アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

月夜野矢瀬親水公園

2019-04-25 06:00:02 | 道の駅

貝掛温泉を後に帰路についた小生だが、三国峠を越えて群馬に入り、どこに立ち寄ろうかと思いつつ、名胡桃城を目指すことにした。

 

 もうすぐ名胡桃城というところで、「月夜野矢瀬親水公園」という道の駅の案内が目に入った。これは立ち寄るしかないだろう・・・と。

 場所は新幹線の上毛高原駅からほど近く、名胡桃城から利根川方面に北に向かったところにある。道の駅というものの、こちらは駐車場も狭く、施設も小ぶりだ。

 

 つまり、まず親水公園があって、そこに売店施設を後付けで付けたような・・・そんな印象なのだ。ともあれ、まずはスタンプを押し、館内を見る。

 すると親水公園には縄文遺跡があり、当時の家屋の復元したものなどが見られるという。早速見に行ったが、住居跡だけでなく高床式倉庫などの施設が集中している。


   この遺跡は平成に入り発見されたという。歴史マニアにとっては興味深いところだ・・・ときに、こちらは当然矢瀬遺跡と名付けられている

 つまり矢瀬という地名が先にあり、遺跡が後から見つかったわけだが、この地名の由来は? と思っていたら、遺跡から利根川を望むほど近いところに銅像が立っていた。

  

 鎧姿の武者が川に向かって弓を引き絞っている。これは八幡太郎義家の姿という。おお、義家・・・以前福島の秘湯に行ったときに見た勿来の関跡でも見かけたなあ。

 ここには、奥州征伐の残党が尾瀬に逃げたのを追ったが、利根川に阻まれて難儀をしていたときに、義家が矢を放ち、それを目印に利根川を渡ったという伝説があるという。

  

 なるほど、それで「矢瀬」という地名になったのね・・・と

 源義家といえば、頼朝の先祖であり、源氏の歴史の中でも偉大な人物だ。前九年の役、後三年の役を経て、奥州藤原三代にもつながりを持つ。平安時代の人物だが、その流れが鎌倉時代の端緒となり、さらに義経の悲劇にもつながっていく。

  

 そういう視点で、この景色を眺めると、なんだか利根川がものすごい境界線に見えてきた・・・

 さらにここに古代の遺跡があったという事実も・・・やはり何かのパワーの集まるスポットなのかも知れない。

 

 なんて思いながら、車を名胡桃城に向けた小生である。

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