福田彩乃がドラマ「仁」の綾瀬はるかの物まねをよくやっていた。旅から帰宅した仁の足を洗うシーンだ。仁が「(足を洗ってもらうことが)いつまでたっても慣れないんですよね」というようなことを言うと「未来では足を洗わぬものですか?」と。
このシーン、写真ではこんな感じだが、今時の人たちからすると「そもそも昔は足を洗っていたのか? 」と思われる人もいそうだ。
もちろん、このブログ読者の皆さんには、今更という方も多いと思う。江戸時代までは旅といえば、歩いていくしかないわけで、舗装されていない道を歩く以上、足は汚れるのが当たり前のことだからだ。
普段の外出ならはだしに草履、旅ならば脚絆甲掛けわらじ履きというものだが、足袋をはいていたとしてもやはり汚れるのは避けられない。
よって旅籠に着くと、まずは足濯ぎというのがチェックインのお約束だったわけだ。この辺は落語の「ねずみ」などにも出てくるが、今ではイメージがわかりにくくなっているかも知れない。
そこで思い出したのは、小生がガキの頃の話だ。ガキ同士で遊んで誰かの家になだれこむと、必ずそこの家のお母さんに「足洗ってからあがれ」と言われていたものだ。
その頃の家の玄関にはほぼ例外なく、雑巾が置かれていた。ガキたちは、その雑巾で足をふいてから上がったものだ。
その中で比較的よくあったのが、その雑巾がパンツのリサイクルで作られていたもの。雑巾といえばそうなのだが、形もパンツそのままの佇まいだった。
その理由は、当時のパンツは綿100%で、雑巾に適していたこと。それから、ガキの成長に伴い、使えなくなったものがあったこと・・・だ。
さすがにレディースのそれは見たことはなかったが、そうはいっても明らかにパンツ!という佇まいのものを見るとガキながらに引いたものだ。
しかし、これは小生の田舎での出来事に限定的なのかと思っていたが、ある日のこと、同世代の人とお話をしたときに、同じ体験をしていたことが判明した。
その人は都会で生まれ育っていた・・・ということは、田舎だけではなかったということか・・・
それにしてももうひとつ不思議なことがある。ガキの頃であっても、小生たちは靴下を履き、シューズを履いていた。
江戸時代と異なるにも関わらず、どうして雑巾が必要なくらい足が汚れていたのだろう・・・(汗)
パンツの雑巾とともにノスタルジー的な思い出である。
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