あの日から9年、話題の映画Fukushima50を見てきた。ご存じの通り、福島第一原発の事故を取り上げたものだ。
細かくストーリーについて書くのはご法度だろうから、例によってギリのところで止めさせていただこう。
見終えた時の感想は、「まずは一人でも多くの方にご覧になっていただきたい」ということ。そしてもうひとつは「自分がよって立つスタンスによって、映画や事実についての評価が変わるのだろう」と。
映画に政治的な話を持ち込むのはタブーかもしれないが、与党支持者からすれば、「時の菅政権がいかにダメだったかを証明するもの」とみるだろう。
逆の立場からすれば、「そもそも津波を想定外として準備をしてこなかったことが問題だ」と。事実、安倍某は国会で「日本の原発で全電源喪失はありえない」と答弁していた。
小生は菅だからダメだったのでなく、だれであってもダメだったのだろうと思うし、一方で事前の対策がぬかっていたのも事実だろうと。
映画のラストの方で吉田所長の遺言めいた言葉の「我々が自然をなめていた」というセリフがきわめて象徴的だった。
さてもう少しストーリーにさわると、本店および官邸と現場のせめぎあいはひたすら続く。ここについては、会社勤めの方には「いずこもだよ」って思ったはず。
本店や官邸は現場のことを理解せずに勝手なことばかり言うだけ、現場ではどうにもならない事象に逃げることもできずに走り回るしかない・・・
これは皮肉にも9年後の今、新型コロナ対策で起きていることと見事にかぶる。どこかの首相や厚労相は「PCR検査を1日8000件できる体制を整えた」なんて宣言している。
しかしながら、現場の実情ではどこをどうやっても、そんな数字は不可能と・・・で、できなければ、現場が悪いことにされてしまう。(医師会も検査に反対していたり・・・)
話を戻そう。この映画では配役の妙というのも感じた。主役の二人はもちろんのこと、富田靖子とか吉岡秀隆とか・・・さらには篠井英介もまさに・・・
なにより、泉谷しげるの終盤のセリフには思い切り泣かされてしまったぞ。併せてそのときに思ったのは「泉谷しげるが元々歌手だったことって、今では知らない人が多いのかも」と。
先日、常磐線が全線開通した。その中で避難地域も少しずつ解消されているが、映画の終盤で映し出される通りのゲートは、原発ができたときに町の小学生が考えたキャッチコピーだったと先日知った。
そして、あの事故が最悪な結果にならなかったのは映画によれば、ある種奇跡だったのかも・・・と。
いや、そうではない・・・現場の人たちの命をかけた取り組みがその奇跡を呼んだのだと・・・
その意味では、福島の軌跡が奇跡を呼んだのだと・・・東京五輪を招致したときに、どこかの首相は、世界に対して原発の状況は「アンダーコントロール」と表現した。
小生は、そのとき感じた空虚感を禁じ得ない。そのことを彼は「私が保証します」と言っていた。アンダーコントロールかどうかは別にして、それを実際に支えている人へのリスペクトを感じなかったからだろう。
会社員生活では、基本として現場側にいた小生にとっては、とてもしみる映画であった。
我が町では、流行りの映画を公開する映画館は無いので(一軒ありますが、ほとんど昔のものが多いです)、DVD化されたらレンタルして見てみようと思います。
ご紹介してくださってありがとうございます♪
この映画は、時系列を崩すことなく撮影された「順撮り」だっというのも監督のこだわり。
佐藤浩市、渡辺謙も素晴らしいですが、「フィフティ」と呼ばれた現場の男たちを演じた各人が本当に素晴らしいです。
2016年公開の『太陽の蓋』は、今回の角川映画のような大作ではありませんが、「福島原発で何が起きているのか」を探り出そうとする新聞記者(北村有起哉)の視点で描いた力作です。こちらも機会があれば多くの人に見てほしいです。
ありがとうございます。この記事読んで、そう感じていだければ本望です。
せひせひ
いつもありがとうございます。
太陽の蓋って映画知りませんでした。機会あればぜひとも。
この映画は未だトレーラー程度しか観られず、内容やキャスティングから想像するしか無いのですが、久々骨太の根性座った映画としてぜひ大スクリーンで観たいです。
今回、この場をお借りしてお師匠様のお許しが出ましたらぜひ「技術屋の立場」からお話させて下さい。
(1)「事の基本発端は、如何に発電機を回すか?」
これに全てが集約されます。過去歴史的順番から「水力、火力、原子力 etc」となりますが、全ては「経済的原理と理論で動く」為に必然的に原子力発電となってしまうと。「水力が一番クリーン」なのは周知の事実ですが「ダム式水路式揚水式」にしろ初期投資が多大の上に送電設備の距離が異常に長い、、、「火力は都内近郊に作られて送電設備は極小だが、火石燃料を燃やす事による大気汚染」が最大の弱点と。本来なら「火山国特有の地熱発電」が最も効率が良いのにひとつも推進されない、、、、これはどうも「政治屋、政治業者、政治ゴロと電気屋の政治的思惑による変態的仲良しごっこ?」による原子力推進としか考えられません。
だからこそ「安全なんてぇ二の次三の次、何時の日か必ず訪れる廃炉の日、、、、膨大莫大な銭金とその場所が永久に使えない(プルトニウム半減期2億年?) そんな事ぁおら知らねぇ で見て見ぬふりをする、、、
(2)「ソーラーパネル付き住宅の乞食セールストーク」
必ず「売電により儲かりまっせ」としか言えないその能無し乞食セールストーク、、、、結論として「売電」等は捨てて、それより「ご自分のお宅の電気代がほとんどタダ、、、その分お得ですよ」と何故言えないのか、、
実は、今後予想される数々の大災害において「自己発電能力を持つ家庭用ソーラーは非常に強い武器」になるはずなのに、販売屋自らチャンスを捨てている、、、
もちろん「ソーラーも風力も現在欠点弱点だらけであり、耐久性、音や振動、初期設備投資にメンテ費用」等など課題山積だが、知る限り「例の電力節約時に、実は明かりがこうこうと照らされていた家庭は、実はソーラーなどが活躍していた事実」を見て来ました。
今後我々は、まず節電を心掛ける事にプラスして「何らかの自己防衛手段として、自ら電気を作り出し、売電などと言うスケベ根性は捨てて、自らの自己防衛手段」として自家自己発電と言う手段に関心を持ち、来るべき大災害、原子力発電停止などに備えるべきと、技術屋の立場から強くご提案いたします。方法は何でも良く、ソーラー風力蓄電池HVモービル問わず、此処は皆様の知恵を出し合ってぜひ考えたいものですね。
今回、お師匠様にはこういう素晴らしい機会を下さいまして、心より感謝いたします。 敬具
資源に乏しい日本にあって、もっとも理にかなう電力は?と問われて原子力なわけがないのでしょうが、あくまで政治的な力学のなせるわざと考えております。
原子力発電のメリットとして、コストが安いということをかつては言われながらも、福島以来、廃炉に至るコストが入っていなかったことはすでに明らかになっていて、コストで語れなくなっているのに、依然としてですね。
地熱発電はもちろん、個人的利用としてのソーラー、さらにはあまり注目されていませんが波力発電なども日本にはなじむように感じます。
大石様のコメントを通じ、改めて個人利用のソーラーを考えてもいいかと思いました。