アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

談志が死んだ

2011-11-23 18:47:45 | 落語
「談志が死んだ」・・・「イラクは暗い」なんかと同じくらいレベルの低い回文だが、ついにそのことが事実になってしまった。

 落語家の立川談志さん、喉頭がんで死去(読売新聞) - goo ニュース

 ガンに罹患していたし、体調もすぐれていなかったから、いずれ・・・という感じだったが、75歳という年齢は、正直なところ意外に若かったなあと。
 小生が寄席がよいをしていた学生の頃は、四天王と呼ばれていた。四人とは、志ん朝・談志・円楽にもうひとりは柳朝という説と、円鏡(現円蔵)という説があった。

 今や大名人と呼ばれる小三治とか円窓、扇橋あたりがそれに続く存在だった。小朝はまだ二ツ目だったし、市馬は前座だった。
 その頃談志はよく、「落語ってのは人間の業の肯定だ」と言っていてた。実際に、人間の業を切り取って見せてくれる高座に何度も接した。

 「黄金餅」とかはまさしくそんな噺だったし、一方で「文七元結」や「芝浜」なんかは心の温まる人の情を描いてくれた。
 同じ人情噺でも、円楽だと「藪入り」や「浜野」が浮かぶが、談志だと、小生的にはこの辺だろうと思う。

 立川流を興してからは、なんか鼻につく感じがしてしばらく聞かなかった。それでもガンから復帰し、生で聞く機会も少なかろうと一門会を聞きに行ったのが2009年の2月。
 結果的には、それが生で聞く最後になってしまった。実は、そのときに「もう談志は聞かなくていいや」と思うセリフがあったのも事実。

 かつての四天王が、圓生や小さん、正蔵たちに混じっていい高座を披露し、どんどん伸びている・・・そんな頃が懐かしい。
 また、小生学生のときに、円楽・談志とともにテレビに出させていただいたことがある。そのときに談志に言われた言葉はおそらく一生忘れない。

 「お前ら、学校で勉強なんてやらなくていい。落語だけやってりゃいいんだ。人生のすべてが、そこに入っているから」
 今、この年になって、その言葉が真実として感じられるようになってきた。おそらく、今度は、小生たちが若い後輩に言うときがきたのかも知れない。

 とはいえ、おそらく昭和の最後の名人と言われる噺家が亡くなったのは事実。これで、江戸の方では、昭和の名人はオールクリアになってしまった・・・そんな気がする。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 新・日本の七不思議 | トップ | 塩原名物「こばや」のスープ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

落語」カテゴリの最新記事