小晦日(こつごもり)には能生までカニを買いに行ってきた。長岡からは片道約100km。この時期には珍しい青空で、長距離運転が苦手となってきた身にも快適だ。道路は空いていたが、かにや横丁は混んでいる。しかし、並んでも苦にならない。今年は暖かい。ありがたいことだ。
大晦日と書いておおつごもり。小晦日なんて言い方は初めて知った。日本語は難しい分表現が豊かだ。我々の頭の中はもちろん日本語の構造でできてるし、社会や生き方にも影響を与えている。知らず知らずのうちに「日本人」となっている。大事にせんといかん。
このところ、加藤和さんのnoteをノートにまとめながら再読している。久しぶりというよりも、人生で初めてちゃんと「勉強」してるかも。頭を使うので疲れる。今はインプットする時。その代わりアウトプットがダメ。どうもブログもマンネリ化している。書いている本人がつまらないと思う。どうしましょうかね。
近頃つくづく思うのは、山の中で農業をしていることの方が、哲学であーだこーだ言っているよりもはるかに大事ですごいことだ、ということ。これは漁師も同じ。顔つきが違う。海辺に行くと、黒い海と遥かに白い山が見える。マイルドヤンキーが子どもと一緒に騒いでいる。彼等が、たぶんこれからの日本のモデルとなるのではないか。頭でっかちないい子ちゃんよりも。
加藤和さんのnoteにはこうあります。
じゃあ、長明的な生き方をしている日本人集団というのは、あるのか。僕は、それは「地元大好きマイルドヤンキー」だと思うんです。世間の常識である、金銭的な価値とか出世とか、そういうものに背を向けて、地元という小さなエリアの中で仲間を作って楽しく生きるというライフスタイル。マイルドヤンキー的な、今が楽しければいいじゃん的な生き方って、方丈記の言う諸行無常に通じるものがあると思う。四畳半暮らしでいいじゃんというのは、田舎の実家住みでいいじゃん、団地でいいじゃん、という思想です。世間でいろいろ騒いでいるけど知らねーよ、ニュースも総理大臣も関係ねぇよ、という生き方です。
コロナから始まって、戦争、ジャニーズ、自民党。皆薄々おかしいと思っていたでしょう。でも、何も言わない。なのに、問題になると急に叩く。これも日本社会。そしてトヨタ(個人的にダイハツの小型車はいいと思ってます)。何かは起こっているんだろうけれど、先が見えない。次の受け皿が用意されてない。そして、あたかも操作されているようにしか感じられない。この「動かされている」というのが嫌なんだよね。
ある人が頭痛で母親を病院に連れて行った時、「ワクチンのせいじゃないの!」と大声で言って、看護師を慌てさせたそうです。安全な所でヌクヌクしながら不特定多数の人に向かってこんなブログを書いているよりも、はるかに効果的でしょう。来年は、ちと作戦練らんと。
画像は名立谷浜の海。ここで売ってる幻魚が酒のつまみに最高なんだよね。