先日のイコモスの勧告により、世界遺産入りがかなり濃厚になった富岡製糸工場。貝掛温泉に行く途中で、ちょっと回り道して見に行った。
事前に聞くと、たいしたことがないとか、あまりよくない評判も聞かないではないが、そうは言っても一度は見てみたいものだと・・・
この工場、官営工場として明治五年に完成したもの。「女工哀史」などで、過酷な労働条件で多くの若い女性が命を落としたなどのイメージがある。
この建物、実際に見るとかなり大きい。東西の倉庫は長さが100mもあるというし、作業場となった建物は100m以上のさらに長いもの。
木骨レンガ造りという構造で、木骨の部分は杉の芯の部分を使ったという。この建物が100年以上を経て、昭和60年代まで現役で使われていたというからすごい。
その女工哀史の部分であるが、解説のおじさんたちによれば、「女工哀史はなかった」と熱弁する。いや正しくは、「あったかも知れないが、それがすべてではない」と。
というのも、明治の初期の頃にして週休1日を確保、労働時間も7時間45分だったというから、今の我々と比べても厳しいとは言えない様子。
また、設備を作るにあたり、当時の日本人女性の体格が小さいことを受け、フランス製の機械を特注で小さくしたり、さらに毎日入浴もさせたりしていたという。
さらにさらに、診療所や入院施設も敷地内にあり、無料で診療を受けられるなど、我々がイメージする女工哀史のブラック的なものとは違うものも浮き上がってくる。
確かに、敷地からの外出は制限されていて、一種の監獄のような物理的な環境であったことは事実だが、そこでの成功者はかなりの高収入を得て、しかも地元に帰ってから製糸工場のリーダーとなっていった歴史もあるという。
そう考えると、むしろ今の方がブラックなところが多いのでは・・・って。
事前の情報では、駐車場が貧弱とか道が狭いとか聞いていたが、その点はあまり気にはならなかった。
正直、何度も行くか・・・と言われるとちょっと疑問ではあるが、一度見に行く価値はある・・・そんな気がした。
そうそう、今年の2月の大雪で、乾燥場であった建物が壊れたところが生々しく見られる。大雪のすさまじさを感じざるをえなかった。
改めて、今の我々は当時より恵まれているのだろうかと感じてしまった。
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