落語に縁のある小生としては、浅草というのはやはり何かと出掛ける機会もある。先日出掛けた焼肉の名店の「本とさや」なんかは落語とは関係ないが、落語に出てくる名所も少なくない。
そんな中、浅草でオシャレなランチを取る機会があった。こちらの風景を見れば、場所がなんとなく想像つくものと思う。
こちらはまさに今の浅草・・・である。高層ビルから見下ろす隅田川はまさに今の姿だが、かつては大川と呼ばれていた風情は今でも健在だ。
この吾妻橋から身を投げる気分・・・そりゃあ文七ならずとも・・・だが。
さて、浅草はその一方でレトロな町でもある・・・ってか、そのイメージの方が強いはず。小生の思い出では、浅草寺の脇で「角そで」という看板を見たことがあった。着物の上に羽織るコートを意味するわけで、こういう物が買えるのは浅草ならではだろう。
ちなみにこの「角そで」は刑事の愛称の「デカ」の語源でもあるわけで・・・って、この話はこの辺に止めておきましょう。
そのレトロの象徴のひとつが銀座線であり、浅草の駅だったのだが・・・まず銀座線の駅がものすごーくおしゃれに変身していた。
降りたときに、ここは浅草じゃないぞ・・・なんて思ったくらい。だが、安心したのはあの地下街はまったく変わっていなかったこと。
っていうか、駅がきれいになった分、地下街に入った瞬間のギャップたるや、かえって不気味に、もといレトロ感が増したような。
また小生にとってますます・・・と実感したのが外国人観光客の多さ。浴衣姿で歩いている女性は9割がた海外の方・・・のようで、日本人かしらと思っても中国語だったり。
こうやって浴衣姿で、仲見世や商店街を流しながらインスタ映えする写真を撮っている姿は日本人が海外でやっているのとおんなじだろうなあと。
さらに、六区の方に足をむければ、浅草演芸ホールがある一方で、再開発された商業施設も数多い。
その一方で通りをひとつ変えれば、昼間からホッピー片手に外の席で飲んでるオヤジたち・・・とと、よく見ると若いお姉さんたちも・・・(汗)
このなんでもありの姿こそが浅草のエネルギーだろう。というところで気が付いた。かつて浅草には仁丹塔という最先端の塔があった。
今はその現代版のようなものがある。また江戸時代の富士塚ブームも浅草富士山がハシリだった。浅草は京都でいう先斗町、つまり最先端の町だったのだ。
今我々が、レトロな町・・・なんて勝手なイメージを持っている浅草は、逆にもっとも流行に敏感な町だったのだ。
その一方で、真ん中には浅草寺があり、季節ごとのイベントが伝承されている。古くて新しい街、それこそが浅草の本来の姿なのだろう。
その意味でいえば、浅草は近未来の日本の平均像を先駆けて見せてくれているのかも知れない。何しろ、大川からスカイツリーが見える町なのだから。
ああ、珍しくも真面目な記事を書いてしまった・・・(苦笑)
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