誰もが戦争反対なのに、なぜ戦争はなくならないのか。もしかしたら我々は、何となく戦争はしかたないと思っているのではないか。それは、いろいろな「戦い」がゴッチャになっているためだと思われる。そこで、次の4つに整理してみます。
①生存のための闘い
②メスを巡るオスの闘い
③自衛のための戦い
④利益を巡る戦い
今回は①と②を取り上げます。
① 生存のための闘い
生物を含め、人間が生きることそのものが「戦い」であると言われる。確かに、一瞬一瞬戦っているのかもしれない(生命の維持)。今のような物質文明下ではわかりにくいが、山で一人で生きろと言われたら、まさに戦わなければならない(自然と外敵と)。さらに、よく「自分に負けるな」とも言われる(本当はこれが大事)。自然界は、本来「食うか食われるか」なんだろうけれど、同種は意図的には殺さない(例外あり。ライオン、チンパンジー)。特に人間は社会を作って生存しているんだから、助け合ったり共存しないと(実は生物もしてる)。
生物の世界では、生存競争とか自然淘汰と言われるが、これがまた難しいんだよね。生きるために他の生物を殺して食べる。このことの説明がつかない。(ということは「摂理」)アイヌに学ばんと。
② メスを巡るオスの闘い
これは、あまり説明はいらないだろう(「戦争論」も見てね)。メスは優秀な精子が欲しいため、オス同士を争わせる。人間社会では、昔は祭、今はスポーツ。実は、今は犯罪は減っている。若い男のいなかった戦中並み(「草食系男子」を見てね)。血の気が多い若い男が犯罪を犯す率が高いらしい。(オスが争っているのか、メスが争わせているのか、どっち?)
例えば古代ギリシアの戦争。ポリス同士の戦争が絶えなかったが、勝っても領地が増えたわけではない。ということは、「名誉」のために戦っていたということか(深読みすれば、それをさせたのはメスということになる)。オリンピックの時は戦争をやめていた古代ギリシア。だったら戦争なんかしなきゃいいのにね。と、現代の我々に言ってみる。
こうして見てみると、①と②だけでもそう単純ではないことがわかる。①と②は生物全般に当てはまることなので、これを「闘い」と表記してみたい(生物の③は①に含めます)。ここでは、意図的に相手を殺そうとはしていないという点を確認しておく。
つづく…
3回に渡ってお贈りします。しかし、ブログは連作に向いてないね。特にスマートフォンで見た場合。今、過去がどんどん上書きされる感じがあるのと関係があるのかも。