かはたれのジエン

イタチの最後っ屁 ・・・なので、コメントにも屁を垂れるしかできませぬ

大東亜論

2014年02月01日 | よしなしごと 

読んでみてください そこには、「事実」ではない「真実」があった。
 (小林よしのり氏の嫌う竹田恒泰の言い方を借りると)

 「ゴーマニズム宣言」は出始めの頃、よく読んでいた。
 読まなくなったのはいつ頃からかな~。
 久~しぶりのご対面。

 で、「大東亜論」の中身。
 忘れ去られた巨傑、頭山満物語。
 いや~おもしろかった。

 西郷どんがなぜ人気があるのかもよくわかった。

 なぜ、西郷隆盛らの征韓派は追い出されたのか。
 (岩倉使節団帰国直後。幕末のマセソンボーイ(長州五傑)を思い起こさせる)
 「何か」の力が働いたか。

 玄洋社については何も知らなかったので、勉強になった。
 社則は三つだけ。
 「皇室を敬載すべし」
 「本国を愛重すべし」
 「人民の権利を固守すべし」

 黎明期の人って感じ。
 もちろん、日本にだけいたわけではないだろう。
 しかし 現在世界はそうなっていない。
 「欧米」ではない「何か」が巧妙に細工しているから。

 「右翼」と「左翼」について。
 「正」を「右翼」、「反」を「左翼」として、「アウフヘーベン」して~、合(中庸?)。
 現在の安部政権は「左翼」だという言い方はわかりにくい。
 フランス革命を例に出しているんだから、頭山を真ん中にして左と右に。
 これも面倒か。全部ずれる。太陽系、銀河系も動いている。
 う~ん、わからん。
 頭で区切るから=バカの壁。

 まあ、「きかん坊」だね。

 16歳の時、福岡藩の勤皇派の流れを汲む高場乱(たかば おさむ)という男装の女医が開いていた興志塾(高場塾)に入門する。興志塾は他の塾では断られるような乱暴な少年たちを好んで入門させており、腕白少年たちの巣窟と言われていた。頭山はここで進藤喜平太、箱田六輔ら後の玄洋社の創設メンバーと出会う。頭山は晩年、当時のことを「教えは徹頭徹尾、実践だった」と回想している。
 23歳の時、、高知から福岡に戻った頭山は福岡の街の不良たちを集め、12月に向陽社を結成・・・。(Wikiより)

 この辺りがポイントか。
 今は、きかん坊いなくなったからね~。
 きかん坊は、生き方をよく知っている。。
 今は、弱い者いじめをする駄々っ子がいるだけになった。

 官僚や評論家はいらない。
 現場と実践が大事。

 武士ということよりもきかん坊。
 この本を読んで印象的だったこと。

 小林よしのりは、二転三転していると言われているが、それでいいと思う。
 だって、政治、宗教、経済、文化、学校の文化祭の出し物、会社の飲み会の場所等々は、何でもいい。
 その時々で、自分の中のリトル○○に聞いて(会議をして)決めればいい。
 決め方、決めたことへの接し方、行動のしかたは変えにくいのかもしれないが。
 このブログもそう。

 今は、ゲイノーカイで大東亜共栄圏を建設しつつあるのでは?
 ただ、全く違う人たちが儲けていそうだけど。

 武力による支配。
 経済による支配。
 文化による支配。
 どれ?
 どれも100%は不可能だけれど、やっぱね~。

日本は、中国・朝鮮文化を取り入れたが、完全に中国・朝鮮にはなっていない。これは、あれだけ中国に支配された陸続きの朝鮮も同様。欧米に植民地支配された国々も同様。むしろ、今の日本の方が、武力・経済・文化で支配されているかもしれない。

 「物語=真実」は、このくらいでいいのかも。

戦前に、あれだけ知られていた頭山満が、戦後忘れ去られてしまったのは?それを今、小林よしのり氏が取り上げているということは?

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