靴。

予想しながら家を出、期待しながらびわ湖を目指す。

 

 白く輝く比良の山々

 麦のあおさ、
 空のあおさ

 びわ湖もきっとあおいでしょう

 

 

 

 

期待しながら行ったびわ湖。白波が立ちまくり、岸にはザブンザブンと打ち付けているびわ湖が見えてくると、それはもう、確信となった。

  

震えあがる寒さとこの風。あるな、絶対に「しぶき氷」があるな、と確信して湖岸を進む。 しぶき氷は、寒ければいつでも見られる訳ではない。氷点下の寒さ、北西の強い風、水際の木。その条件でも少し地形が違うと現れないこともある。

どこにできるかと言うと・・・

目指す岸には、やっぱりあった。

 

 しぶき氷

 つららではありません

 風と波と寒さと枝の
 共同作品

 

 

 

 

「何十年ぶりかの大寒波」のふれこみだったが、幸か不幸かこの辺りの冷えはそれほどでもなかった。しぶき氷は確かにできてはいたが、だいぶ小振りだ。それでもめったに見られない冬の光景を作ってくれたびわ湖に感謝する。

 

湖岸に下りると波しぶきがもろにかかる。凍った岩で滑ろうものならあっという間にびわ湖の餌食となる。へっぴり腰が我ながらおかしかった。

 

 今、
 まさに生まれようとするしぶき氷

 

 こんにちは 
 ようこそびわ湖へ


 

 

 

しかし、まぁ、寒いのなんの。 早々に車に戻った。 冬のびわ湖の風物詩、でもあるしぶき氷。小さくても満足の出会いだった。 さて、ここまで来たらあのお方にご挨拶していかなくては、と向かったのがあのお方、「ビワガメ」さん。

 

 こんにちは ビワガメさん 
 今日は寒中水泳ですか

 えっ、修行?

 そうですか、
 風邪をひきませんように

 

 

 

 

覚えておいでだろうか、私のびわ湖の友人、「ビワガメ」。まだ硬い桜の芽を見上げる様に背中を出す。大きな波が来ると凍てつく水にすっぽりと隠れるが、2月のフキノトウを、3月のツクシを、4月のサクラを、5月のシャガを楽しみに修行に励んでいるのだろう。

           ではまた来ますね

 

氷の湖岸からの帰り道、そうそう、この亀さんにもご挨拶しなければ。

 

 カメジマさん 
 今日は一番の寒さですよ

 あなたも修行ですか

 えっ、
 竜宮城に行くのですか

 お気をつけて

 

 

 

本当の島ではないが島のように見えるので私が「カメジマ」と呼ぶ辺り。そうそう、あそこには龍神さまがおいでになる。今年はまだご挨拶に行っていない。ではおのお方にもお目にかかってこなくては。

 

いつ来てもきれいに掃き清められている龍神さまと龍王様。岩を穿って祀ってある祠の前に小さな石仏がお立ちになる。

おやまぁ、と目が行ったのは

 

 おやまぁ、お揃いで
 麦わら帽子ですか

 よくお似合いですよ

 かさこ地蔵 の様ですね

 

 

 

 

 

いつからこの帽子が被されているのか、それがわからないほど、ご無沙汰してしまったのだろうか。それとも、先週の雪の時、ここをお守りしている人がお被せしたのだろうか。赤いよだれかけと麦わら帽子と寒風と。この奇妙な取り合わせが微笑ましかった。

このお社の近くにもしぶき氷がある。

氷は太陽の光で輝きながら、その光を受けてびわ湖に落ちて水となり、そしてまた寒い夜に氷となって水上に現れる。

液体と個体を行き来し、水中と水上を行き来し、水と氷と言う名前を行き来するもの。指の間から滴り落ちる非力な存在のようでいて、変幻自在の能力と卓越した順応性を秘めたもの。そんなものの集合体。

          一滴(ひとしずく)のびわ湖

 

龍神様・龍王様にお暇乞いをし、帰りに我が家御用達の湖岸に寄る。

家族と一緒にバーベキューやスイカ割りや水遊びをする岸。友人と一緒にカヤックやランチ会や車中泊をする岸。いつも静かに迎えてくれるこの岸も、今日は猛々しい。こんな岸も又、勇壮で良いものだなぁ。

 

予想し、期待し、確信した冬のびわ湖。いいびわ湖だった。

 

うぅ、本当に冷えてきた。早く帰って、熱いコーヒーでも飲もう。

 


776.お待たせしました弁天様 ― あれもこれも手に入れて

2016年01月19日 | Weblog

海辺のお宿の朝は黄金色に明けた。

  

贅沢にも朝風呂に浸かり、光る英虞湾に時を忘れる。 生まれたての太陽が辺り一面を光らせる。この景色、一昨年カヤックから見た光景とは別の世界のようだ。 何かいいことが始まる予感がする。

 

湾漕ぎを予定していたのだが、急きょ「例の弁天様漕ぎ」に変わる。 

実は昨年末に、ひょんなことから、「海辺の弁財天」の存在を知った。道沿いにその参道を示す大きな石碑があり、それに導かれて進むとなにやら小さな社が見えてきた。しかし、残念なことに道が途中で崩れて弁天様に辿り着くことができなかった。 

        海からなら行けるんだけど・・
        いつか、行ってみたいな・・

と思っていた弁天様がある。いや、おいでになる。 思いがけずにそのチャンスがやってきた、これを逃す手はない。

 

海は、鏡のようにまったいら、とは言わないが、これなら私でも漕ぎ出せる。 いざ、出発!

つい先日歩いた岸が続く。あの小屋の横を通り、あの岩を上って下りて、あの大きな家を振り返り、あの岸を歩いて、あの藪を通って、あの照射燈に行って、そして弁天様への道を見つけて・・

 

 岩井崎の「矢摺島照射燈」

 なるほど岩礁が多いです

 よそ見してると乗り上げる

 

 

 

 

 

 さずが、太平洋、静かに見えていたが軽くうねりもありブーマーがあちこちに顔を出す。照射燈が照らすのはこの岩礁だろうか、それともあれか。

照射燈は海から見ると周りに何もなくすっくと立ちあがる塔のように見えるが、そばに行くと中々の藪で、全景を見るのは難しい。それにしても、あの上から見たらさぞかし地球の丸さがわかるだろう。ここを漕ぐ私は、どんなにちっぽけに見えるだろう。ならばあの上にいる(かもしれない)私に大きく手を振ろう。

           私はここですよ~

           この海を、太平洋を漕いでいますよ~!

 

ここは風がある、パドルを止めるとバランスを崩す。横目で見ながら、手を振りながら、カメラを持ちながら、真剣に漕ぐ。

 

程なくして目指す弁天様の岸に着く。「いつか行きたい」と思ってから一ヶ月も経っていない。あっけないほど早い「いつか」に着いた弁天様。「丸山弁財天」、どんな弁天様なのか早くお目にかかりたい。

しかし急いてはいけない。まずは参道から。

木立の中に続く道。建っている灯篭、倒れた灯篭、崩れた道。いつの時に、誰が作った参道なのか。どんな時にどんな人が建てた弁天堂なのか。降り敷いた落ち葉を踏む音と波の音、それ以外の何の音もしない不思議な静寂の道だ。しかしその先は大きくえぐられて崖に崩れ落ちている。

それでは、と引き返す途中で、

         ん? この筋は何だろう、獣が歩いた跡か、もしかして人間が?

         と言うことは、この先はどこかにつながっている?

         では確かめなくては!

ちょっと参道を見に行くだけのつもりが、またまた藪漕ぎの探索旅となった。それにしてもこの小路、いったいどこにつながっているのだろう。 藪をくぐり、枝を払い、ずんずん行くと大きな石垣に出る。

こんな藪の奥に何の目的でこんなに大きな石垣を作ったのだろう、畑か、家か・・・ 

更に道なき道を行くと急に目の前が開ける。

           あ、わかった、照射燈へ行く道だ!

と、熊からさんが言う。 えっ、ほんと? そう言えば、何だか見覚えがある。やっぱりあの道だった。じきにあの照射燈が真っ白な姿を現す。

 

 先月、ここから見たこの塔を 

 ついさっきは海から見て、 
 今また足元から見る

 本当によく会う塔だこと

 

 

 

 

 

 

他を照らすことによって自らの存在価値が明らかになる。人も、そんな謙虚さが大切なのかもししれない。 

ついささっき、海の上のカヤックから、この塔の上にいるであろう自分に手を振ったが、塔の上にいるはずの私は今、その足元にいる私に気が付くだろうか。登って行って、後ろからポンと肩を叩く。はっ、と振り向いた私の、びっくりした顔を見たいものだ。 

それも良いが、早く岸に戻って弁天様にお会いしなくては。

 

たぶんこの方向だろう、とちょっと心もとない言葉を聞きながら、無事元の浜に戻る。では弁天様、お目にかかりに参ります。

 

 青い空、 
 それにも増した碧い海

 遠く熊野の岬も見えています

 

 

 

 

 

 

急な階段を上るとそこにおいでになったのは・・ 

            弁天様、お待たせしました。
            「いつか」と言わず、今日来ましたよ

奉納した人の名前が入った石灯籠が立つ。その人がどんな人なのか、なぜここに奉納したのか、遠いどこかの見知らぬ人だがなぜだか、親戚のような親しみが沸いてくる。

           いつか、どこかで会えるだろうか
           もしかしたら、知らずにあっているのかもしれないな

 

弁天様は、水の神であり、豊穣の神であり、音楽の神であり、命の神であり、知恵の神であり、財の神でもあると言う。弁天様お一人におすがりすれば、世の中の大概のことはうまく行く様だ。 では、と手を合わせ、賽銭を入れた。

お社の前から見下ろす海は、

 

 休憩に、キャンプに

 太平洋の雄大さと
 小さな入り江の優しさを

 思う存分独占ビーチ

 シュノーケリングにも
 もってこいの磯 

 

 

  

こんな絶景にお住いなのはどんな弁天様かって?  恥ずかしがり屋の弁天様かもしれない、どんなお方か、それはこそに行ってお会いするのが一番だ。 

 

去りがたい岸に別れを告げ、風の立ち始めた海を帰り道とする。

ついでにと、隣りの集落まで買い物に行き、ちょいと海辺のランチをし、ブーマーを横目に見ながら出艇の浜へと戻り、今日の『弁天参り』の旅は終わった。 

         「いつか」は 「意外と近い将来」なのだと、気が付く海だった。

 

家路の途中で、青い空がたっぷり残っていたのでちょっと遠回りをして、あの鐘を鳴らしに行く。ここも以前から行きたいと思いながら、いつか行こう、今度行こうと、思っていた所。

 

 つばすの鐘

 出世・幸運がもたらされるとか

 本当は2回鳴らすのだそうです

 でも1回しか鳴らさなかった私の願いは
 叶うでしょうか

 

 

 

 

 

誰もいない峠に乾いた鐘の音が響いた。ヒオウギガイの絵馬が架かり、きっとここは、若い二人連れが来る所なんだろうな。半世紀+αの私は何気に恥ずかしかった

しかし、ここからの眺めは、これまた素晴らしい。

風が、御座の岬までひとっ走り、と駆けて行く。漕いでもほんの一漕ぎ? 今日漕いだのはあの岬の向こう側の太平洋。いい海だった。 だんだん陽が傾き、少し寒くなった。ぶるっと身震いしてまたハンドルを握る。

次第に夕日色が濃くなり、また海が光り出す。

そうだ、あの花が咲いている頃だ。まだ明るい、ちょっと寄って行こう。

  

五ヶ所湾のハマジンチョウ。毎年この時季に来ているが、今年は例年より花が少ないようだ。もう終わったのだろうか、それともこれからなのだろうか。たいして匂わない小さな花だが、毎年私にここに寄る口実を作る花だ。

           今年もありがとう、また来ましたよ

寄り道している内に本当に太陽が山の端にかかってきた。最後の陽光を五ケ所の海苔網に投げかけて、やがて今日の太陽は沈んで行った。まだ寄りたい所がある。ちょっと急ごう。

 

高速に乗るまでの道で梅が満開に咲いていた。ここもちょっと寄って行こう。

 

 沈んだ太陽は 
 まだ空を青く残していました

 溢れるほどに満開の梅

 一足お先に観梅会をしました

 

 

 

 

薄暗くなり始めた道の途中で、土産にヒオウギガイを買い、車中のおやつにたい焼きを買い、良い一日の余韻を楽しむ。事故の大渋滞で1時間余計にかかったが、それでも良い一日だった。

本当はまだまだいろいろな事があり、いろいろな物を見つけ、いろいろな出会いがあったのだが、あまりにも統制のない盛りだくさんの記録になってきたので、ひとまずこの辺で中締めとしよう。

             海からも陸からも、あれもこれも手に入れた良い一日だった。

             こんな日が一年で300日あったらなぁ・・

 

 


775.海の初漕ぎ ― 遠い光・近くの灯り

2016年01月18日 | Weblog

KW-A-15

2016年の初漕ぎをびわ湖で済ませたばかりだったが、その何日か後に、また初漕ぎ。今度は海での初漕ぎ。 カヤックは夏の遊びと思っている御仁達には寒中でのカヤックなど信じられない、という顔をされるが、冬は水が澄んで、それに今年が暖冬と言うこと以外にも、海は意外と暖かい。

そんな海へ早速に出かける。今年の初海は英虞湾。

 

おなじみになった出艇地。キツネかタヌキにでもからかわれているのではないかと思うほどに迷った道も、反対側から行けばあっけなく着く。ではさっそくに出艇する。

さっそくに出艇はしたが、まずは前回 KWーAー14 の最終ポイントまで漕ぐ。目印の所に着いて、さぁ、ここから今日のKW-A-15の正式スタートとなる。

 

漕ぎ出せば、待ってましたとこんな物が足を、ではなく、パドルを止める。

 

 

 「海岸保全区域」

 ここにもありました

 

 守るべき海岸がここにもあります

 

 

 

 

 

そんな石杭がここぞ、と守っている岸には沼が広がりヨシが茂る。

防潮堤で仕切られてはいるが水は塩の味を残す。ここは海が出たり入ったりしているのだろうか、魚も出入りしているのだろうか、潮が引いたら干潟になるのだろうか、野鳥は来るのだろうか。海と陸が混沌とする所。守るべき海岸は想像の花を咲かせる。

 

冬は水が澄んでいる。砂の上の貝の足跡も、カキガラの上のヒオウギガイもその間に何もないと思わせるほどに澄んでいる。

 

 海に沈むヒオウギガイ

 大きな貝殻は 
 きれいに磨いて豆皿に

 ビールのつまみや
 刺身の醤油皿に

 

 

 

 

海の中を覗き込みながら漕ぐと浅い海底が竜宮へのアプローチのように続く。

 

そろそろお昼にしようと上がった岸で大変な忘れ物をしたことに気が付く。

わぁ、しまった! うどんのスープを忘れた! 味無しの素うどんはいただけない。さて、どうしようか、と考えて・・

そうだ、塩味ならたっぷりある。と目の前の海水をすくって「塩うどん」となる。

 

潮の引いた海には海苔網が誇らしげに今年の傑作を披露する。

この冬は異例の温かさで海苔が例年の1割にも満たない海があると言う。英虞湾のアオサは変わりないのだろうか。

 

腹も膨らみ、さて、と漕ぎ出した岸は、入り組んだ英虞湾をさらに虫食いにしたような岸。蟻の迷路のように入り組んでいる。その奥にいつものように廃屋が。

 

しかし、作業小屋とは違う雰囲気、屋根も高いし窓の造りも作業小屋とは違う。かと言って住居とも違う。気になり上がってみると・・

小学校の教室ほどの広さ、がらんとした建物の天井からこんな札が吊るされている。どうやらここは商店だったようだ。

  

 

どんな人が店に立っていたのだろう。小粋な女将だったのだろうか、無粋なおやじだったのだろうか。
どんな人が客として来ていたのだろう。仕事帰りの漁師だったのだろうか、バカンスを楽しむ若者だったのだろうか。

          おやじ、冷えたの1杯!
          おばさん、靴下、ある?
          ねぇ、ねぇ、あのカヤック、借りてみない?

遠い昔の賑やかしい声が聞こえてきそうな建物だ。これは死んだ廃屋ではなく、眠った古家。眠りを起こさないようそっと店を出た。

 

この辺り、海と陸を境する防潮堤に立派な石段がある所が多い。例えばこんな、

 防潮堤の中は、かつては田畑であったであろう沼や藪。そこへ仕事に行くだけにしては大きな階段だ。これが必要とされた時代から沼や藪となって行った月日の過ぎ去りにどんな時代が流れたのか。目を凝らせばここを上り下りした人が、見えてきそうだ。

時々、こんな橋がある。

この橋の先に、あえて行かなければならないと見える所はない。藪か湿地か雑木林か・・ それでもこの橋を渡って行く用事があった人がいたのだろう。その人も又、「おっとっと」と言いながら、渡ったのだろうか。

              私たちも、「その先を見る」と言う大切な用事で渡る

古い石橋に新しい足跡を記し、ここにもまたカヤックの歴史を残して行く。

 

冬の暖かい日、穏やかな入り江の水は水底深く澄み、どこから水上でどこから水中なのか見分けがつかない。

太陽を受けて輝くアオサ。毎日、海面から出て、沈んで、また出てまた沈み、そんな繰り返しの中で、計算された図形を滞りなく仕上げる海の職人技。この海と、この太陽の共同作品の展示会、ただいま開催中。

 

もうこんな時間、「今回はここまで」と印をつけて、出艇の岸に戻る。今年の海漕ぎも順調に進んだ。トータル11キロほどを漕いだが、必要とするKWシリーズの距離を漕いだのは6キロ弱。その11キロを6時間ほどかけて楽しんだ。何ともまあ寄り道の多い事か。

 

漕ぎ終わり、沈む夕日を追いかけて今日のお宿へと急ぐ。今日は念願のお宿に泊まる日。どんなお宿かと言うと、こんなお宿。

  

一昨年の秋、この宿の前を漕いだ時から、いつかここに泊まってみたいと思っていた。そしてやっと、それを叶えた。 もしかしたら、今日電話すれば、明日泊まれるのかもしれない。しかし、次第次第に積み重ねていくシリーズで、「いつか、やっと」そんな時間の積み重ねを楽しみたい。そして「いつか」と想ってたその日を「やっと」迎えた。

お宿は、積み重ねてきた時間と想いに十分に応えてくれる宿だった。大きな檜の風呂を、もったいない、と言いながら独り占めしたのだった。

今私を迎え入れる宿の灯りの中で、遠い昔の店の電灯の明かりを思い描く。 今日もいい海だった。

さて、明日はどこを漕ごう・・        

 


774.カヤックデビュー ― 初漕ぎは沖の白石

2016年01月11日 | Weblog

昨日は私のカヤックデビューの日。2016年のカヤックデビューを果たした日だった。

先月、年明けの初漕ぎは沖の白石に行きたいと思いGONNさんにお願いしていた。

            白石、行きたいんですけど、連れてってください
            そうですか、ありがとうございます            
            よろしくお願いします

 

と言うことで今年は、今年も、初漕ぎはびわ湖の「沖の白石」となった。びわ湖も今年は暖かく、比良の山々にも雪はほんのおしるし程度。冬晴れの陽に僅かな雪だけが白く光る。

 

 びわ湖に向かういつもの道で 
 私とマロンとWWW号

 今年もよろしくお願いします

 それにしてもマロンは
 大きな車だこと

 それにしてもWWW号は
 小さなカヤックだこと

 

 

予報ではちょっと風が出るようだが、GONNさんと出かける時は後半に風が吹くのはいつものことで、もはや常識と言ってもいいかもしれない。今回はどんな風が出迎えてくれるのか、それも又楽しみの一つだ。(と朝の内は言っておく)

 

出艇の岸からは沖の白石が正面によく見える。びわ湖の真ん中に立つ白石はどこから見ても「正面」と言えるのだが、この出艇の岸からは間違いなく真正面に鎮座している。

白石までは一番近い岸からでも5キロ以上、この出艇地からは8キロ弱ある。びわ湖の真ん中に、突如突き出す巨岩たち、出艇地からはうっすらと雪を被った山々を背景に、白く輝いて見えている。真正面、他に迷う物などなく、ひたすらまっすぐに目指す所。

いまのところ、風はたいしたことはないが、しかし遠くの湖面はざわめいている。帰ってくるまでおとなしくしておいて、と願うのみ。

出艇はおなじみの友人「うさぎの木」の岸。沖の白石は3年ぶり、5回目となる。

 

 この岸から

 いろんな人と漕ぎ出して 
 いろんな時に漕ぎ出して

 いろんな記録を残しました

 旧友? 同志? いいえ

 私の「非日常の証人」!

 

 

今回は3人での船出、見送ってくれるのは「うさぎの木」。行ってきますと大海に漕ぎ出す。冬のちょっと風のある日には白石も多景島もほんの一漕ぎの距離に見える。多景島にちょっと参拝してきてもいいかな、位の余裕の初漕ぎ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だんだん大きくなる白石。先頭からちょっと離れたが、ここで頑張りすぎると帰りにダウンする。残存体力計算しての後方キープを図る(と言うと、聞こえがいいので・・)

寒いと思い冬用の分厚いウェアを着込んだ背中を太陽が照らし、暑くてたまらない。冬のびわ湖でこんなに汗をかくとは思わなかった。

沖へ出るとちょっと風が立ってくる。これは想定内。小さな芥子粒ほどだった白石が胡麻になり、米になり、大豆になる。ただひたすらに目標に黙々と漕ぎ進む。はるか前方に見えていた多景島が伊吹と重なりやがて後方に去って行くと、白石がその姿を大きくする。

形がわかるようになると漕ぐ張り合いが出て疲れも飛ぶ。あと少し。

ふぅ、やれやれやっと着いた。ここまで来れば着いたも同然。幾つもの海で、「あとほんの少し」、「着いたも同然」、そんな言葉に何度だまされたことか。もうほんの一漕ぎが30分続いたなんてこと、何度もあった。しかし白石の着いたも同然は本物。

 

 

 前回、3年前に来た時は 
 岩に雪が積もっていました

 岩の高い所に登り
 鳥の巣と割れた卵と魚の骨 
 を見たのは何年前の事か・・

 

 

 

 

 岩をぐるりと回り久しぶりの再会を楽しむ。以前、夏に来た時にここで浮かんで遊んだ。岩に登り、上がる時は怖くはなかったが、下りるのが怖くなり、と言うか、途中で足を滑らせて落ちたら大けがするだろうと思い、水の中なら怪我はない、とびわ湖に飛び込んだ。

覚えておいでだろうか、こんな場面。この後、飛び降りたのだった。次は夏に来て、またびわ湖のど真ん中でぷかぷかしてみたい。

びわ湖に忽然と現れる巨岩。この岩は神々しさを感じる。簡単には人を受け入れない厳格さ。1日の中でも色を変える不思議さ。 こういう岩や木は神格化され「注連縄」が張られていることが多いが、 びわ湖の白石にはそれがない。余計、手つかずの厳かさが際立つ。

だから、白石には「詣でる」と言う言葉がうかび、手を合わせる。

 

 白石の神様

 ほんの僅かですが
 お受け取り下さい

 

 

 

 

 

3年前にも「お賽銭」を置いてきたのだが、見つけることができなかった。白石の神様が受け取ったのか、そんなに広い場所ではないのに探す場所を間違えたのか。

 

 一回りして写真を撮って、まだゆっくりしていたかったが午後は風が出るとのこと。ではそろそろ帰りましょうと促され白石をあとにする。 

だんだん小さくなる白石に、また来るね、と手を振る。

              びわ湖は 海。 淡海(あわうみ)

 

それにしても、今日の写真はやけに青い。どれも青すぎる。本当の色はこんなに濃い青ではないのだが・・

帰りはやはり風が出てきた。砕ける波ではなかったが向かい風がきつかった。漕いでも漕いでもさっきから見えている景色が変わらない。久しぶりに「それ碇あげ」を歌い、「頑張ろう」の歌も歌った。 

もうこれ以上漕ぐのは嫌だ!と叫びたくなった頃、「うさぎの木」が出迎えてくれた。ふぅ~、やっと着いた。白石から一気に漕ぎ続け、岸に上がると足がガクガクし、手が痺れてきた。久々の本気漕ぎだった。

 

GONNさんが昨夜から作ってくれたと言うトマトスープの温かさにほっとする。

 

 この向こうはびわ湖

 そのずっと向こうに沖の白石

 曇ってきた空の下に

 白石は黒い点となって浮いています

 

 

 

 

3年前に白石に行った日には、ここに雪だるまがあった。

セミの抜け殻があった岸、カブトムシがいた岸、ドングリがたくさん落ちている岸、雪だるまがあった岸、誰かさんが乗り沈した岸、誰かさんが降り沈した岸。うさぎの木の岸にはいろんな記録が記されている。 そんな記録の1ページを、また綴ることができた今年のカヤックデビューの日だった。